鹿児島弁

先日の会議で頂いた名刺を確認した。
見えない僕には裏表も上下も分からない。
とりあえず、名刺を机の上に置いた。
それから、スマートフォンのカメラ部分をその方向に向けた。
そして話しかけた。
「これ読んで。」
スマートフォンはほぼ完璧に読んでくれた。
子供の頃、ワクワクしながら見ていた鉄腕アトムの世界が現実になってきている。
化学の進歩というのは凄いことなのだ。
写真のアプリを使えば、撮影された風景をスマートフォンが説明してくれる。
でも、同じ説明でも人間にしてもらった方がうれしく感じるのは何故だろう。
人間の言葉にはぬくもりがある。
人間の声にはぬくもりがある。
ぬくもりに出会うとうれしくなる。
故郷の言葉を聞くとうれしくなるのはそういうことなのだろうか。
今日、電車の中で鹿児島弁の会話を耳にした。
そっとうれしくなった。
(2020年2月25日)

のどか

白杖でバス停の点字ブロックを探した。
僕はその上に乗って深呼吸をした。
のどかな光を顔に当たるぬくもりで感じていた。
そよ風さえものどかだった。
「何番に乗るの?」
突然、少し離れたところから声がした。
バス停の待合の椅子に座っていたおばあちゃんだった。
横に座るように勧められたが、立ったままで会話を続けた。
彼女は最近膝が痛くて出かけるのがおっくうになったことなどを話してくださった。
話の途中にバスが近づくと、その行先と番号をしっかり教えてくださった。
それから、どこの病院が新設だとか話を続けられた。
風が気持ちいいとかの話題もあった。
「ブゥー。」
突然、でも確かに聞こえた。
「ごめんごめん。聞こえてしもたなぁ。
年取るとお尻までいうこときかんなぁ。」
おばあさんのおならだった。
「春だからいいですよ。」
僕は咄嗟に訳の分からない返事をした。
「そうかぁ。春やしなぁ。」
おばあさんも何となく納得されたようだった。
僕は心の底からのどかさを感じてうれしくなった。
(2020年2月20日)

笑顔

講師陣は愛媛、大阪、京都、埼玉、東京から集合した。
受講生は鹿児島からも北海道からも、日本の各地から参加してくださった。
同行援護を勉強するための当事者対象の研修会が東京で開催されたのだ。
同行援護というのは視覚障害者にとってとても大切な制度だ。
同行援護の資格を取得したガイドヘルパーさん達が視覚障害者の外出をサポートして
くださる。
ガイドヘルパーさんのサポートによって安心して外出ができるのだ。
ガイドヘルパーさんがおられなかったら、買い物も通院もままならないという方もた
くさんおられる。
とにかく、視覚障害者にとってはとても大切な制度ということになる。
それを学ぼうという当事者の方々のモチベーションは高い。
僕は講師役なのだが、教えることより教えられることの方が多い。
受講生の中には元々聴覚障害でありながら視覚障害になってしまったという盲ろうの
女性がおられた。
彼女には盲ろう者通訳・介助員という専門家の方が同行してサポートしてくださって
いた。
僕達が話したことを彼女の微かに見える目の前で手話をされたり、彼女がその手話を
触って確認したりして伝え合うのだ。
通訳の方は彼女が少しでも見えやすいようにわざと黒い上着を着ておられた。
僕は彼女に挨拶をした。
それから握手を求めた。
僕達はしっかりと手を握り合ってお互いを確認した。
「頑張ります。」
通訳・介助員の方が彼女の言葉を僕に伝えてくださった。
それから、彼女の笑顔を教えてくださった。
それを知った僕も笑顔が弾けた。
見えない聞こえない、イメージだけだと大変さを先に思ってしまう。
そして実際に大変なことなのかもしれない。
ついついお気の毒にとか可哀そうという感情につながりやすい。
ただ、現実に生きている本人に会えば、その命のきらめきの方がはるかに大きいこと
に気づく。
そしてその気づきはこちらの幸せ感にもつながり生きる力にも変化していくのだ。
彼女の笑顔に、そしてその笑顔をさりげなく会場に溶け込ませてくださった関係者の
皆様に心から感謝したい。
(2020年2月15日)

