4回目の出会い

毎年、前期の木曜日は忙しい。
午前中に専門学校、午後に大学での仕事がある。
バスと電車の乗り換え回数が10回を超えてしまうし移動時間も3時間以上となる。
朝出かける時に気合を入れて出発する。
気の緩みは事故につながる。
僕は目が見えないんだと自分自身に言い聞かせて歩き始める。
言い聞かすことで少し背筋が伸びる。
視線も足元から一歩前にいくような感じだ。
今朝も予定通り桂駅までバスに乗った。
桂駅からは阪急電車だ。
烏丸駅で下車して地下鉄に乗り換える。
朝の烏丸駅は特に混んでいる。
慎重に歩く。
白杖が他の人の足に引っかかったりしたらいけない。
エスカレーターを下りて改札までは点字ブロックもないので足音だけが頼りだ。
感だけの世界ということになる。
緊張感もマックスの場所だ。
「一緒に行きましょう。」
彼女の手の甲は声と同時に僕の手の甲に触れた。
僕は瞬時にそこから手を上にスライドさせて彼女の肘を持った。
一番分かりやすい方法だ。
混雑している場所でゆっくりは話せない。
「ありがとうございます。視覚障害者に慣れておられますね。」
歩きながらの会話だった。
「貴方に教えてもらったのよ。今日で4回目。」
彼女は笑いながらおっしゃった。
僕が地下鉄、近鉄と乗り換えることも知っておられて、そのままそちらに向かった。
京都駅までは経路が同じだったので一緒に地下鉄に乗車した。
空いてる席を探してくださって一緒に座った。
「またいつものカードですけど。受け取ってください。」
僕は感謝を伝えながらポケットからありがとうカードを取り出して彼女に渡した。
電車が京都駅に着いた。
「私もいい一日になりそう。またいつかきっとお会いしましょう。」
彼女はそう言って降りていかれた。
彼女がどんな顔をされているのか、どんな服装なのか知らない。
何歳くらいなのか、何をされておられる方なのか、何も分からない。
分かっているのは人間だということだけ。
これまで4回出会って、5回目があるのかも分からない。
分からないということも幸せのひとつなのかもしれない。
(2019年4月19日)

8時の電話

両親が鹿児島から京都にきたのは僕が25歳の頃だった。
母が大病を患ってそれまでの暮らしが続けられなくなったのだ。
一応長男だった僕を頼ってくれたのだろう。
細々ではあったが普通の日々が続いた。
それから15年後の僕の失明さえなければ、
それはもっともっと穏やかに続いていったのかもしれない。
事実を受け止めるということは僕だけでなく家族も友人達も皆そうだったのだろう。
時間の流れの中で、
見えないということを僕も周囲も受け止めていった。
あきらめていったという方が的確かもしれない。
僕と両親との京都での暮らしは33年くらい続いたということになる。
4年前、父は93歳の生涯を閉じ、88歳の母が残った。
母は鹿児島の妹のところへ引き取られていった。
それから朝の電話が始まった。
毎朝8時に母から電話がくる。
元気という確認、それに天気の様子くらいがいつもの話題だ。
雨だったら、家から出るなと母は言う。
仕事なんかしなくていいから家で過ごすようにと言う。
大丈夫と説明すると、タクシーで行くようにと注文をつける。
僕は了解と嘘をつく。
それでも会話の最後にはいつもの言葉が続く。
「危ないから気をつけるんだよ。」
携帯電話を切って僕は少し上を見上げて、それから深く息をする。
きっと一生あきらめられないだろう母に申し訳ない思いがこみあげる。
そして深く感謝する。
(2019年4月15日)

