流れ星

後輩からメールが届いた。
不定期に届くメールだ。
気が向いた時に送ってくれるのだろう。
題名はいつも同じで「祥治です」となっている。
年齢は僕よりは10歳くらい下だろうか。
祥治は板前をしている時に、仕事の帰りに交通事故で失明した。
ノーヘルで電信柱に激突したらしい。
若いころは暴走族で運転技術を磨いたらしいが、
酔っ払い運転ではどうしようもなかったのだろう。
家庭にも恵まれず、職も転々としていたような中での交通事故だった。
「ほんまに片目が飛び出したんですよ。」
祥治が笑いながらその時のことを教えてくれたのを憶えている。
脳に強い衝撃を受けてしまったので後遺症も大変だ。
様々な福祉制度を利用して一人暮らしをしている。
継続は力ですと言いながら、継続できたためしがない。
ひょうひょうと生きているという感じかな。
祥治の名前の漢字を調べるためにパソコンのカーソルを動かしたら、
「不祥事の祥」という説明が流れて一発で憶えてしまった。
よく似合う名前だねと言ったら照れていた。
今回のメールには「ペルセウス座流星群」のことが書いてあった。
そう言えば、以前も何かの流星群のニュースを教えてくれたことがある。
祥治は流れ星が好きなのかもしれない。
全盲の中年男性が全盲の先輩に流れ星のニュースを伝える。
不思議な感じはするが、僕達に違和感はない。
いつか一緒に流れ星を見に行こうか。
そして祈ろう。
「目が見えるようになりますように!」
(2020年8月13日)

黙祷

ラジオがその時を教えてくれる。
僕は静かに黙祷する。
僕は戦争を知らない世代だ。
戦争も被爆地も実際には知らない。
でも、成人してから訪れた広島や長崎の原爆の傷跡は忘れることはないだろう。
そして、父ちゃんが話してくれた戦争体験の話は僕の細胞に浸み込んでいる。
父ちゃんは青春時代を兵士として過ごした。
終戦の時は満州にいたらしい。
それからシベリアで捕虜としての生活を送った。
口数の少なかった父ちゃんが戦争は二度としてはいけないとつぶやいていた。
いつの頃からかその日になると祈るようになった。
平和への祈りだ。
小さな一市民にできること、それは祈り続けるということだろう。
見えない僕にもできることだ。
日本だけじゃない。
世界中から戦争がなくなりますように。
僕にもできること、これからも祈り続けていこう。
(2020年8月10日)

皮をむいただけの桃を丸ごとかじる。
味覚と嗅覚だけが研ぎ澄まされる。
意図的にそうしているのではない。
無意識にその感覚に包まれていく。
幸せに気づいてふと微笑む。
食べ終わってからそっと瞼を開ける。
赤色と黄色が溶け込んでいた桃を思い出す。
桃色ではなかった。
しばらく考えてから桃の花の桃色を思い出す。
そして自分が恥ずかしくなる。
懐かしい色の記憶だ。
もう見ることはないのだろう。
それを自然に受け止められるようになっている自分を愛おしく思う。
ご苦労様と自分自身に言葉が漏れる。
受け皿にしていた皿を両手で抱えてこぼれた果汁を飲み干す。
思いっきりの笑顔になる。
(2020年8月5日)

また

いつものように人が行き交っている。
いつものようにアナウンスが流れている。
いつものように電車がホームに入ってくる。
いつものように点字ブロックをを白杖で触りながら、
いつものように僕は歩いた。
でも、気持ちはいつもと違ってとっても重たかった。
電車の音を聞いて胸が締め付けられた。
また、東京で視覚障害者の人が線路に落ちて犠牲となった。
またという言葉に悔しさと虚しさが浸み込んでしまっている。
ホームによじ登ろうとしながら聞こえてきた電車の音はどれほど恐怖だっただろう。
事故を防ぐためにはやはり転落防護柵が必要だ。
ただそれには時間もお金もかかる。
安全のためには見える人の力を借りるしかない。
僕達に声をかけるのは勇気のいる行動だ。
でも、それが一人の人間の命を救うことになるのだ。
ホームで困っていそうな白杖の人がいたら声をかけてください。
宜しくお願い致します。
(2020年7月31日)