雪ウサギ

グーグルホームの目覚ましの音で目が覚めた。
「OKグーグル、目覚ましとめて。」
僕はベッドの中から声を出した。
それからいつものようにぼぉっとしながら起き上がるための小さな勇気を探した。
特に寒い冬はなかなかベッドから出れない。
幾度も現在時刻をグーグルに尋ねながらの朝の始まりだ。
そしてふと気づいた。
いつもと違う静寂だ。
「雪が積もっている!」
僕は確信した。
そして飛び起きた。
上着を羽織ってベランダに出た。
それからベランダの手すりにそっと手を触れた。
人差し指がうっすらと積もっている雪を感じた。
僕は幾度も指を動かして雪を感じた。
うれしくなった。
ほんのわずかな時間の中で、
子供の頃に作った雪ウサギの映像が蘇った。
木の葉で耳を作った。
赤い目玉はナンテンの実だっただろうか。
誰が創り方を教えてくれたのだろう。
父ちゃんだったのだろうか母ちゃんだったのだろうか。
雪ウサギの向こう側に父ちゃんと母ちゃんの顔を思い出した。
やっぱり僕は雪が大好きだ。
(2020年2月10日)

フルート

中学校での講演を終えて近鉄向島駅まで先生方に車で送ってもらった。
生徒達に伝える機会を頂いたことへの感謝を伝えて先生方と別れた。
有人改札口で駅員さんにチケットの購入を手伝っていただいた。
それからホームに続く階段に向かった。
この駅は一応の地図が頭に入っている。
毎年前期だけ週一回、この駅の近くの専門学校に通勤しているからだ。
それでも見えていないのだから点字ブロックを利用しながら慎重に歩く。
階段の始めと終わりは白杖で確認する。
踊り場で一旦立ち止って白杖で次の階段を確認した時だった。
「階段です。」
隣から小さな声が聞こえた。
恥ずかしそうに、それでも伝えたいという感じの声だった。
僕はお礼を伝えながら、電車の車内への誘導をお願いした。
目的地までは距離があるので座りたいと思ったからだ。
電車が到着するまでのわずかな時間、僕達は少しだけお互いの自己紹介をした。
彼女は音楽を専攻している大学生だった。
フルートをやっているとのことだった。
フルートが似合いそうな学生さんだなと思った時だった。
「空が真っ青でとても綺麗です。雲一つありません。」
彼女は唐突に僕に空を教えてくれた。
僕達はほんの数十秒、一緒に空を見上げた。
冬枯れの真っ青な空が頭の中で蘇った。
心が晴れ晴れとなっていくのを感じた。
今日中学校に向かう時の電車ではずっと立っていた。
声をかけてもらって誘導してもらった時だけ座れる。
座れる日の方がはるかに少ない。
もう慣れているし特別に辛さを感じるわけでもないが、
ほんの少しだけ、それぞれが参加しやすい社会になればいいのにという思いはある。
そのために活動しているのも事実だ。
こうしてたまにあるささやかな出会いが僕に勇気をくれている。
彼女が吹くフルートの音色を聴いてみたいと思った。
(2020年2月5日)

初老

「松永さん、おはようございます。」
ラッシュアワーの人込みの中で彼女は僕を見つけてくれた。
僕は右手で白杖を使いながら階段を下りている最中だった。
朝の駅の階段は急流のように人波が動いていた。
彼女は波をかいくぐって僕の左に着いた。
僕の動きに合わせながらそっと彼女の右手が差し出された。
僕達は当たり前のように一緒に階段を下りてホームに到着した。
それから少しでも混雑の少ない場所に移動した。
「今日は大学ですか?」
僕の活動を知っている彼女が尋ねた。
「今日は午前中に国際会館の近くの小学校、午後から専門学校だよ。
だから烏丸で地下鉄に乗り換えだね。」
僕は直近の経路を説明した。
「私、四条烏丸の会社なので地下鉄の改札まで一緒に行きますね。」
自分の出勤時間と駅の込み具合などを計算しながら彼女が出した答えだった。
小学校の時に出会った彼女はもう一児の母となっている。
「よく頑張らはりますね。」
僕の活動歴を知っている彼女の感想だった。
「中年フリーターだから仕方ないね。」
僕は笑った。
「中年ではなくて初老のですね。」
彼女は悪戯っぽく笑ってちゃかした。
僕達は到着した電車に飲み込まれて烏丸に向かった。
地下鉄の改札まで送ってもらって彼女と別れた。
「気をつけていってらっしゃい。」
背中から彼女の声が聞こえた。
今日出会う子供達の中から将来の彼女が育っていくだろう。
正しく知る機会があるかないかはとても重要だ。
でも、その時、僕は初老ではなくて後期高齢者ということになるのだな。
もう活動はしていないだろうけど、それまで元気でいたいなと思った。
(2020年2月4日)

