ショパン

朝のバス停、今日も暑くなりそうだなと思いながら立っていた。
車が停まる音が聞こえた。
そしてドアが開き、運転席から女性が降りてこられた。
「松永さん、駅まで送ってあげるよ。」
彼女は中西と名乗られたが記憶はなかった。
一瞬迷ったが甘えることにした。
駅までの5分程度、僕達は車中で話をした。
以前駅でサポートを受けた時に「ありがとうカード」を渡したらしかった。
時々あることだし、僕は相手が見えない。
わずかの会話で声まで記憶することはできない。
でも、見える人はそういうことで僕を憶えてくださることがあるのだ。
素直にうれしいと思った。
バス停で立っているのを幾度か車から見かけたとおっしゃった。
一度は今回のように送ってあげようと引き返したが、
僕は既にバスに乗ってしまっていたとのことだった。
僕は駅に向かう時、いつも反対側のバス停でバスを待つ。
横断歩道まで遠いし、反対側に渡ることが難しいのだ。
ちなみに、見える人は平気で渡っていかれる。
バスは団地を巡回して駅に向かうから、時間がかかることさえ我慢すればいい。
バス代も同じ料金だ。
「反対側に渡るのが大変だからこっちのバス停から乗るのでしょう?」
お見通しよと言いたげに、彼女は笑いながらおっしゃった。
彼女のご主人はポーランドの人らしい。
ポーランドと聞いて何を思い出すかと尋ねられた。
作曲家のショパンがポーランド人だと教えてもらった。
あっという間に車はバス停に着いた。
彼女は手慣れた感じで僕を改札口までサポートしてくださった。
「行ってらっしゃい!」
僕はいつもの「ありがとうカード」を渡した。
彼女と別れて階段を上りながら、帰宅したらショパンを聴いてみようと思った。
人間同士の絆、見えない僕を幸せに導いてくれる。
人間でよかったと思う瞬間だ。
(2025年7月4日)