新田神社

同級生の肘を持ち白杖で段差を確認しながら一段ずつ上っていった。
高校生の頃は駆け上った記憶もある。
そこを息を切らしながら、時々よろけながら上っていった。
これは目のせいではないよなと思いながら上っていった。
手を清めてから参拝した。
また来れたということへの感謝が湧き出た。
腰を下ろして空気を深く吸い込んだ。
肺臓が喜んでいるような気がした。
帰り際に参道の楠の木を触った。
樹齢700年前後と案内板に書かれてあった。
高さ20メートル、枝ぶりは30メートル、
根元の幹の部分は人間が両手を広げても何人も必要な感じだった。
そして生きていた。
木の肌から感じる微妙な湿気が生命を教えてくれていた。
それだけで心が落ち着いた。
そして小さな僕の生命、愛おしく感じた。
(2018年10月20日)

おもてなし

彼は僕をコーヒー専門店に案内してくれた。
年明けに予定されている講演会の打ち合わせが目的だった。
僕達はおいしいコーヒーを飲みながら打ち合わせをした。
主催者としての講演への思い、当日のスケジュールの説明などを聞いた。
それから、京都から会場までのアクセスや宿泊ホテルなどの確認もすませた。
店内に漂うコーヒーの香りはそれだけで僕を幸せにしていた。
打ち合わせを終えて役員さん達との会食の会場へ向かう前、
彼は2枚の点字の文書を僕に手渡した。
1枚目にはこれから一緒に食事をする役員さんの肩書きなどが書かれてあった。
初対面の人達とのコミュニケーションがうまくいくようにとの配慮が感じられた。
2枚目には食事の献立が書かれてあった。
食いしん坊の僕を理解してのことだろう。
ちなみに点字文書はわざわざボランティアさんに依頼して作られたとのことだった。
その流れでの会食はとても豊かな時間になった。
「肩の凝らないざっくばらんなメンバーです。」
彼の説明通りだった。
仕事を終えて各地から参集してくださった役員さん達は皆あたたかかった。
そしてイベントを成功させようとの思いが団結していた。
単純に講師に過ぎない僕までもがその輪の中に入れてもらえたような気になった。
楽しいおいしい時間だった。
心のこもったおもてなしに、僕も心でこたえたいと強く思った。
(2018年10月18日)

白杖

目が見えづらくなってきた若者からメールで相談を受けた。
僕はすぐに返信をしたがメールの不具合で届かなかった。
彼がどこに住んでいるのかは分からないが、
年齢は20歳を超えていると書いてあった。
家族が勧めてくれても白杖を持つことができないとの内容だった。
僕は自分が初めて白杖を持った頃を思い出した。
20年程前、ライトハウスで白杖での歩行訓練を受けたのがきっかけとなった。
最初はその姿を受け入れることができなかった。
他人の目が気になった。
知り合いに見られたくないとも思った。
それは僕だけではなかった。
とりあえず訓練を受けるけれど、少しでも見えるうちは使わない。
夜だけしか使わない。
自宅の最寄り駅までたどり着いたら、
白杖を折りたたんでリュックサックにしまい、見えるふりをして歩く。
40名ほどの訓練生の中で多くの人達が白杖を拒んだようだった。
20年の間に社会は少し変わった。
ハードルは少し低くなったのかもしれない。
街を歩けば、白杖の人とすれ違うことも増えた。
視覚障害者の数が増えたわけではない。
持ちやすい雰囲気になってきたのだろう。
でもまだまだ一部だし地域差も大きい。
僕達の問題ではなくてそれを受け入れる社会の側の問題なのだろう。
簡単には変わらない。
僕が後輩に言えることって少ししかない。
とりあえず、持てば安全度は高まります。
周囲が気にかけてくれます。
技術を習得すれば、歩行能力も高まり活動範囲も広がります。
そして僕の周囲には白杖を持って素敵に生きている人達がたくさんいます。
かっこいいと言われる人もいます。
可愛いと言われる人もいます。
そして使っている人達は手離せない道具となっています。
白杖に感謝さえしています。
僕も感謝しています。
白杖を持っての人生、それなりの幸せもありますよ。
その人次第だと思います。
(2018年10月15日)