公共交通機関

桂川駅の改札口で駅員さんにチケットを見せながらお願いした。
「京都駅から新幹線利用です。
品川経由で常磐線の北千住駅までのサポートをお願いします。」
「少し時間がかかるので、構内の椅子に座って待っていてください。」
若い駅員さんの返事だった。
少し時間がかかるのは当たり前なので余裕を持って駅には到着していた。
「椅子はどこにあるかも空いているかも分からないので案内してください。」
僕は笑顔でお願いした。
こういう繰り返しで理解が深まっていくのだ。
駅員さんは快く案内してくださった。
しばらくして椅子まで迎えにきてくださった。
「すべて連絡が終わりました。
26分発の京都行の電車に乗車してもらうのでホームに移動しましょう。」
僕は駅員さんの肘を持たせてもらってホームに移動した。
「二駅だけですから立っていますので、乗車したら手すりを教えてください。」
僕は駅員さんにお願いした。
電車が到着して予定通りに乗車した。
「ありがとうございました。」
ドアが閉まる直前、僕はサポートしてくださった駅員さんに感謝を伝えた。
電車が京都駅に着くと、ホームには京都駅の駅員さんが待っていてくださった。
「階段でもエスカレーターでも何でも大丈夫です。」
僕は駅員さんの肘を持ちながら伝えた。
「じゃあ、近い場所にあるエスカレーターで動きましょう。」
これはちゃんと伝えないと、時々遠いところにあるエレベーターまで案内されること
になってしまうのだ。
新幹線の改札口で駅員さんの交代があった。
JR西日本の駅員さんからJR東海の駅員さんへのバトンタッチだ。
東海の駅員さんとホームに移動した。
間もなく予定ののぞみ号が到着した。
乗降口で、僕は東海の駅員さんから新幹線のパーサーにバトンタッチされた。
指定席に案内してパーサーがおっしゃった。
「品川駅までですね。また近くなったら迎えに参ります。」
僕はいつも窓側の指定席をとることにしている。
通路側だと窓際のお客様の出入りに気を使わなければならない。
窓側だとのんびり座れる。
それにコートをかけることもできるし、パソコンで仕事する時のコンセントもある。
東京までの2時間、パソコンで仕事をしていることが多い。
今回もそうして時を過ごした。
アナウンスが品川駅を案内すると同時にパーサーが迎えに来てくださった。
そしてデッキまで案内してくださった。
品川駅のホームにはやはり駅員さんが待機していてくださった。
東海の駅員さんから東日本の駅員さんへバトンタッチ、そうして常磐線の電車に乗せ
てもらって北千住駅に到着した。
改札口には講演にお招きくださった高校の先生と笑顔の生徒達が待っていた。
学校の授業の一環でガイドヘルパーの資格を取得した生徒達だった。
高校生で資格を取得するのは全国的にも珍しいことだが素晴らしい取り組みだ。
担当の高校生は堂々と僕をサポートしてくれた。
その光景を想像してかっこいいと思った。
無事、学校に到着した。
公共交通機関のある場所なら、基本的にどこでも一人で出かけることができる。
新幹線でも在来線でも飛行機でも同じだ。
北海道の高校にも鹿児島県の高校にも一人で出かけた。
昔はそんな訳にはいかなかっただろう。
社会が成熟してきているということなのだろう。
今日往路だけでも7名の駅員さんのサポートを受けた。
心から感謝したい。
(2020年1月29日)

