ホテル

薩摩川内市に滞在する時はいつも同じホテルを利用している。
もう10年以上になるだろうか。
ホテルは友人宅から近い場所に立地している。
ちょっと困った時などにすぐにかけつけてもらえる距離だ。
部屋は3階のエレベーターから一番近い場所に準備してくださる。
鍵はカードキーでもないし、部屋も広くはない。
ただ、昔ながらの小さなビジネスホテルだから部屋の窓を少し開けられる。
朝、新鮮な空気を取り込めるのだ。
これはとってもうれしい。
いつも同じなのだから頭の中の地図に従って単独で2階まで行ける。
2階には朝食のバイキングがあるらしいのだけれど、それは僕には難しい。
スタッフの方がフロントの横の個室に準備してくださる。
それもたくさんの料理を準備してくださって、食後のコーヒーまで入れてくださる。
僕にとって一年で一番豪華な朝食となっているかもしれない。
薩摩川内市で僕の話を聞いてくれた人の数は子供達を中心に1万人を超えている。
人工10万人の地方都市だからその割合は凄いことだと思う。
高校時代の同級生達がいろいろな形でサポートしてくれた結果だ。
今回も、自分が幸せかどうかは自分で決めることだと子供達に話しをした。
障害と幸せは関係ないことも伝えた。
友人が差し入れしてくれた好物の海苔巻きお煎餅をかじりながら、
僕はどう考えても幸せ者だと自覚した。
そして、このいつものホテルをいつの間にか大好きになっていることに気づいた。
(2020年10月18日)

エッセイスト

見えなくなった時、もう何もできなくなると思ってしまった。
なんとなくそう思ってしまった。
それと同時にそれは嫌だと強く思った。
失うことが嫌だった。
失いたくなかったから工夫を始めた。
普通に起きて、普通に顔を洗って、普通に食事して、普通に出かけて・・・。
普通に生きていきたいと願った。
そのために点字や白杖歩行の専門的な訓練も受けた。
いろいろな努力もしたし練習もした。
そして途中で気づいた。
僕達だけが頑張ってもうまくいかない。
僕達を受け入れる社会の理解も不可欠だ。
どうやって知ってもらえばいいのだろう。
ボランティアさんのアドバイスもあって書くことを始めた。
無我夢中で書き続けた。
未来を夢見ながら書き続けた。
稚拙な文章だし、文学とは程遠いのも自覚していた。
それでも書き続けた。
恥ずかしさを越えて書き続けた。
普通に生きていける未来のために書き続けた。
月末の講演の予定が昨日の京都新聞の記事になっていた。
エッセイストと紹介されていた。
気恥ずかしいけどうれしかった。
ほんの少し、未来に近づけたような気がした。
(2020年10月14日)

10月10日

子供の頃から、10月10日は晴れるのだと思っていた。
東京オリンピックが開催された日で体育の日だった。
テントに敷かれたゴザに体育座りをしながら万国旗を見上げた。
グランドに引かれた白線、流れるマーチ、空はいつも笑ってた。
見えなくなってからは走ることはなくなった。
50歳の時に故郷で開催された卒業生のイベントの運動会が最後だったと思う。
小学生の肘を借りて走った。
あれからまた10年以上の時が流れた。
相変わらず白杖で京都の街を歩いている。
白杖で走ることはできないけれど、僕は僕ののろまさで歩いている。
元気で歩いているのは幸せなことだ。
今年の10月10日は雨の中だ。
空は大泣きしている。
神様だって鳴きたくなる日もあるんだな。
そうそう10月10日は目の愛護デー。
風景を見ることはできなくなったけれど、しっかりと前を見て歩いていきたい。
時の流れを見つめながら生きていきたい。
(2020年10月10日)

