夏至

最近はzoomでの会議が多かったので久しぶりの東京だった。
早起きしてコーヒーだけ飲んでタクシーで桂駅に向かった。
阪急と地下鉄を乗り継いで7時前には京都駅に着いた。
僕は京都駅で高田馬場までの援助依頼をした。
高田馬場にある日本視覚障害者連合での10時半の会議に間に合わなければいけない。
ガイドさんと高田馬場駅早稲田口で10時に待ち合わせだった。
計算上は間に合うはずだが気持ちは少し焦っていた。
京都駅の駅員さんと新幹線ホームに急いだ。
予定ののぞみ号まで10分弱の時間があった。
僕の乗車する6号車まではだいぶ歩かなければいけなかったが、
僕達はスムーズに動けたので3分程の余裕を持って到着できた。
駅員さんの肘を持ったまま、ただ無感覚でホームに立っていた。
突然、駅員さんは何の脈絡もなくおっしゃった。
「きれいな青空です。今日は夏至ですね。」
僕は下を向いて立っていたことに気づいた。
そっと空を見上げた。
ふと朝の風も感じた。
望み号がホームに入ってきた。
「気をつけて行ってらっしゃい。」
乗車口までサポートしてくださった駅員さんがおっしゃった。
「ありがとうございました。行ってきます。」
僕は元気に答えた。
いい会議になりそうな予感がした。
(2021年6月23日)

ウグイスさん

いつもの散歩道、久しぶりに歩いた。
雨の日、暑い日は散歩を控えているので最近は週に2回くらいのペースだ。
春に気づいた時と同じ場所でウグイスの鳴き声に気づいた。
あのウグイスさんだ。
僕はすぐに確信を持った。
そしてとってもうれしくなった。
春に出会った頃、ウグイスさんはまだ下手な鳴き方だった。
「ホー」があったりなかったり、「ケキョケキョ」だったりした。
それでも一生懸命に鳴いていた。
僕は「がんばれ、がんばれ。」
幾度も心の中でエールを送った。
立ち止って聞きながら、そっと声に出して応援した日もあった。
いつの間にこんなに上手になったのだろう。
「ホーホケキョ」だけではなかった。
谷渡りも交えながら、幾度も鳴いてくれた。
いや、楽しそうに歌ってくれた。
僕は立ち止って聞き入った。
「凄いね。よくがんばったね。」
白杖を脇にはさんでそっと拍手をした。
何か元気が出たような気がした。
何をという事ではないけれど、
僕も頑張らなくちゃと思った。
(2021年6月19日)

枇杷

何年ぶりだろうか。
枇杷を食した。
むしゃむしゃと食べたのではなく、ひとつひとつをゆっくりと味わった。
皮をむきながらほんのりとした枇杷の香りに気づいた。
指先で皮を感じながら丁寧に剥いていった。
色々な黄色が脳裏に浮かんだ。
淡い黄色から玉子の黄身の黄色まで濃淡それぞれの黄色が浮かんだ。
朧気な記憶ではどれが本物なのか分からなくなってしまっていることに気づいた。
20年以上も見ていないということはこういうことなのだろう。
種を指先で除いたら今度は茶褐色を思い出した。
掌に載せてもう少し黒に近かったかなと思いを巡らせた。
その時間が豊かであることをふと自覚した。
手間をかけて準備した割には食すのはあっという間だった。
飲み込むのを少しためらいながらわざとゆっくりと味わった。
特別に美味とは思わない。
ただこの季節だけの風味が心に浸み込んだ。
見えていても見えていなくても、そこは変わらないのは幸せだと思った。
(2021年6月14日)