雨音

雨がきつかったので傘をさして歩いた。
人間の平衡感覚は視覚情報によって大きな影響を受ける。
全盲で画像がまったくない場合は大変だ。
ただ普通に立っていることさえ困難になることもある。
個人差も大きい。
僕は平衡感覚はいいタイプだ。
ただ、右手で白杖を持った状態で左手で傘をさすと一気に不安定になる。
いつもはほとんどまっすぐ歩ける道を酔っ払いみたいに歩いている。
しかも雨音で他の音が聞きにくくなる。
施設での仕事を終えて点字ブロックを頼りにしながら帰路に着いた。
交差点までたどり着いて斜めになっている角を曲がろうとしたところで方向を見失っ
た。
車のエンジン音で修正しようとしたがうまくいかなかった。
自分がどちらを向いているのか、どちらに動けばいいのか分からなくなった。
一気に不安に包まれた。
しばらく周囲の音を聞いてからだいたいの方向を考えた。
なんとなく推測できた方向に動こうとしたが数歩動いて立ち止ってしまった。
恐怖感が身体を止めてしまったのだろう。
動けなくなってしまっていた。
立ちすくんだ。
「どうなさいましたか、一緒に渡りましょう。」
突然女性の声がした。
彼女は僕の腕をそっと引っ張って交差点を渡り始めた。
雨音の中に音響信号の音と行き交う車のエンジン音が混ざり合った。
この中を見えないで渡るのは無理だよなとふと思った。
反対側に着くと、彼女はそこからの僕の進路を確認してくださった。
そして、その道の手がかりとなるコンクリート壁まで誘導してくださった。
「昔、ガイドヘルパーをしていたんです。」
それですべてが納得できた。
僕は感謝を伝えた。
「家の事情でガイドヘルパーの仕事はできないけど、視覚障害者の方が困っておられ
たら必ず声をかけるようにしています。喜んでいただければうれしいんです。」
今日の僕はうれしいどころではなかった。
命の危険さえ少し感じていた。
僕は再度心からのお礼を伝えた。
そしてまた酔っ払いみたいに歩き始めた。
つい先ほどまで辛かった雨音が音楽のように聞こえた。
心がやさしくなる音楽だった。
(2019年4月10日)

観光都市

桜と紅葉の季節の京都は観光客が多くなる。
場所によっては凄い人口密度だ。
それも半端じゃない。
世界の観光都市のひとつなのだから仕方ない。
それによって地域が潤っているのも事実だし、
この歴史のある京都が僕自身も大好きだ。
ただ、白杖で移動する僕達には結構大変だ。
障害者がどれだけ社会に参加しているかは国によってだいぶ違う。
そしてそれぞれの国の文化も違う。
点字ブロックは日本で考案されたものだが、その意味を知らない外国人も多い。
それは外国だけではない。
同じ日本でも日常にどれだけ白杖の人が風景の中にいるかは違うだろう。
日本中から、そして世界の各地から桜を求めて人が集まる。
白杖が人波に飲み込まれそうになったり、進路がふさがれたりする。
でも、それは故意でもないし仕方のないことなのだ。
かと言って外出しないわけにもいかない。
結局は白杖の技術を磨くしかないのだろう。
今日も数人とぶつかってしまった。
「すみません。」
「sorry」
しっかりと声を出すのも大切な技術のひとつだ。
バス停の点字ブロックでぶつかった人に謝った。
「いえいえ、大丈夫です。」
返してくださった。
数分後、バスのエンジン音がした。
「206号のバスですよ。」
先ほどの方が教えてくださった。
僕は感謝を伝えた。
見えなくなってから使用頻度が増えた言葉、
「すみません」と「ありがとう」。
それは悲しいことではなくてうれしいことなのかもしれない。
桜の咲く季節、桜色に染まる京都を僕も溶け込んで歩いていきたい。
(2019年4月8日)

桜蕎麦

「鰆の薄い切り身を道成寺粉に混ぜ、それを桜の葉で包んで蒸したものです。」
板前をしている甥っ子が説明してくれる。
料理の説明だけでなく、目前の桜島の風貌も教えてくれる。
彼は三重県で育ち、僕の妹の娘と出会った。
二人は結婚して僕とも親戚ということになった。
叔父さんが目が見えないということできっと少しの戸惑いはあっただろう。
いつの間にか一緒に話すことも一緒に歩くことも自然になっていった。
桜島が小さく噴火して空がほんのり灰色になった。
その様子を聞きながら次の料理にお箸を進めた。
フキノトウの天ぷらの苦みが口中に広がった。
季節の巡りを感じた。
彼の2歳の娘が成人する頃、僕は80歳ということになる。
生きていられるのかは分からない。
一緒に歩ける日があればそれはまた幸せということになるのだろう。
そんなことを思いながら閉めの桜蕎麦を味わった。
淡いピンク色でほんのりと桜の香りもした。
希望が似合う花なのだと思った。
(2019年4月4日)

桜餅

桜餅の香りを嗅ぐ。
それが直接桜に結びつくわけでもない。
特別に甘いものが好きでもない。
それでもなんとなくうれしくなるのは何故だろう。
春に参加しているという感覚だろうか。
昨日も桜まつりの会場でボランティアさん達と会話をした。
「今年の桜はまだですね。」
「ちらほら咲きってところですかね。」
「来週くらいが満開になりそうですね。」
見てはいないのに、さっき見たように話をしている。
もう二十年以上も見てはいないのに、知っているかのように話をしている。
照れくささを隠すみたいに桜餅をかじる。
ほんのりと口中に桜が舞う。
僕もここにいる。
僕も春の中に存在している。
そうありたい。
(2019年3月31日)