メール

毎日たくさんのメールが届く。
一日平均50通は超えている。
3桁の日もある。
迷惑メールやお店からの勧誘メールもある。
これは困ったものだがどうしようもない。
題名で確認できたらすぐ削除するようにしている。
いくつかの団体の役員をやっているのでその関係のものが一番多い。
ホームページからもメールを送信できるようになっているので講演や授業依頼のメー
ルも届く。
先輩、仲間、友人からのものもある。
アドレスはオープンにしているので一般市民の方からの応援メールも届いたりする。
日本中、たまには国外からも届く。
見えない僕がこうしてメールが使えるのはパソコンのお陰だ。
この道具がなかったら生活すべてが変わっていただろう。
仕事もできなかったのかもしれない。
化学技術の発展がいろいろな人達の幸せにつながっていくのは素晴らしいことだ。
最近のアイフォンの進歩などもまた新しい時代につながっていくのだろう。
先日届いたメールに先輩からのものもあった。
年に一度くらい、忘れた頃に届けてくださる。
彼女は僕より少しお姉さんだが視覚障害者歴はまだ5年だ。
視覚障害の悲しさと悔しさの中にいた彼女はいろいろな人に巡り合い、一歩ずつ進ん
でいかれた。
その道程で僕も出会った。
訓練を受けられ、日常生活のノウハウ、好きな読書、取り戻された。
今は訓練の中で習得された織物を趣味にしておられるらしい。
淡々と綴られた文章には穏やかな力が感じられた。
目が見えていた頃と同じように、彼女らしく生きていこうとしておられるのが伝わっ
てきた。
残された光がなくなってしまうかもしれないという恐怖を感じながらも、
前を向いて生きていこうとする人間の生命力があった。
メールは「どうぞどうぞお健やかに ご機嫌よう」
と結ばれていた。
読み終えた僕自身の心に力がうまれるのを感じた。
秋空のような気持ちになった。
苦悩を乗り越えた言葉は誰かの力になれることがある。
人間っていいな。
(2020年10月6日)

新米

友人から新米が届いた。
お茶碗を持って、炊き立てのごはんの香りを嗅いだ。
鼻をくんくんさせて香りを嗅いだ。
それからただごはんだけを口に運んだ。
噛むほどにごはんの甘さが口中に広がった。
キラキラト輝く真っ白なごはんを思い出した。
幸せな気分になった。
黄金色に輝いていた稲穂の波も蘇った。
美しい景色はいつまでも心に残っているものなのだ。
風景だけがゆっくりと脳裏をかけていった。
静かに鮮やかにかけていった。
僕はまた口を動かしてごはんを味わった。
もう一度あの黄金色に輝く稲穂の波を見てみたい。
真っ青な秋空の下で見てみたい。
素直にそう思った。
(2020年10月1日)

支えてもらいながら

タクシーを降りて歩き出したら、運転手さんが追いかけてきてくださった。
反対の方向へ向かって歩き始めたらしかった。
僕は運転手さんにしっかりとお礼を伝えて歩き始めた。
「行ってらっしゃい。」
背中から運転手さんの声が聞こえた。
僕は振り返って会釈をした。
それから白杖で点字ブロックを確認しながら改札口へ向かった。
「新大阪駅まで単独で行きます。サポートをお願いします。」
僕は改札口の駅員さんに告げた。
「分かりました。手配をしますのでベンチで待っていてください。案内します。」
駅員さんは僕を構内のベンチまで案内してくださった。
5分くらい過ぎてから声がした。
「手配が完了しました。次の電車に乗車してもらいます。新大阪駅にも連絡済ですか
らご安心ください。」
僕は駅員さんの肘を持たせてもらってホームに移動した。
「この辺で待ちましょう。あと3分ほどあります。」
僕達は無言で電車の到着を待っていた。
「今日は東京ではないのですね。」
駅員さんは唐突に話された。
僕が驚いた感じを察知して説明をされた。
「私はこの駅に配属されて2年半なのですが、お客様のお手伝いをもう10回以上や
っているんですよ。東京へ行かれることが多いですよね。」
「はい、東京での会議が多いものですから。今日は仕事が大阪なんですよ。
そうですか、もう10回以上ですか、本当にありがとうございます。」
そんな話をしているうちに電車が到着した。
駅員さんはマイクで放送をされた。
「業務連絡、お客様乗車です。」
「了解。」
車掌さんの確認のアナウンスが流れた。
「では活きましょう。空いている席がありますから案内します。」
駅員さんは僕を空いている席に座らせると、
「気をつけて行ってらっしゃい。」
と声をかけて降りていかれた。
「ありがとうございました。助かりました。」
僕は後ろ姿に大きな声で感謝を伝えた。
「お客様、乗車完了。」
駅員さんのマイクの声が流れた。
僕は振り返って窓越しに頭を下げた。
そして自然に笑顔がこぼれた。
いろいろな人に支えられて生きている。
その実感が僕を幸せ色に包んだ。
しみじみと、ほのぼのと、そしてしっかりとうれしくなった。
新大阪駅のホームには連絡を受けた駅員さんが待っていてくださった。
「業務連絡、お客様降車です。」
駅員さんのマイクの声が聞こえてきた。
今日と言う一日をまた頑張ろうと思った。
(2020年9月26日)

