桜餅

雪が散らついたと天気予報士が開設していた。
いつか見た風景を思い出した。
咲きだした桜の枝に雪がうっすらと積もっている。
そして新しい雪が静かに舞っている。
ピンク色と白色がとても美しい。
見えなくなってからの風景だから実際には見てはいないはずだ。
それなのにまるで一枚の写真のように記憶に残っている。
こういう写真が時々思い出される。
自分でも不思議に思う。
それぞれの写真に共通するのは幸福感だ。
幸せな気持ちが記憶の中で化学変化して写真になっているのだろう。
忘れたくないという深層心理なのかもしれない。
大切な一枚を静かに見つめる。
熱いお茶を飲みながら桜餅を食べたくなった。
(2022年3月23日)

駅のロータリーにあるモクレンは満開だった。
そこに続く歩道では沈丁花が香りの道を演出していた。
バスで帰ってきて道沿いの桜のつぼみを触ると少し膨らんでいた。
それぞれの花のやさしさが心に染みた。
染入った。
その染入り方がいつもの春とは違うことに気づいた。
染入るほどに悲しみが増していくのだ。
抵抗できない悲しみが広がっていくのだ。
ふと空を見上げる。
この星で今も戦争がある。
たくさんの命が消えていっている。
勝とうが負けようが命は失われていく。
敵であろうが見方であろうが命が消えていく。
銃を握っている人達が誰かを殺すことを夢見て生きてきたとは思えない。
白杖の人は戦うことは難しい。
がれきの中を逃げるなんて無理だ。
そこから先は考えない。
無力の自分が悲しくなるだけだ。
一面の花の中を歩きたい。
いつもの穏やかな春が恋しい。
(2022年3月18日)

アルバム

この春はいろいろな事情で整理整頓の日々となっている。
押し入れの奥に眠っていた宝物と時々出会う。
なんでもなかったものが歳月を経て宝物に代わっていることに気づく。
今日はダンボール箱の隅っこにあった卒業アルバムを見つけた。
阿久根小学校、阿久根中学校、川内高校のものだ。
小学校の時のものが一番小さくて薄い。
その次が中学校、高校の順番だ。
大学時代のは残っていない。
そもそも卒業アルバムみたいなものがあったのかさえ記憶にない。
小学校や中学校のアルバムを手にとると近所の幼馴染や同級生の顔が蘇る。
ただその数は少ないし写真もセピア色だ。
高校になると思い出の写真は一気に増える。
一緒に遊んだ友人達の顔が活き活きと蘇る。
笑い声までが聞こえてくるような気になる。
自分の顔、ラグビー部のジャージ姿まで鮮やかに蘇る。
そしてふと気づく。
もうこの世を去った先生方、友人が何人もいる。
アルバムの表紙をそっと撫でる。
理屈で言えば、もう見ることのない僕には意味のないものなのかもしれない。
そんなことは分かっている。
でも捨てるなんてできない。
またそっとダンボール箱に戻す。
ため息の後、閉じた瞳をそっと開けてみる。
(2022年3月14日)

春の光

光は見えないのに分かる時がある。
何故だか分からない。
でもなんとなく分かるのだ。
百発百中というわけにはいかないけれど、春の光は特に分かりやすい。
夏のように強いわけでもないし冬のようにぬくもりがあるわけでもない。
それでも降り注いでいるのが分かる。
キラキラと輝きながら降り注いでいる。
そよ風がとてもよく似合う。
桜達がはしゃぎ始めるのも納得できるような気になる。
(2022年3月9日)

ガラスの風鈴

散歩コースにある団地の前を通ると聞こえてくることがある。
いつも聞こえるわけでもない。
風の向きと強さが関係しているのだと思う。
間違いなくガラスの風鈴の音色だ。
子供の頃に聞いた記憶の中の音色だが自信はある。
ガラスに描かれた赤い金魚と緑の水草の絵まで憶えている。
夏には気にならない音色が季節外れの空気の中で心に染みてくるのは何故だろう。
はかない音色を愛おしくも思う。
見上げた先には薄青色の空が佇んでいる。
赤い金魚が静かに泳ぐ。
その先には海が見える。
見えなくなって25年が過ぎた。
もういい加減に決別すればいいのにできない僕がいる。
「もし見えるようになったら何を見たいですか?」
時々子供たちが尋ねてくれる。
僕に見せてあげたいという心理から生まれる質問だ。
やさしい質問に感謝しながら笑顔で答える。
必ず笑顔で答える。
もし涙ぐんでしまえば、きっと泊まらなくなるのを分かっている。
泣き崩れてしまいそうな気がする。
それはカッコ悪い。
だから笑顔で答える。
笑顔で空を眺める。
空を泳ぐ赤い金魚が遠くの海に向かう。
見とれるほど美しい景色だ。
両手を少し広げて深呼吸する。
この前までよりほんの少しだけ暖かくなった空気を肺臓が感じる。
春が始まった。
(2022年2月4日)