メジロの地泣き

健康を考えての散歩が日課になってきた。
父ちゃんも高齢になってから毎日散歩していた。
見えなくなってから一度だけ父ちゃんと一緒に歩いたことがある。
父ちゃんに手引きしてもらって歩いた。
うれしい思い出だ。
ただ、そのコースは白杖の僕が単独で歩くには難易度が高い。
一部だけを往復するのを僕の散歩コースにしている。
そのせいか歩きながらよく父ちゃんを思い出す。
無口で地味で努力家の人だった。
あの父ちゃんの子供がどうしてこんなのだろうと考えると悲しくもなる。
海の近くで育った僕は海に関わる仕事をしたいと思っていた。
父ちゃんと魚釣りをしながら幾度もそう思った。
子供の頃描いた夢の中に見えない僕はいなかった。
どうしようもないことを運命と呼ぶとしたら、
それは悲しすぎることなのかもしれない。
いろいろな人生の岐路で考えながらここまできたのだろう。
仕方なかったのかもしれない。
次生まれてきたらやっぱり海の近くで釣りをしながら暮らしたい。
そんなことに思いを巡らせながら歩いていたらメジロの地泣きに気づいた。
足が止まった。
父ちゃんが好きだった鳥だ。
父ちゃんが何か言ったのかもしれない。
父ちゃんに再会するまでのもう少しの時間、しっかり生きていきたい。
なんとなくそう思った。
(2019年3月27日)

卒業式

専門学校の卒業式に出席していてふと気づいた。
昨年までおられた先生の姿がなかった。
先生は牧師という仕事をしながら専門学校の非常勤講師をしておられた。
入学式や卒業式では大きな声で讃美歌を歌ってくださった。
僕はその歌声が大好きだった。
不思議と心に沁み入るような感覚になった。
先生が講師という仕事を卒業されたのだと分かった。
淋しい気分になった。
そんな中で今年の卒業生の名前が呼ばれ、卒業証書が手渡された。
自然に拍手をしていた。
拍手には力が籠った。
拍手ををする毎に気持ちはどんどん清々しくなっていった。
専門学校の学生達は若者ばかりではない。
僕と同世代という学生も珍しくはない。
それぞれの学生がそれぞれの人生で踏み出そうとする一歩を力強く感じた。
そして美しいと思った。
一人一人の人生に幸あれと心から願った。
(2019年3月23日)

夢占い

久しぶりに夢を見た。
高校時代の友人と再会する夢だった。
駅の改札口の近くで彼は待っていてくれた。
眼鏡は昔と変わっていなかった。
体格も服装も普通のおじさんだった。
ただ、黒々としていた髪は白くなっていた。
顔にも少しシワが出ていた。
笑顔はそのままの気がした。
声もそんなに変化はなかった。
でも、歳月の流れは感じた。
握手をしてそれから彼の肘を持たせてもらって歩き始めた。
そこで気づいた。
僕は見えないはずなのにどうして彼の顔が見えるのだろう。
見えるはずがないのにどうしてだろう。
そう思いながらまた彼の横顔を見つめた。
しばらくして、夢から覚めた。
夢だから話に一貫性も合理性もない。
それは理解できるのだが、
見たことのない現在の彼の顔がしっかりと出てきたのはどうしてだろう。
不思議な感覚でしばらく呆然とした。
夢占いでもしてみたい気分になった。
とにかく、今度会ったら髪の毛がどうなっているか尋ねてみよう。
もしハゲていたら、なんとなくショックだな。
(2019年3月19日)

夜の声

雨が降っていた。
19時過ぎという時間からすれば、もう夜の帳が降りているのだろう。
街灯も少ない道だった。
街灯は僕自身の役には立たないのだけれど、
少なそうなのはなんとなく心細かった。
雨音で他の音も聞き辛かった。
僕は白杖を慎重に左右に振りながら足を一歩一歩前に出した。
足裏で地面を確かめながら歩いた。
点字ブロックがあるところまでたどり着けば無事に帰れる。
自分に言い聞かせながら歩いた。
どこを歩いているかは分からなかったが祈りながら歩いた。
「松永さーん!ボランティアの者でーす。大丈夫ですか?」
道を隔てた反対側から大きな声が聞こえてきた。
「大丈夫です。ありがとうございます。」
僕は声の方に向かって頭を下げた。
そして無意識に手を振った。
うれしさを身体全体で表していた。
人間の声にはぬくもりがある。
ぬくもりには力がある。
不安がそれをキャッチしたのだろう。
あともう少し!
また自分に言い聞かせて歩き始めた。
なんとなく先ほどまでよりも背筋が伸びていた。
(2019年3月16日)

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