ひまわり

雨上がりの空の下、ひまわりに出会った。
はつらつとしていた。
大きな葉っぱにはたくましさがあった。
花弁は触っただけで黄色を主張しているのが伝わってきた。
チューブから絞り出したばかりの鮮やかな黄色だった。
僕の心までがわくわくした。
もうすぐ梅雨も明けるのだろう。
うだるような暑さが始まるのだ。
暑いのは苦手だけれど、夏はやっぱり暑い方がいい。
真っ青な空、真っ白な入道雲、ひまわりがよく似合う。
その傍らを白杖をしっかりと左右に振って歩くことにしようか。
汗をかきながら歩いていこうか。
それもまた夏に似合いそうだ。
(2020年7月27日)

ホットコーヒー

寒い時も暑い時もホットコーヒーが当たり前になった。
若いころは夏はアイスコーヒーだったのに欲しくなくなった。
ひと夏に数回アイスコーヒーにチャレンジしてみるが結局ホットコーヒーに戻ってい
る。
味覚が変化していってるのだろうか。
コーヒーを飲む時のBGMも変化している。
若い頃に好きだった音楽もたまには聴くのだけれど、
最近はクラッシックやジャズが多くなった。
元々音楽のセンスはないし作曲家も楽器の名前も知らない。
それでもふと聴いている。
何かを考えながら聴くのではなくて、何も考えないで聴いている感じだ。
真っ白に近い状態かな。
ただコーヒーの香りと苦みの中にいる時間が愛おしい。
変化は老化なのだろうか、成熟なのだろうか。
残念ながら成熟の実感はない。
まだまだ老化も認めたくない。
そんなことを思ったりしながら琥珀色の液体を思い出す。
白磁のカップによく映える。
美しい色だと思う。
(2020年7月22日)

出身を尋ねられると鹿児島県と言うことが多い。
阿久根市と言いたいのだが小さな無名の故郷なのでついそう言ってしまう。
阿久根市で生まれて中学卒業まで暮らした。
それから隣の川内市の親戚宅でお世話になりながら川内高校に通った。
卒業後は1年間だけ東京で暮らして、それからはずっと京都だ。
京都での生活がもう44年になったことになる。
それでも高校野球の季節には鹿児島県代表を応援しているし、都道府県対抗女子駅伝
でも鹿児島県を応援している。
その次が京都という感じだ。
成人するまでに暮らした町、そして出会った人、経験したこと、それが人生の原点と
なっているのだろう。
ただ44年もの時間を過ごすといつの間にか沁みついてしまったこともある。
先日も無性に鱧を食べたくなった。
それもきっかけは四条河原町を歩いた時に商店街のBGMで流れていたコンチキチンを
聞いたということだった。
今年はコロナで中止になってしまったが、いつもは今頃は祇園祭の真っ最中だ。
コンチキチンの鐘の音を聞きながら鉾町をそぞろ歩く。
うだるような暑さが京都の夏だ。
そこには鱧の湯引きがある。
からし酢味噌や梅肉で頂く。
京料理と鱧、いろいろな蘊蓄があるらしいがそれもまたBGMみたいなものだ。
僕はただ無心になって口に運ぶ。
骨切りのされた微妙な歯ごたえが淡白な味わいを引き立てる。
頭の中でコンチキチンの祇園ばやしが流れる。
最後に見てからもう20年以上の時間が流れたはずなのに、
しっかりと長刀鉾の映像が蘇る。
映像を蘇らせるために鱧を食べているのだろうか。
ちょっと不思議な感覚をコンチキチンがうれしそうにはやし立てる。
いよいよ夏の始まりです。
(2020年7月17日)

