お葬式

義父が危篤との連絡が入った。
僕は妻と一緒にすぐに動いた。
義父が入院しておられたのは義父の故郷の鳥取県倉吉市だった。
京都市内で暮らす甥っ子夫婦が車に同乗させてくれた。
なんとか間に合った。
義母も入院先から駆けつけておられた。
長男、甥っ子夫婦、姪っ子夫婦、そして僕達長女夫婦、皆が揃った。
皆で最後のお別れができたのは良かった。
葬儀は神式だった。
榊を用いた玉串奉奠、しのび手での二礼二拍手一礼などいろいろと初めての難しい作法があった。
見様見真似の出来ない僕はきっと微妙に間違っていたのだと思う。
それでも義理の息子として義父への感謝を込めて参列できた。
神主のお話は興味深かった。
人間の生死の意味などを考える時間、そこは仏教と変わらなかった。
もうすぐ一歳になるという甥っ子のお嬢さんが時々元気な泣き声を聞かせてくれた。
義父からはひ孫にあたる赤ちゃんだ。
葬儀場は悲しいお別れの場所のはずなのに、静寂の中で時々聞こえる赤ちゃんの泣き声は喜びさえ感じた。
人間の命がつながっていくような感覚だった。
清々しい気持ちで葬儀場を出た。
倉吉地方の方言の義父の語り口が耳元で蘇った。
義父は享年94歳だった。
10年くらい前に他界した父を思い出した。
父は93歳だった。
長生きの部類だと思う。
そしてもし自分がそこまで元気でいられるとしても、もう後20年くらいしかないことを考えた。
どこで暮らしていても、どんな人でも、最後は皆がこの星の土に帰っていくのだ。
その日を迎えるまでは、僕は僕らしく生きていきたいとしみじみと思った。
(2025年6月15日)