イスのクッション

京都のバスは車体の後方に乗車ドアがある。
後ろ乗り前降りというタイプだ。
乗車したら狭い通路を必ず前へ移動しなければならない。
他の乗客の真横を歩くということになるのだから、
座席を譲ってくださったり空席を教えてくださったりする方に出会う確率は高くなる。
電車はそういう訳にはいかない。
たいてい同じドアから乗り降りするからドアの近くの手すりを持って立っている。
通勤時間帯などはその手すりの確保さえ大変だ。
日常の電車での単独移動で座れることは滅多にない。
仕方がないといつの間にかあきらめている僕がいる。
乗降しやすいからドア付近に立っていると思っておられる一般客も多い。
見えないから空席を見つけられないだけなのだ。
見えないで社会に参加するということは、
出来ないことを受け入れて穏かに生きていくということなのかもしれない。
悲しんだり俯いたりしても生活は成り立たないのは事実なのだ。
毎週木曜日は午前中に専門学校、午後は大学での講義があるので移動は大変だ。
バスで桂駅まで行きそこからは電車を乗り継ぐ一日となる。
阪急で桂から烏丸、地下鉄に乗り換えて竹田、また近鉄に乗り換えて向島まで行く。
向島から専門学校までは学校関係者が車で送迎してくださる。
午前中の講義が終わると移動開始だ。
向島から近鉄で丹波橋まで行き京阪に乗り換えて深草。
深草から大学はこれも職員の方が送迎してくださる。
講義が終わると帰路につく。
京阪で深草から丹波橋、近鉄で竹田、地下鉄に乗り換えて四条、
最後は阪急で桂という具合だ。
この帰路は遠回りなのだが僕が単独で白杖で移動するには一番安全なルートなのだ。
一日に9回の電車利用が基本ということになる。
そのすべてで座れることはほとんどない。
地下鉄京都駅は乗降客が多いので、
僕の立っているドアに一番近い席の乗客が音を立てて立たれた時だけ
たまに座れることがあるくらいだ。
それも2割くらいかな。
「座席が空いていますけど座りますか?」
地下鉄に乗り込んだ僕に声がかかった。
「座ります。」
僕は即答で誘導をお願いした。
僕と彼女は並んで座った。
今年度、4月から学校が始まってもう2か月くらいになるのだが、
出勤時に初めて座れたということになる。
うれしさが込み上げてきた。
イスのクッションがとても気持ちよく感じた。
「宝くじに当たったほどではないですが、座れたのはとてもラッキーです。」
僕は宝くじに当たったこともないのにそう表現した。
うれしすぎて言葉が見つからなかったのだろう。
それから少し世間話をして、彼女が降りる駅に着いた。
「ありがとうございました。いい一日を!」
僕が言おうとこっそり心の中に準備していた言葉、
タッチの差で彼女に言われてしまった。
僕は笑いながら彼女の後姿に頭を下げた。
人間って素敵だよなぁ。
僕は幸せを膝に乗せて柔らかなイスのクッションに深く座り直した。
(2017年5月20日)