助産婦さん

ホームに入ってきた電車のドアの開く音が聞こえた。
僕は点字ブロックを確認しながら動き始めた。
「一緒に行きましょうか?」
緊張した感じの女性の声がした。
ドキドキ感もヒヤヒヤ感も伝わってきた。
「ありがとうございます。肘を持たせてください。」
僕は言いながら図々しく彼女の肘を探した。
僕達は無事に電車に乗車した。
空いてる席を見つけた彼女は僕をそこに誘導してくれた。
「どちらまで行かれるのですか?」
僕は行先を告げた。
僕達は途中まで一緒のルートだということが判明した。
「途中までご一緒させていただいてよろしいですか?」
彼女は引き受けてくれた。
一緒に電車を降りエスカレーターに乗り、改札口を出た。
滅多に電車には乗らないと言った彼女はそこからは不安そうだった。
「左側にある階段を降りてください。しばらく進むと左側に券売機があります。」
彼女は券売機で切符を購入した。
「まっすぐ進むと改札が並んでいますが、一番右の有人改札を通ってください。」
僕達は改札を通過した。
「階段を通り越して行けばエスカレーターがあります。」
彼女は僕の音声ナビの通りに動き、
僕達は地下鉄のホームに降りる長いエスカレーターに乗った。
「まるで見えておられるようですね。」
「見えなくなってもうすぐ20年になりますから。」
「どうして失明されたのですか?」
網膜の病気だと答えた僕に彼女は専門的に尋ねてきた。
「網膜色素変性症ですか?」
僕は驚いた。
「私、助産婦なんです。」
彼女が言い終わる時、僕達はホームに到着した。
右側に電車が入ってきた音がした。
僕は電車を指さした。
「貴女が乗る電車はこれです。後は僕は大丈夫。ありがとうございました。」
僕達は笑って別れた。
「私、助産婦なんです。」
たったこれだけの短いフレーズが僕の中で繰り返された。
健やかな命ともそうでなかった命とも、
そして傷ついた命とも出会ってこられたに違いない。
僕との短い言葉のやりとりの中にさえ、
命を愛する気持ちが伝わってきた。
僕も命が愛される社会に向かう一人でありたい。
(2016年9月5日)