バイバーイ

たまたまそうなるだけのことなのだがハードスケジュールになることがある。
今もその状態だ。
早朝から夜までの仕事が続く。
二週間くらいは休みはない。
その間に数日は京都を離れる。
移動距離はどれくらいになるのだろう。
出会う人の数も半端じゃない。
先を考えるとちょっと辛くなったりするので考えない。
今日と明日の予定だけを確認して過ごしている感じだ。
楽天家という性格もいいのだろう。
それでも気休めみたいに栄養ドリンクを飲んだりする。
今朝も7時過ぎには家を出た。
健康を意識してバス停二つ分は歩いた。
バスと電車を乗り継いで大学に向かった。
学生の成績確定のために教務課との打ち合わせだった。
それが終わって京都駅に買い物に行った。
夜に打ち合わせで出会う関係者へのお土産を買うためだ。
岐阜県と島根県からの来訪者なのでほんの少し京都の香りを届けたいと思ったのだ。
買い物はガイドさんに手伝ってもらって無事終了した。
そこからはまた単独でさわさわに向かった。
理事長なのでたまには覗かなければと思ってはいるがなかなか時間が取れない。
せめて一か月に一度はと思っている。
一時間程過ごしてから地下鉄で九条駅まで向かった。
中学校での講演の予定が入っていた。
改札口で先生と待ち合わせて学校まで歩いた。
約二時間、中学生達との楽しい時間を過ごした。
「困っていそうな視覚障害者を見かけたら声をかけます。
皆が暮らしやすい未来を私達が創っていきます。」
最後に挨拶をした生徒は自分の言葉で心を語った。
僕は清々しい気持ちで学校を後にした。
夕方の会議のスタートまで約一時間、地下鉄とバスを乗り継いでライトハウスまで行
かなければならない。
九条駅は年に数回しか利用しないので頭の中に地図はない。
点字ブロックを確認しながら慎重に歩いた。
こんな時こそ慌てるのが危険と自分に言い聞かせている。
見えないで歩いているという事実を客観的に認めるのが大切だ。
ホームの点字ブロックを確認して安心した。
それから、その先のルートを頭の中でシュミレーションした。
北大路駅で電車を降りてバスターミナルに移動するには、
ホーム上を現在の電車の先頭位置から最後尾まで移動しなければならない。
また慎重に歩かなければと気合を入れた時だった。
「駅の係り員ですが、乗車されるまで横で見守ります。」
声をかけてくださった。
白杖を見かけて来てくださったのだろう。
僕は感謝を伝えながら、ホームの端までの移動のサポートをお願いした。
駅員さんは僕が線路側を歩くことになるので左右入れ替わった方がいいのではと提案
されたが、
それは歩きにくくなってしまうことを説明した。
それから駅員さんの後ろで一列になるようにして歩いた。
端まではだいぶ距離があった。
「電車は今隣の駅に着いたところですから、十分間に合いますからね。」
駅員さんはそう言いながらゆっくりと歩いてくださった。
「最後尾に着きました。」
駅員さんの言葉と電車到着のアナウンスが同時に流れた。
間もなく電車がホームに入ってきた。
「席が空いているので案内します。」
駅員さんは一緒に電車に乗り込んでドアの近くの席に案内してくださった。
北大路駅までの20分を座って過ごせることになったのだ。
「ありがとうございました。助かりました。バイバーイ!」
電車を降りていかれる駅員さんに僕は大きな声でお礼を伝えた。
ちゃんと伝えたかったので周囲に聞こえる大きな声になってしまった。
ドアが閉まる時に我に戻った。
僕は笑顔で駅員さんの方に向かってバイバイと手を振ってしまっていたのだ。
よっぽどうれしかったのだろう。
それからその光景を想像して少し恥ずかしくなった。
子供みたいにバイバイってしてしまっていたのだ。
これも見えていないからできてしまったということなのかなぁ。
でも、しっかりとお礼を伝えられたのだからいいことにしようと自分に言い訳をしな
がら乗車時間を過ごした。
悲しみは疲れを倍増させてしまう。
うれしい気持ちは疲れを吹き飛ばしてくれる。
僕は気持ちをリセットしてライトハウスに向かうバスに乗った。
駅員さん、ありがとうございました。
(2020年1月25日)

暖冬

この季節、ユニクロの腰丈まであるダウンコートを着て歩いていることが多い。
朝出かける時は丁度いい感じだ。
ところが日中になると少し暑くなってしまう。
大寒の時期だというのにどうなっているのだろう。
子供の頃に日本は温帯気候と教わったが亜熱帯気候に近くなっているように感じる。
温暖化のニュースを聞きながら人間と言う生き物の愚かさを悲しく感じる。
僕もその一人なのだ。
今年はまだ雪を見ていない。
雪の風景を想像しようと試みてもなかなかうまくいかない。
あの顔に当たる感覚と冷たさが記憶を呼び戻してくれるのだろう。
粉雪が頬に当たる瞬間、幸せな瞬間だ。
残された冬の日、出会えますように!
(2020年1月21日)

たぬき

友人が連れていってくれたお店はわら天神の近くだった。
昔ながらの食堂という感じのお店だった。
いつも混んでいるとの前情報だったが、やっぱり混んでいた。
老若男女、いろいろなお客さんがおられた。
なんとなく懐かしい雰囲気だった。
友人のお勧めの「たぬき」を頼んだ。
京風の薄味のおだしであんかけになっていた。
その上にすりおろした生姜がたっぷりのっていた。
友人がお箸で溶いてくれた。
うどんは柔らかかった。
最近は腰があるのが多くなっているが、子供の頃食べていたのはこのうどんだった。
刻んだおあげと少しのネギがアクセントになっていた。
フーフー言いながら食べた。
飾り気のない味が胃袋にしみていった。
愛され続けてきた味なのだと感じた。
おだしも飲み干してしまった。
食べ終えて、薄めのお番茶で口を整えた。
この幸せが640円。
身体も心もあたたまった。
この年になって味覚は少し成熟したような気がする。
値段にも見た目にも惑わされなくなった。
いや、見た目はたまたま見ていないだけなんですけど。
見えなくなっても食いしん坊は進化するってことかなぁ。
(2020年1月16日)

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