バスを降りて、いつもの家路をたどる。
歩道の側壁を白杖でたどりながら歩く。
ちょうどいい感じの風に吹かれながら歩く。
生い茂り始めた木の葉や草が、
僕の顔や身体をおかまいなしに触る。
突然頭を撫でられたかと思えば、不意にとおせんぼされたりもする。
顔を触られるくらいならまだしも、鼻の中までくすぐったりする。
結構ないたずらっ子だ。
この季節、いたずらっ子達の遊びは日に日に変化していく。
目が見えていれば、
目前の木の枝や葉っぱなど、無意識に避けて歩くだろう。
無意識に避ける時、植物たちの日毎の成長までには気づけない。
「見えなくて、得することもあるよね。」
僕はそっと、爽やかな風にささやく。
きっと、緑が一番美しい季節なのだろう。
そう思った途端、自然に足が止まって、
夜中の西山を眺めた。
頭の中一杯に緑色が広がった。
いつでも見れること、これも得している部分かな。
風に笑いかけながら、
また白杖で歩き始める。
(2014年5月25日)
Category: 松永信也からのお知らせ&エッセイ
緑が生い茂る季節
お通夜
僕は彼女の顔を見たことはない。
知り合ったのは、僕が失明してからだ。
でも不思議なことに、僧侶の読経の間、
祭壇に飾られた遺影が、
なんとなく微笑んでいるのを想像していた。
自宅に帰り着いてから、「声の京都」というテープ雑誌を取り出して聞いた。
朗読ボランティアをしてくださっていた彼女の透き通ったやさしい声が流れた。
「風になってください」が出版されたのは2004年、
その翌年から、彼女の病気との闘いが始まった。
視覚障碍者の人達のために、
数えきれないくらいの入退院を繰り返しながら、
結局、彼女は最後までその活動をやめることはなかった。
僕は何よりも、生きていく力の強さを彼女から学んでいたような気がする。
テープを聞き終わって、
僕は手を合わせた。
「本当に、ありがとうございました。」
お通夜の棺に向かい合った時と同じように、
口から声がこぼれた。
何も画像のない僕の目前で、
また、彼女の遺影が微笑んだ。
(2014年5月22日)
情熱
小学校の校長先生達のOB会にお招きいただいた。
今年退職された先生もおられたし、
もう20年近くが経過したという先生もおられた。
夕食前の小一時間、お腹もすきはじめた時間帯の講演だったが、
研ぎ澄まされた空気が会場を包んだ。
特に、目が見えない僕と子供達とのやりとりの部分などでは、
先生方のまっすぐな視線が僕に浴びせられた。
それは、真剣さを意味するものだった。
やりとげた充実感、成し遂げられなかった口惜しさ、
それぞれの思いを胸に、それぞれの足跡を振り返りながら、
未来を見つめてくださったのだろう。
講演の後のあたたかな拍手、激励の言葉、
握りしめた手のぬくもりがそれを物語っていた。
それぞれの生きる道程で引退とか退職はあっても、
人間の情熱に終わりはないことを教えられた気がした。
そして、その情熱を心からうれしく感じた。
(2014年5月17日)
松葉杖の友人
肢体障碍者の知り合いから、
久しぶりのメールが届いた。
年齢のせいで筋肉が衰え、
松葉杖が大変になってきているとのことだった。
僕が彼と知り合ったのは、
地域の障碍者の集いだっただろうか、
子供の頃からの肢体障害だった彼は、
まだ福祉という単語さえなかった少年時代、
父親が作ってくれた杖を使って歩いていたと教えてくれた。
その言葉には、父親への深い愛情と感謝が溢れていた。
差別や偏見に満ちた社会を生き抜いてきたはずなのに、
彼の言葉も、語り口も柔らかく、
怒りのようなものは何も感じられなかった。
淡々と、彼は生きていた。
見えなくなったばかりで、まだつい俯き加減の僕に、
彼は、人間の尊厳みたいなものを伝えてくれた。
淡々と生きる姿が美しいと思った。
届いた短いメールの最後には、
「お元気でご生活ください。」
と記されていた。
彼らしい美しい言葉だった。