ベランダ

見えないと何もかもを家族にしてもらっていると思われがちだがそうでもない。
人によっても違うのだろう。
これは見えても見えなくても同じなのかもしれない。
若い頃に一人暮らしの長かった僕は料理、洗濯、掃除は自分でやってきた。
やらなければならなかっただけのことだ。
それによっていろいろ身に着いてしまった。
だから家事が特別に苦になることはない。
見えなくなって変わったのは工夫ということだろう。
自分で料理する機会は少なくはなったがたまにはやっている。
それなりに工夫をしながらだ。
気が向いたら掃除機で自分の部屋の掃除もやっている。
洗濯は好きなのかもしれない。
ベランダに出て洗濯ものを取り入れる瞬間はうれしくなる。
乾いた洗濯物の触感や香りでお日様を感じられるような気がする。
ベランダからふと外の景色を見るのも好きだ。
何も見えてはいないのだけれどなんとなく見てしまう。
自分でも不思議な行動だ。
気温や湿度や風や音が作り出す景色みたいなものがあるような気がする。
身体全体で見ているのだろう。
そして気持ちよく感じると目線が遠くに動いていく。
脳がなんとなくやさしくなる。
そしてうれしくなる。
洗濯が好きなのではなくてベランダが好きってことかな。
(2020年9月21日)

夏が終わって

セミの声がいつ消えたのか気づかなかった。
確か先週はつくつくぼうしの鳴き声を聞いたような気がする。
それがいつの間にか消えていた。
そして秋の虫達が控え目に歌い始めた。
歌声に誘われるようにそよ風も吹き始めた。
冷気とまでは言わないが少し涼しくなったのは間違いない。
夏は大威張りでやってきたのに、秋はこっそりと忍び寄ってきている。
そしてこっそりと去っていくのだろう。
秋にはその緩やかさと短さがよく似合う。
僕の人生も今は秋なのかな。
物悲しい季節なのかな。
小さな秋、見つけながら生きていきたい。
見つめながら生きていきたい。
(2020年9月16日)

阪神タイガース

例年と比べれば仕事は少なくなっている。
授業や講演などが仕事なのだから仕方ない。
コロナが落ち着くまではこの状態が続くのだろう。
いつ落ち着くかも実際には見通しがあるわけではないが、
流れに身を任すしかないという心境だ。
くよくよしてもどうにもならないのだから、
一日一日を大切にしたいという気持ちが大きくなった。
これまでよりも豊富にある時間をどう使うか思案した。
ゆっくり読書をしてみようか、
英会話の勉強でもしようか、
点字の練習もやった方がいい。
頭ではいろいろ考えたのだが、実際にできていることはひとつだけだ。
阪神タイガースをちゃんと応援すること。
昨年までは試合結果だけを確認する日が多かったが、
今年はプレーボールから試合終了までほとんどラジオの前で過ごしている。
短くても3時間はかかる。
一喜一憂しながら気持ちは甲子園だ。
気が付くと拍手しながら応援している僕がいる。
笑ってしまう。
画像がなくても十分に楽しんでいる。
いや、画像がないことさえ忘れてしまっている。
やっぱり野球が大好きということなのだろう。
阪神タイガースのファンということなのだろう。
今年は多分120試合のほとんどを応援するだろう。
そして年末にはきっと思うのだ。
「もっと時間を有効に使って何かやれば良かった。」
反省しながら成長がないというのはコロナとは関係ないようだ。
努力が苦手で勉強が嫌いというのも僕の大切な個性なのかな。
今夜もしっかり応援します。
(2020年9月12日)

台風

鹿児島県で少年時代を過ごした僕にはいくつかの台風の思い出がある。
台風がくるとなれば雨戸の準備をした。
父ちゃんは針金を使って家のあちこちの戸をくくった。
僕はきっと足手まといだったのだろうけど父ちゃんの作業の手伝いをした。
ろうそくの灯りだけで夜を過ごしたこともあった。
風のうなり声に怯えて眠れなかったこともあった。
近所の河が反乱したこともあった。
家の瓦が飛んでいったこともあった。
幼馴染の家が倒壊したこともあった。
家の前で泣きじゃくっていた彼にかける言葉がなかったことも憶えている。
毎年のように台風を経験しながら大人になっていった。
慣れていながら、その怖さも身体にしみ込んでいるのだろう。
今回の台風はこれまでに経験したことのないものだとのことだった。
数日前からトップニュースで報道された。
幾度も警鐘が鳴らされた。
台風が迫ってきた夜も僕は毎時に流れるNHKのニュースを聞いた。
高校時代に毎日見ていた川内川の様子、聞き覚えのある町名なども流れた。
不安でなかなか眠れない夜を過ごした。
朝起きるなり、いくつか電話をかけてみた。
大切な人達の元気な声が聞こえた。
その声だけでほっとした。
声が聞こえただけで笑顔になった。
それからいつものようにホットコーヒーを飲んだ。
いつものコーヒーをとても美味しく感じた。
(2020年9月7日)