デクノボートヨバレ

十人以上の人とはすれ違った。
十人以上の人に追い越された。
僕は慣れない駅の階段を下りていった。
「お手伝いします。」
階段を下りたところで若い男性が声をかけてくれた。
僕は四条駅方面の乗り場を尋ねた。
彼の答えは「ありがとうございます。」から始まった。
その次に自分のフルネームを僕に教え、そして四条方面の乗り場を説明してくれた。
少し変わった人なのかなとだけ思った。
同じ方向に行くという彼と一緒に電車に乗った。
彼は空いている席を見つけて僕を案内した。
ただ、僕にどう説明するかは戸惑っていた。
僕は白杖を使って前方の空席を確認して自力で座った。
他にも空いている雰囲気の車内だったが彼はずっと僕の前に立っていた。
僕の近くにいることが大切だと感じているようだった。
電車が四条駅に着いた。
「着きました。」
彼はそれだけを僕に伝えた。
僕は彼と一緒に改札口へ向かった。
彼は途中の階段を伝えるようなことはできなかった。
僕は白杖を駆使しながら歩いた。
「学生さんですか?」
僕は尋ねてみた。
「はい。障害者職業訓練学校です。」
なんの勉強をしているのかとの問いには、様々な作業の内容が出てきた。
彼が知的障害であることが理解できた。
改札口を出たところで僕は彼に感謝を伝えた。
「貴方のお陰で無事着きました。助かりました。
友達とここで待ち合わせているから後は大丈夫です。
ありがとうございました。」
彼はしばらく言葉を探していたようだった。
「うれしいです。失礼します。ありがとうございます。」
彼はやっと見つけた言葉を僕に伝え深々と頭を下げた。
助けてくれた彼が助けられた僕に頭を下げていた。
それに気づいた瞬間、目頭が熱くなった。
僕はもう一度感謝を伝え、
彼よりも深く頭を下げた。
やがて彼は人波に消えていった。
僕は友達がくるまでの時間をそこで過ごした。
白杖を持って立ちすくんでいた。
また何十人、いや何百人もの人達が僕の横を通り過ぎていった。
声をかけてくれる人はいなかった。
ふと宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の一節を思い出した。
「ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ」
知的障害になりたいと思ったのではない。
彼みたいな人間になりたいと思ったのだ。
(2018年10月11日)

大失敗

「僕がまだ見えていた頃、
障害のある方に声をかけて
お手伝いする勇気はありませんでした。
こうして見えない世界で生きるようになって、
サポートの声に本当に助けられています。
そしてその声で心までが幸せになったりもします。
これからも困っていそうな僕達の仲間を見かけたら、
今日のように声をかけてあげてくださいね。
宜しくお願い致します。」
僕の上着の胸ポケットにはいつもこの「ありがとうカード」が入っている。
お手伝いをしてもらった時などできるだけ渡したいと思っている。
ただ渡すタイミングもあるし結構難しい。
電車の中で座席に案内してもらった時などは、
座った時点でもうその方を見失っていることが多い。
音と雰囲気だけの確認なのだから仕方ない。
先日は一日で4枚のありがとうカードを渡せた。
そんな日は僕自身もいい気分になっている。
数日経ってからふと思い出した。
ドラッグストアで買い物をした時、割引券を同じポケットに入れた。
ありがとうカードとほとんど同じサイズの割引券だった。
割引券やポイントカード大好きの僕は専用のカード入れを持っていて、
だいたい直後にそこに片付ける。
その日は急いでいてついポケットに入れてしまったのだ。
そして忘れてしまっていた。
あの割引券はどこにいったのだろう。
「ありがとうの気持ちです。受け取ってください。」
そう言いながら誰かに渡してしまったに違いない。
大失敗をしたことになる。
恥ずかしいなぁ。
10%の割引券で喜んでくださったとは思えない。
変な人って思われただろうな。
今度出会ってももうサポートはしてくださらないかもしれない。
どんなに急いでいても割引券を胸ポケットに入れるのはもうやめよう。
必ず確認をするようにしよう。
割引券をもらうのをやめようと思わないところが僕のいいところです。
変な人といううわさが広がらないように祈るだけです。
(2018年10月7日)

確信

7時に家を出て最寄りのバス停よりも遠いバス停までわざと歩いた。
晴れ渡った朝の空気の中で目的があった。
そして確信もあった。
僕は白杖を左右に振りながら鼻をピクピクさせながら歩いた。
横断歩道を渡り、なだらかな坂道を降りて行った。
小川のせせらぎの音を聞きながら橋を渡った。
しばらくして僕の足が止まった。
僕の確信はやはり正しかった。
微かにキンモクセイの香りが漂っていた。
鼻腔は脳に直結している。
一瞬で幸福感が僕を包んだ。
それから僕は笑顔で歩いた。
バス停に着いて間もなくバスがきた。
結構混んでいる雰囲気だったので手すりを持った。
「ひとつだけ空いてますけど座りますか?」
女性が声をかけてくださった。
僕は喜んで座ることにした。
「それから、ズボンにひっつき虫がいっぱいついていますよ。」
彼女はそっと教えてくださった。
座席に座ってズボンを触ったら凄いことになっていた。
さっき歩いたせいだった。
でもなんとなくうれしかった。
秋がひっついてくれたような気になった。
バスは終点の桂駅に着いた。
さっきの女性が花壇の横の座れるところまで案内してくださった。
僕は彼女にお礼を言って別れた。
それからひっつき虫をひとつひとつ取った。
急いではいたが、全部取り終わってから空を眺めた。
どうしても眺めたくなっていた。
僕は顔をあげて空を見つめた。
澄んだ秋の空があった。
薄青色の空だった。
これも確信があった。
時間にしたらほんの数秒だっただろう。
空を見つめていたら涙がこぼれそうになった。
悲しいのかうれしいのか自分でもわからなかった。
確信はないから秋のせいということにしておこう。
(2018年10月4日)