大切なもの

同行援護養成研修、いろいろな立場の人が参加しておられた。
資格を取得してガイドヘルパーとして働きたいという人が一番多かったが、
学ぶために受講したという人もおられた。
介護福祉士養成の専門学校の学生、視能訓練士、大学の点訳サークルの学生、
家族や知人に視覚障害者がいると言う方もおられたし、持病を抱えて生きているとい
う方もおられた。
外国人もおられたし海外で生活しているという日本人もおられた。
老若男女、いろいろな人生が同じ空間で同じ目的の中で交差した。
そこに生まれたのはお互いを理解しようという人間同士の思いやりだった。
アイマスクを装着してペアの人にサポートしてもらいながらの戸外での実習という体
験も影響したのかもしれない。
講座が深まるにつれ、僕自身の心もどんどん浄化されていくのを感じた。
爽やかになっていった。
帰宅してパソコンを開けたら、友人からのメールが届いていた。
「本当に大切なものは目には見えない。」
サンテグジュペリの『星の王子さま』の一節だった。
僕は大切なものをたくさん見れるのかもしれないとふと思った。
(2021年6月10日)

支援者

小学校の福祉授業にお招き頂いた。
担当の先生と地下鉄北大路駅の北改札口で待ち合わせだった。
たまにしか利用しない改札口だったので、僕は余裕をみて動いた。
慌てない、急がない、これも安全な移動の秘訣だ。
ただ、そんな時に限ってスイスイ行くのだから不思議だ。
僕は待ち合わせより30分も早く着いてしまった。
どこかで腰かける場所を探すというのも見えない僕にはエネルギーが要る。
結局、ただ立ち尽くして待つことが多い。
今回もそうした。
改札口の点字ブロックを数歩離れた場所で待つことにした。
他の人の迷惑にはならないと感じた場所だった。
5分も経たない時だった。
「松永先生ではないですか?」
男性の驚いたような声だった。
その声で僕も誰だかすぐに分かった。
もう退職されていたが高校の先生だった。
現役でやっておられた頃、幾度か僕を学校に招いてくださった。
一緒にお弁当を食べたり、喫茶店でコーヒーをご馳走になったこともあった。
限られた時間ではあったが、毎回楽しく会話した思いでがある。
出会ってからの時間はもう10年以上となる。
僕達はお互いの近況を報告し合った。
そして一緒に生徒達に向かい合った頃を懐かしんだ。
握手したくてムズムズする手を我慢させながらいろいろ話した。
またいつかどこかでの再会を約束して別れた。
それから間もなく待ち合わせの小学校の先生が来られた。
「待ちましたか?」
「いや、今着いたところですよ。」
僕は大人の対応をしながら先生の手引きで歩き始めた。
久しぶりに再会した友達のように笑いながら歩いた。
何の違和感もなくエスカレーターも利用した。
その先生と出会ってからももう20年くらいの時間が流れていることに気づいた。
人生の途中で経験した失明、やっぱり大変だった。
いろいろな思いもした。
なかなか参加できにくいと感じた社会があった。
そして、社会にメッセージを送りたいと思うようになっていった。
それが僕のライフワークだとさえ思うようになっていった。
見えなくなった僕達も参加しやすい社会が目標だ。
こうしてブログを書くのも本を執筆するのも目的は同じだ。
僕の視線の先には未来がある。
だからこそ、直接出会って話を聞いて欲しいという思いはいつもある。
でもそれは僕の力だけではどうしようもない。
いろいろな人達のご尽力のお陰でここまで活動を続けることができた。
それによって蒔くことができた未来への種は数えきれない。
本当に有難いことだと思う。
お一人お一人に心からお礼を伝えたい。
支えて援助してくださる人達、やっぱりいつ会っても輝いて生きておられる。
僕もそうありたい。
(2021年6月5日)

前向き

「どうしてそんなに前向きになれたのですか?」
大学生からの質問を僕は自分自身に問いかける。
実は僕自身は前向きなんて思っていない。
前向きになりたくてもどっちが前かさえわからない。
時が解決してくれるという言葉があるけれど、
見えなくなってもう25年にもなるのに解決なんてできていない。
悔しかったり悲しかったりの思いは日々僕の魂を襲う。
まるでからかうように僕の心を嘲笑う。
煩悩の塊だ。
あきらめの気持ちとあきらめられない気持ちがもつれる。
生きていくということはきっと幸せを求めるということなのだろう。
それはどんな空間でもどんな時でもどんな条件でも同じなのだと思う。
ただそうやってもがきながら呼吸をする。
笑いながら鳴きながら呼吸を続ける。
そんな日常の繰り返しの中で幸せはそっとかくれんぼする。
気づいたら、それはささいなこと。
とってもとってもささいなこと。
そして確かに生きていると想えること。
ふと気づいた。
歩けば足は前に出る。
後ろに歩くなんてできない。
歩くということは勝手に前に向かうということなのだ。
生きるということは勝手に前を向くということなのかもしれない。
(2021年6月1日)