百歳

空が大泣きしている朝、先輩の訃報が届いた。
僕は先輩とは直接話をしたことはなかったが、
語り継がれたエピソードは幾度か耳にしていた。
先輩は百歳を超えて人生を終えられた。
先天盲の先輩は見えない世界を百年生きてこられたのだ。
点字ブロックも音響信号もパソコンも携帯電話もなかった時代、
様々な災害だけではなく戦争という歴史も刻んだ時代、
先輩は何を見つめて、どこを目指して歩いていかれたのだろう。
断片的に想像するだけでも気が遠くなる。
その先輩たちの思いが今につながっていることは間違いない。
見えなくなった時、僕は何を考えていたのだろうと思うことがある。
思い出そうとしても思い出せない。
見えなくて生きていくという事実と向かい合いながら、
自分自身の価値が壊れてしまいそうな恐怖に襲われた。
挫折感だったのかもしれない。
幸せの意味を探し続けたような気がする。
憶えていないということは探せなかったということなのだろう。
探せなくても生きていけるのだ。
大義名分は見つからなくても生きてこられたのだ。
目先のささやかな灯を求めて日々を重ねていく。
日めくりをめくるように、僕も百歳まで生きていきたいな。
(2020年7月15日)

Zoomでの講義

ウィズコロナの状況で僕の日常にもいろいろ変化がおきている。
今日の大学の講義はZoomを使って自宅で実施した。
去年までは電車やバスを乗り継いで出かけていた大学だ。
毎年、教室には100人程度の学生達がいて講義を受けてくれていた。
学生達と一対一で向かい合って会話をしたりすることもあった。
講義が終わって学生達が教室を出ていく時にカードを手渡しでプレゼントしたことも
あった。
Zoomということは空間には誰もいない。
僕の部屋に僕がいるだけだ。
パソコンの向こう側には学生達がいるはずなのだが実感はない。
不思議な感覚で講義をスタートした。
でも、ほんの少しやっただけで気づいた。
何も変わらない。
大学の教室でも僕の部屋でも、僕の目の前は何も変わらない。
変わることのない灰色が横たわっているだけなのだ。
それに気づいたらだいぶ楽になった。
僕はいつもと同じように思いを込めて話をした。
あっという間に講義の時間が過ぎた。
学生達はチャットを使って質問を投げかけた。
それは僕には分からないのでサポートしてもらった。
「お手伝いをする時にどう声をかければいいですか?」
「もっとどんなものに点字があればいいですか?
突然声をかけてもいいのですか?」
「バイト先に視覚障害者の人とガイドさんとが来られるのだけど、どちらに話しかけ
るのがいいですか?」
それは困っている視覚障害者にサポートをしたいという気持ちの表れだった。
そしてその気持ちを僕に届けようという意思だった。
100人の学生が話を聞いてくれて100人が動くとは思わない。
でも、必ずいくらかの人達が思いを受け止めてくれているのは感じる。
例えその数が10人だとしても、10回で100人になる。
10人が3人の友人に伝えてくれれば30人になる。
きっと未来につながっていくと僕は信じている。
Zoomを使っての講義でもそれを感じることができたのはどうしてだろう。
画像も実際の音声もない。
それでも学生達が何かを伝えてくれたのだろう。
人間同士が持っている力のひとつなのかもしれない。
対人でもZoomでも録画でも、僕はいつも通りに頑張ればいいんだ。
そんな気になった一日だった。
(2020年7月11日)

銀座

東京での会議の後、久しぶりに銀座を歩いた。
人通りはやはり少な目だった。
行き交う人たちは皆マスクを着用しておられるとのことだった。
ブランドの店が立ち並ぶ通りも静かに雨に濡れていた。
喧騒はどこにいってしまったのだろう。
自分の足音を聞きながら、異次元にいるような感覚になった。
いつかどこかで観たSF映画の中にいるような気にもなった。
人類とか地球とかいうスケールの単語が頭の中でゆっくりと回転した。
怯えからきているのか希望から生まれているのか分からない。
自分自身の命や人生の時間まで思いを馳せた。
どうなることでもないし、無力の前にいる自分自身も感じている。
この雨のように静かに生きていけたらいいなとなんとなく思った。
雨空を眺めてみたいと思った。
(2020年7月6日)