副反応

一回目も二回目も腕が痛いくらいだった。
だから僕は大丈夫だとどこかで思っていた。
たまに副反応のきつかった人と話をした時も、
「若いってことらしいですよ。」
慰めみたいな言葉で対応していた。
僕には無縁と信じていたからだろう。
接種後半日くらいしてからだった。
悪寒みたいなものを感じた、
急激な変化は発熱すると予想できた。
早々とベッドに潜り込んだ。
38度を超えたなんて何年ぶりだっただろう。
いや十数年ぶりかもしれない。
副反応と分かっていても不安は大きかったししんどかった。
見えない状態での高熱は不安を増幅させるのかもしれない。
バファリンを飲んで汗をかいて少し下がった時は本当にほっとした。
ヘトヘトになった。
若くなんかありません。
高齢者でも副反応はあるってことです。
しみじみとそう理解しました。
(2022年2月27日)

朝焼けの雲

始まったばかりの朝の空気に包まれながらバス停に立っていた。
足音がゆっくりと近づいてきた。
「おはよう。何番に乗るんや?」
幾度か聞いたことのあるような声だった。
僕よりはだいぶお姉さんだと思う。
僕は乗る予定のバスの番号を告げた。
彼女は僕の横に立ったまま話された。
「今朝は寒かったなぁ。」
僕は相槌を打った。
しばらくして、彼女は朝焼けの雲を見つけられた。
「あっ、ほら、あの雲、お日さんが当たって綺麗やなぁ。」
彼女はその方向を指さしながら話されたようだった。
うれしさが伝わる声だった。
僕はどう答えるか迷ったが、仕方ないので小さな声で小さく頷いた。
しばらくして彼女は僕に尋ねられた。
「何番のバスに乗るんや?」
僕はあれっと思いながら番号を告げた。
また寒さの話になった。
結局、何番のバスに乗るかの質問は4度繰り返された。
寒い朝も数回あったが、朝焼けの雲はもう出なかった。
一瞬の美しさだったのだろう。
エンジン音でバスが到着したことが分かった。
行先案内の放送を聞いて僕はバスに乗車した。
続いて乗車された彼女は後ろから僕のリュックサックを掴まれた。
リュックサックを押して歩きながら教えてくださった。
「もうちょっと前、もうちょっと前。」
僕はゆっくりと前に進んだ。
「そこやそこや。」
彼女のリュックサックを押す力と声の向かう方向で空いてる席を確認できた。
僕は座ってから大きな声で伝えた。
「ありがとうございました。助かりました。」
うれしそうな声で返事が返ってきた。
「気いつけて行きや。」
彼女は次のバス停で降りていかれた。
ひょっとしたら僕を乗せるために乗車されたのかもしれないと思った。
ふと先日のラジオ放送を思い出して自分を試してみた。
昨日の夕食のメニューはなんとか思い出したが、
一昨日もその前も無理だった。
まだ頑張れるというのも空元気の種類なのかもしれない。
同じことを幾度も言い出したら教えてくださいね。
それから、美しい景色があったらそれも教えてください。
例えば、朝焼けの雲とか想像したら幸せな気持ちになれますから。
(2022年2月23日)

つながり

人とのつながりが次のステップに向かう力となることがある。
僕の活動は特にそれが大きいのかもしれない。
40歳で失明し再び人生を歩き出した時、僕は無力だった。
社会的な立場もなく職業もなく向かう方向も分からなかった。
手探りで、いや白杖探りで必死に歩いてきた。
僕の努力不足もあっただろうし能力がなかったのも勿論ある。
それでも社会そのものに大きな壁があったのも間違いないことだと思う。
そしてその僕に力を貸してくれたのもその社会だった。
社会で生きている人間のやさしさだった。
今回もふとしたきっかけでつながった二人の男性が話を聞いてくださった。
不通では出会うことさえ難しいような立場におられる人達だ。
社会の第一線で活躍され続けておられるお二人、
社会に参加することさえ難しかった僕、滑稽な絵面かもしれない。
40歳の頃の僕だったら戸惑って下を向いていただろう。
でも今は不思議とそれはない。
勿論緊張感はあるのだが基本的には平常心だ。
白杖を握りしめて必死に歩いてきた自分自身を僕は嫌いにはなれなかったということ
なのだろう。
いやちょっと好きになっていったのかもしれない。
1時間の歓談は楽しかった。
同世代の男性3人、それぞれの夢を抱いて使命感を持って生きてきたのだ。
そしてそれぞれが等しくそれぞれの人生を愛おしく感じているのだと思った。
出会いがどれだけ次につながるか、それは運もあるから分からない。
でもそれはたいしたことではない。
こうして過ごせた時間に深く感謝しながら帰路に就いた。
(2022年2月18日)