今宵晴れていれば

メールの題名は「今宵晴れていれば」だった。
全盲の友人からのメールだった。
皆既月食のニュースをラジオで聞いていてうれしくなったらしい。
見える人に伝えるのは照れくさかったのだろうか。
僕にそっと伝えてくれた。
実は僕もそのニュースに気づいていた。
しかもスーパームーンということだったので余計にワクワクした。
見えない僕達には無縁の話題だと思われがちだがそんなことはない。
見えないからこそその映像に魅かれるのかもしれない。
メールをくれた後輩も昔は見えていた。
どこかで見た月を憶えているのだろう。
僕もはっきりと憶えている。
美しさに見とれたことは幾度もある。
忘れられない思いでだ。
「情報ありがとう。うれしかったよ。」
僕は知らなかったふりをして彼に返信した。
今宵晴れていても晴れていなくても、僕達はそれぞれの思いでの月を愛でるのだ。
(2021年5月27日)

読書

高校を卒業した頃だったと思う。
読書好きだった友人達に刺激されたのだろう。
太宰治、坂口安吾、柴田翔、どんどん読みふけるようになっていった。
そのうち、渡辺淳一、五木寛之、瀬戸内寂聴など売れっ子作家から新人作家の本まで
読み漁るようになっていった。
本屋さんに立ち寄るのは生活の一部のような感じだった。
まさに文字中毒のような状態が35歳過ぎくらいまで続いて、その後はまったく読まな
くなった。
視覚障害者で読書が趣味という方は多い。
点字で読む人もいれば、音声図書を利用されている人もいる。
サピエというインターネットを利用する図書館もある。
点字や音声データをダウンロードして利用するのだが利用者は多い。
僕も一応点字を習得したし、サピエも利用できる。
それなのに読書はしない。
一年に一冊も読まないというちょっと恥ずかしい人生だ。
僕はどうして読書をしなくなったのだろう。
映画や野球中継を楽しむ時間はあるのだから時間のせいではない。
自分でも不思議だったが、最近なんとなく分かるような気がするようになった。
僕にとっての読書は印刷された文字を目で追うという行為の中にあったのだ。
明朝体の文字が目から脳に流れていっていたような気がする。
吸い込まれながらページをめくるのが好きだったのかもしれない。
あの独特の紙の匂いも心を落ち着けてくれた。
その行為の中で精神が旅をする時間がうれしかったのだろう。
振り返ると、
読書から離れていった時期はそのまま目が文字を追い辛くなった時期と重なるのだ。
読書をしなくなった言い訳なのかもしれないが、自分では納得できている。
いつか見える日がきたら、
またぶらりと本屋さんに立ち寄って次の一冊、探してみてもいいな。
(2021年5月22日)