淡々と、僕も生きていきたい。
(2014年5月12日)
7年ぶりの少年
駅のホームで声をかけてくれた若者は、
出身の小学校名と自分の苗字を名乗った。
彼の手引きで歩きながら、
彼が名乗った苗字につながる名前が、
僕の深い記憶の中から蘇った。
「こうた君か?」
彼に確かめたら、記憶は正しかった。
僕の記憶の中にあった少年、
彼が10歳の時に福祉授業で数時間会っただけだったが、
その授業の後に、メールでメッセージを届けてくれたのだった。
「僕は一生、点字ブロックの上には自転車を止めません。約束します。 こうた」
短いメールだったが、
少年の純粋で強い決意は、
紛れもなく、見えない世界で生きていく僕達へのエールであり、
当時の僕をとても幸せな気分にしたのだった。
17歳になった彼は、
僕の身長を超え、声も大人になっていた。
僕達はまるで親友との再会のように、
何度も強い握手をした。
社会にメッセージを届ける活動、
きっと未来につながっていくと信じてやっている。
でも、根拠もないし、確乎たる自信もない。
しかも現実は、なかなか目に見えるような変化が起こっているとも思えない。
ひょっっとしたら、僕の希望にすぎないのかもしれない。
「今も、小学校などに言っておられるのですね。」
別れ際の彼の言葉は、
その意味を伝えて、僕の心までを手引きしてくれたように感じた。
一日に5万人以上の人が利用するこの駅で、
今度彼に会えるのはいつになるだろう。
その時も、活動を続けている僕でありたいな。
いや、少年も一生の約束をしてくれたのだから、
僕も頑張らないとな。
(2014年5月9日)
いかなごのくぎ煮
5月の風が感じられる頃になると、
視覚障害の友人から、
いかなごのくぎ煮が届く。
大阪で暮らしてきた彼女にとっては、
初夏を告げる風物詩なのだろう。
見えない僕と、ほとんど見えなくなっている彼女と、
共通点は視覚障害ということだ。
ただ不思議と、
目や病気の話はほとんどしない。
お互いに、苦しかった時も悲しかった時もあるのだが、
そこには触れない。
それぞれの人生を豊かにする話題が多くなる。
きっと、たどり着いた場所が同じということなのだろう。
彼女にとっての風物詩が、
いつのまにか、僕にとっての風物詩にもなった。
障害があるとかないとか無関係に、
いい出会いは、人生を豊かにしてくれる。
感謝しながら、
ついついご飯を御代りしてしまった。
いかなごのくぎ煮、真っ白な炊き立てご飯がよく似合う。
(2014年5月5日)
爽やかな風
久しぶりに立ち寄ったトンカツ屋さん、
入口の判らない僕は、
道行く足音に向かって声を出した。
「トンカツ屋さんの入口を教えてください。」
すぐに立ち止まってくださったご婦人は、
「ここのトンカツおいしいよね。」
そう言いながら、たった数歩、僕を手引きしてくださった。
つまり、僕はほとんど入口に近い場所から声を出していたのだ。
ご婦人は、入口がすぐそこなんておっしゃらなかった。
見えないということを、理解してくださっていたのだろう。
店員さんがサポートしてくださるのを見届けて、
ご婦人は立ち去られた。
トンカツ屋さんには、いつもの店員さんがおられた。
ランチの説明をしてくださり、
申し訳なさそうに、消費税で値上がりしたことも付け加えられた。
器にソースを入れ、ゴマを入れ、御飯にお漬物を載せてくださった。
さりげなくて確実なサポートには、
いつも上品さが漂っている。
「何かあったら、何でもおっしゃってくださいね。
どうぞ、ごゆっくり。」
僕は、本当にゆっくりのんびり、ランチを楽しんだ。
「ここのトンカツおいしいよね。」
ご婦人のやさしい言葉を思い出しながら、
胃袋だけでなく、心までが満足していた。
食事が終わると、
店員さんは、僕の向かう横断歩道まで手引きしてくださった。
横断歩道の点字ブロックに着くと、
「また、立ち寄ってくださいね。」