人生の先輩

「70歳になって宿題があります。」
ライトハウスで訓練を受けている先輩からメールが届いた。
視覚障害者としては僕が先輩だが人生では彼女が先輩だ。
彼女の近況報告はユーモラスに書かれてはいたが、
そこには現実を受け入れて前に進んでいく姿があった。
僕が失明したのは40歳の頃だった。
体力も気力も充実していた。
年齢とかどの部分がとかを論じても意味がないことは知っている。
でも還暦を過ぎてからの障害はまた違う難しさがあるのは想像できる。
次の一歩を踏み出すのにエネルギーは必要だ。
それでも人は結局は歩きだしていく。
人間の生きる姿は美しいといつも思う。
歩きだしながら本来の自分を取り戻していくのだろう。
いや見えても見えなくても変わらない自分に気づくのかもしれない。
「この歳になって、その上見えにくくなった私に出来ることは一つ。
祈ることだけです。
私にかかわって頂いておられる方々、日々祈っています。
又、どこかでお会いできたら嬉しいです。」
人生の先輩はやはり先輩だ。
生きていく美しさを僕に思い出させて、どこに向かうかもそっと教えてくださった。
やっぱり人間って素晴らしい。
先輩が無事訓練を終えられることを心から祈っている。
(2018年10月2日)

コスモス

彼女は突然道の端に僕を誘導した。
それから僕を屈ませた。
僕は彼女の言うがままに手を伸ばした。
「もうちょっと伸ばしてください。」
僕は指先まで伸ばした。
僕の指先にコスモスの花弁が触れた。
「ピンクの花弁ですよ。」
彼女はうれしそうに笑った。
僕も笑った。
白も紫もあった。
濃いピンクも薄いピンクもあった。
見えない僕を色々なコスモスが取り囲んだ。
僕は葉っぱも触った。
もう20年も見ていないコスモスの花がまるでさっき見たかのように蘇った。
僕の記憶力とか想像力とかではない。
僕に教えてあげようとする彼女の思いのせいだろう。
僕に見せてあげたいと願う彼女のやさしさのせいだろう。
僕はただうれしいと思った。
小さい秋見つけた。
小さい秋見つけた。
小さい幸せ見つけた。
僕の心が秋色に染まった。
(2018年9月28日)

お彼岸

仏花で飾られた仏壇の前で正座する。
白檀の線香の香りが鼻腔から脳に流れてくる。
鐘をたたき静かに合掌する。
目を開けても閉じても変化はないのに何故か自然に目を閉じる。
父ちゃんの顔が浮かぶ。
祖父ちゃんの顔も祖母ちゃんの顔も浮かぶ。
自分の顔は忘れたのに不思議な気がする。
厳しかった父ちゃんが微笑んでくれている。
それだけで僕はうれしくなる。
正月には神社に参拝しクリスマスには教会にも行ったりする。
仏教徒というほどの自覚もない。
信仰の中にいる人に会うと素敵だと思う。
でも自分自身には特別な宗教心はない。
命が尽きたら土に帰っていくのだろうとどこかで思っている。
それでも父ちゃんの月命日やお盆やお彼岸には必ず花を供え掌を合わす。
ただの慣例行事というようなものでもない気もする。
掌を合わすと心が静かに呼吸し感謝の気持ちが膨らむのは間違いない。
感謝は突き詰めれば自分の生命への感謝なのかもしれない。
「また明日も与えられた命のままに生きていけますように。」
祈りを終えて目を開く。
(2018年9月24日)

新米

「彼岸花が道端の斜面に寄り添って咲いていました。」
短いメッセージと一緒に届いたのは新米だった。
彼女の家の田んぼで穫れたものだった。
大学時代の同級生だった彼女は偶然、インターネットで僕の失明を知った。
卒業して30年以上経ってからだ。
30年の間には賀状のやりとりさえなかった。
おぼろげな記憶の中の同級生だった。
僕達は30年という時間を越えて再会した。
それからこうして時々思い出してはエールを送ってくれる。
特別な関係でもなかったし宝物のような思い出があるわけでもない。
人生の中でほんの一瞬の交差だったに違いない。
それでも人は心をつなぐ。
やさしさと思いやりが織りなしていくのが愛なのだろう。
それぞれの人生への愛だ。
20歳の頃の彼女が記憶の中で控え目に微笑む。
長閑な初秋の風景によく似合う。
僕は彼女に感謝し僕自身の人生に感謝する。
今年も秋が訪れた。
(2018年9月22日)

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