たまにしか利用しないバス停だった。
探すのに戸惑った。
目印の点字ブロックの切れている場所を歩いて越えてしまったらしい。
時々やってしまうことだ。
しばらく歩いて気づいた。
背中の方でバスが停車してそれから発車するエンジン音が聞こえたからだ。
僕は振り返って、そこまでの距離をイメージしながらさっきよりゆっくりと歩いた。
白杖を左右にスライドさせて路面を確認しながら歩いた。
足の裏の神経も頑張らせた。
今度はしっかりと点字ブロックをキャッチすることができた。
点字ブロックの上で両足を揃えたらほっとして溜息が出た。
「座るかぁ?」
僕の左側の腰ほどの高さからおばあちゃんのやさしそうな声がした。
そこに椅子があったのを初めて知った。
「大丈夫ですよ。ありがとう。」
僕は移動するよりも点字ブロックの上でゆっくりする方を選んだ。
しばらくの時間が流れた。
「緑がきれいだよ。」
おばあちゃんは僕の方を向いて突然話された。
「ほんまに綺麗だよ。」
しみじみと話された。
僕は首を上げて遠くを眺めた。
幸せな気持ちが僕を包んだ。
「そうですね。一年で一番緑が綺麗な季節ですよね。」
うれしそうに答えた僕の気持ちが伝わったのだろう。
おばあちゃんは続けられた。
「ほら、緑の匂いがするやろ。」
僕はマスクの中の鼻をピクピクさせた。
残念ながら僕の鼻はあまり感度がよくない。
僕は嘘をつくことにした。
「ほんまですね。微かに緑の匂いがしますね。」
おばあちゃんは納得されたようだった。
やがてバスのエンジン音が近づいてきた。
「5番のバスだよ。桂駅行き。」
おばあちゃんは尋ねる前に教えてくださった。
「僕、これに乗ります。ありがとうございました。」
バスに乗ったら、他の乗客の方が空いてる席に誘導してくださった。
僕はバスの窓越しに外を眺めた。
美しい緑色が頭の中一杯に広がった。
濃淡の緑色が混在するように喜びと悲しみが溶け合った。
僕は長め続けた。
「もう一度見てみたいものって何ですか?」
先日の大学生の質問を思い出した。
僕は即座に答えることはできなかった。
きっとたくさんあり過ぎて選ぶことができなかったからだろう。
僕は心の中でつぶやいた。
「おばあちゃん、嘘ついてごめんなさい。ありがとう。うれしかったよ。」
(2021年5月17日)

別れ

「汚れちまった悲しみは」だっただろうか。
彼はよく中原中也の詩を音読していた。
古い木造アパートの裸電球の下で僕達の青春は息づいていた。
高校時代に知り合った彼は僕より一歳年上だった。
飾らないやさしさを持ち合わせた人だった。
京都で一緒に学生生活を過ごした。
正確に言えば、大学生の僕とパン屋さんで働いていた彼と一緒に暮らしたのだ。
僕が日本を離れて旅に出たいと言い始めた時、彼は一緒に行くと言ってくれた。
夜盲のあった僕を心配してのことだったのだろう。
僕達は二か月間くらい、リュックサックを背負ってヨーロッパをウロウロした。
サハラ砂漠も見たいと言い始めた僕に、彼はあきれながらも付き合ってくれた。
ナイロン袋に入れて持ち帰った砂漠の砂は今も手元にある。
忘れられない思い出となっている。
彼が仕事で東京に引っ越しても付き合いは続いていた。
突然電話がつながらなくなったのは35歳くらいの頃だっただろうか。
お互いに忙しい時期、いつかそのうちと思って時間は過ぎていった。
男同士なんてそんなこともある。
ただ、それ以後の彼の足取りは同級生達の誰も知ることができなかった。
ひょんなことでやっと彼の消息が分かった。
二か月ほど前に彼はこの世を去っていた。
あれ以来再会できなかった悔しさが僕を包んだ。
訃報を知った僕は正座して合掌した。
心が少しずつ落ち着いていった。
ありがとうの気持ちがどんどん膨らんだ。
記憶の中の様々な映像が蘇った。
おんボロアパートの階段、こわれかけていたカギ、二人で歩いた繁華街の雑踏、
よく通った銭湯の様子、すべて懐かしく蘇った。
そしてあのヨーロッパの風景・砂漠の上にあった真っ青な空、蘇った。
彼の笑顔も蘇った。
蘇る映像があることをとても幸せだと感じた。
「会うは別れの始めなり。」
これも彼の口癖だった。
確かに、たくさんの人と出会い、そして別れてきた。
その出会いの中で生きてこられたのだろう。
「僕はもう少し、こっちで頑張るよ。
のんびり待っていてね。」
僕は心の中で彼につぶやいた。
(2021年5月13日)