笑顔で会釈された。
笑顔が、5月の爽やかな風にとても似合った。
(2014年5月3日)
八重桜
午前中予定されていた綾部市視覚障碍者協会での挨拶を終え、
急いでお弁当を頂き、ボランティアさんの車で知人のお見舞いに向かった。
綾部市と舞鶴市の病院、二か所が終わったのが15時くらい、
帰るまでにもう少し時間があると思ったので、
引き揚げ記念館を訪れた。
我ながら、時間の使い方は、本当に上手になってきていると思う。
僕の父は、シベリアからの引揚者だ。
戦争によって、青春時代の数年間を失っている。
父は僕が子供の頃から、シベリアのことをほとんど語らない。
ただ、戦争は絶対にしてはならないと、
それはいつも言っていた。
語らない言葉に、大きな意味があったように思う。
風化していく歴史が、繰り返されないことを願いながら、
展示物を見て回った。
わずかの時間だったが、しっかりと刻まれた。
記念館の出口で、ボランティアさんが、
八重桜が咲いていることを僕に伝えた。
僕はちょっと立ち止まって、
深呼吸をして、空を眺めた。
平和な空を眺めた。
(2014年4月27日)
30歩
休日の予定だったのに、
急に、夜の会議が入った。
重たい気持ちと身体は、なかなか動こうとはしなかった。
若い頃なら、仮病でも使っただろうが、
この年になってやっと、責任感みたいなものも芽生えてきているらしい。
溜息をつきながら、うつむき加減で家を出た。
その流れのせいなのか、バスも電車も、座れることはなかった。
夕方込み始めた駅の構内では、白杖が、幾度も誰かの足に当たった。
僕はその度に謝った。
大宮で電車を降りて、バス停まで移動しようとして、
白杖が、不法駐輪の自転車につかまった。
とうとう動けなくなった。
立ち往生して、白杖であちこち探っている僕に、
若い男性が声をかけてくれた。
バス停まで、わずか30歩くらい、
僕は彼の肘につかまって歩いた。
同じ方向に行くのか確認したら、
彼はまったく違う方向だった。
立ち往生している僕を見つけて、
かけよってくれたのだろう。
たった30歩、僕はその間に、笑顔になった。
バス停の点字ブロックの上に僕を誘導して、
「さようなら。」
彼は僕の肩を、軽く二度叩いた。
頑張れのサインだったと思う。
会議が終了してライトハウスを出たのは20時を過ぎていた。
勿論、帰り着くまで、笑顔で頑張れた。
もう一度若者をやれるなら、
あんな若者になってみたいな。
(2014年4月23日)
旅人
ふらっと立ち寄ったさわさわ、
僕の向かい側の席で、先客がカレーライスを食べていた。
その香りにつられて、僕もカレーライスを注文した。
幾度食べても、やっぱりおいしい。
「おいしいですね。」
僕は何気なく、カレーライス仲間に話しかけた。
「辛くて、鼻をすすっています。」
彼女は笑った。
埼玉県からの旅人だった。
ウィークリーマンションに滞在して、
のんびりと京都を楽しんでいるとのことだった。
どこの桜を見たかとの僕からの質問に、
いくつもの京都の地名が出てきた。
30年以上暮らしている僕よりも、
ずっと京都に詳しく、
そして、京都が好きだということも伝わってきた。
頑張って働いて、
少しお金を貯めて、
そして旅に出ているのだそうだ。
きっと旅の中で、彼女は豊かな時間を過ごしているのだろう。
言葉の端々に、それが感じられた。
何かとても、うらやましくなった。
たった一度の人生、
見えるとか見えないとか無関係に、
豊かに過ごしたいよな。
波の音を聴きながら、
のんびりと老いていきたいと、
漠然と思ったりしている。
今度思い切って、旅に出てみようか。
若いころ、目が見えていた頃、
リュックサックを背負って、
鈍行列車に乗車してあちこちを旅した。
勿論、その時の風景は、
思い出の中で、僕の宝物になっている。
またどこかで、豊かな香りや音が、
僕を待っていてくれるかもしれない。
(2014年4月18日)