アップルストア

気づいてすぐに探し回った。
思い当たる場所はすべて確認した。
でも見つからなかった。
失くして初めてその重要性を再確認した。
アイフォンが僕の生活を支えてくれていたのだ。
通信会社に相談してみたが拉致は空かなかった。
電話対応してくださった人はマニュアル通りの対応をされた。
それは仕方ないことだったと思う。
多分話し方から日本人だったと思う。
どうしようもなくて京都市内にあるアップルストアを訪ねた。
いつも込んでいるお店だ。
案の定多くのお客様が並んでおられたし、予約が前提だった。
それでもスタッフの方がなんとか1時間後の予約を入れてくださった。
予約の合間を探してくださったようだった。
緊急性を感じてくださったのだろう。
待ち時間は近くのカフェで過ごすことにした。
祈るような気持ちでコーヒーを飲んだ。
指定された時間に再度訪れるとスムーズに2階のブースに案内してくださった。
最初に対応してくださったのは髪をピンクに染めた欧米系の女性だった。
彼女の話す日本語は少し分からない部分もあったが、彼女は僕の話はすべて理解して
くださった。
僕が一つ話をするだけで三つを理解しているという感じだった。
そしてずっと自然な笑顔だった。
それから3名のスタッフが対応してくださったが皆外国人だった。
僕のアイフォンを遠隔操作などで何とか探す方法はないか検討してくださった。
それが無理だと分かると保険で対応できないか考えてくださった。
結局できなかったのだが、一生懸命にやってくださるのが伝わってきた。
4人目の男性が新しいアイフォンの準備をしてくださった。
その話し方で間違いないと思った僕は彼に話しかけた。
「対応してくださったスタッフは今まで皆外国の方でしたがとても親切でした。」
彼は笑って答えた。
「世界中どこに行っても仕事の内容が同じなので、働く場所は自分で希望できるんで
すよ。それに京都はお客様も多国籍ですからね。
ちなみに僕も国籍は日本ではないんですよ。」
彼が席を外した時にボランティアさんが教えてくださった。
「フロアを見渡せば皆私服で世界の人が集まっているという感じです。」
彼はしばらくして席に戻ってこられた。
どんなアプリが僕の役に立っているかなどを興味深く聞いてくださった。
このアイフォンという道具が世界のいろいろな立場の人の役に立つことを喜んでおら
れるのが伝わってきた。
僕が新しいアイフォンを持って店を出たのは21時近くだった。
多くのスタッフのありがとうございましたの声が背中から聞こえた。
皆笑顔の声だった。
僕は地球という星で暮らしている。
地球が平和でそこに暮らす人が皆幸せにならなければいけない。
当たり前のことを何故か強く思った。
(2022年2月14日)

丹後への旅

冬の丹後半島、同じ京都府なのだが景色は一変する。
歩道は積み上げられた雪で通れない。
ボランティアさんと一列になって車道を歩く。
大きな車音がしたので尋ねると除雪車だった。
暮らしている人達が大変なのは想像できる。
それでも旅人の僕はうれしくなってしまう。
この地域に来たら立ち寄ることにしている食堂でお刺身定職を頂いた。
やっぱり新鮮で美味だった。
隣席の男性がおいしいからと大根の煮物をお裾分けしてくださった。
都会では姿を消してしまった交わりだ。
「ご馳走様でした。」
合掌した自分の掌のぬくもりに気づく。
笑顔になる。
腹ごしらえを済ませてから会場に向かった。
高校とPTAの合同の研修会だ。
僕はいつもの通りに話をした。
17歳との会話、まさに未来との会話だ。
高校生が僕の年齢になる頃、僕はもうこの世にはいない。
この国がこの星が今よりも輝いていて欲しいと願う。
そして一人一人がそれぞれに幸せであって欲しいと願う。
終了後、校長先生が飾らない言葉で思いを伝えてくださった。
そしてまた来年もとおっしゃってくださった。
有難いことだと思う。
帰り際には顔なじみになった先生が追いかけてきて激励してくださった。
たくさんの人達に支えられての活動だ。
駅まで車で送ってくださった先生がそっと教えてくださった。
昨年紹介した視覚障害者サポートのアプリを自分のスマートフォンに入れてくださっ
た先生がおられるそうだ。
そういう一歩がまさに未来につながっていくのだ。
怒られるかもしれないけれど、また来年も雪景色であって欲しいな。
カニでも食べることにしようかな。
(2022年2月12日)