隅田川

視覚障害者全国大会の代表者会議の会場は浅草だった。
僕は早めに浅草に着いた。
浅草駅のホームの音楽は「花」だった。
どうしてだろうと思ってガイドさんにお尋ねしたら、
「春のうららの隅田川」の隅田川が近くを流れているからではとのことだった。
桜の季節には大勢の見物客が訪れるとのことだった。
僕は小一時間の自由時間を隅田川散策に使うことにした。
隅田川公園には勿論桜の花はなかったけれど、
たくさんのあじさいが咲いていた。
目が見えていたらここを歩くことはなかったかもしれない。
見えなくなって団体の役員をするようになったから
いわば義務感で訪れたようなものだ。
それでも心を動かす景色に出会うことはあるのだ。
特別な美意識に関わるものではない。
ただそこにあじさいの花が咲いていた。
数えきれないほどのあじさいの花だった。
色とりどりのあじさいの花だった。
雨上がりにやさしく濡れていた。
それを触る僕の心が豊かに落ち着いていた。
隅田川の川面を渡る風がそっと微笑んでくれた。
一瞬止まった時間が呼吸も止めた。
そして次に吸い込んだ空気は6月の空気だった。
それだけで幸せになった。
忘れられない風景を心のアルバムに残しておきたいと思った。
(2018年6月13日)

先輩の声

時々思い出しながら、なかなか声を聞く機会はなかった。
体調はどうですかと尋ねるタイミングも頻度もそれなりに気を使う。
電話の向こう側の先輩の声は明るかった。
お元気そうだった。
見たことはないのに先輩の笑顔を思い浮かべた。
一億人以上の数の人が暮らすこの国で、
人間が一生に出会えるのは一万人くらいだと聞いたことがある。
その中で心のやりとりまでできるのはどれくらいだろう。
運命ってあるのかもしれない。
先輩の笑顔を思い浮かべた僕も笑顔になった。
先輩が一日でも長く元気でいてくださるようにと自然に祈った。
深く祈った。
(2018年6月8日)

蛍の光

網膜色素変性症という病気は夜盲の症状を伴うことが多い。
夜盲というのは暗い状態、場所では光を感じることができないという症状だ。
一定の明るさ、量がないと光を認識できない。
網膜の光に対しての感度が鈍いということなのだろう。
夜は街頭の近くだけが見えていて、そこから少し離れると何も見えなくなった。
電気スタンドの下では文庫本の小さな文字も問題なかったが、
一度消すと何も見えない状態になった。
明るい場所から薄暗い喫茶店に入ったり、映画館に入った時なども大変だった。
月は見えていたのに星は見えなかった。
その頃はそれなりの工夫をしながら生活していたのだろう。
家族や友人達に助けられていたのは間違いない。
蛍が飛んでいると聞いてもそれは見えなかった。
ある時父ちゃんが蛍を一匹虫かごに入れてくれた。
見えるはずがないと思いながら暗い部屋で虫かごを見つめた。
じっと見つめた。
淡い薄黄緑色の光が強くなったり弱くなったりしているのが見えた。
見間違いではないかと思って幾度か繰り返した。
やっぱり見えた。
その美しさに呆然となった。
時を忘れて見入った。
それから蛍が飛び交うという場所を数回訪れたがだめだった。
それでも虫かごに入れてもらった蛍はやっぱり見えた。
蛍の季節になるとその淡い薄黄緑色の光が乱舞する映像を想像した。
つい先日も同じ街に住む友人から小川のほとりで蛍を見たと連絡があった。
あの頃と同じように淡い薄黄緑色の光の乱舞を想像した。
あの頃と同じようにうれしくなった。
いやひょっとしたらあの頃よりもうれしくなった。
伝えてくれる人がいるということが幸せなのだろう。
見せてやりたいと思ってくれた父ちゃんと同じなのかもしれない。
(2018年6月4日)

新しい傘

新しい折りたたみ傘を買った。
70センチの大きな傘だ。
普通の折りたたみ傘は50センチだからだいぶ大きい。
大きいのに思ったほど重くはない。
白杖を使っている僕は荷物はいつもリュックサックだ。
雨の日は右手に白杖、左手に傘という状態だ。
どうしてもリュックサックが濡れたりしてしまう。
歩きにくさもあって雨の日の外出は結構憂鬱だ。
今度の傘はリュックサックまでがすっぽりと入る。
色は深緑、雨の季節に似合いそうだ。
神様は早速雨の日をプレゼントしてくださった。
ワクワクしながら出かけた。
新しい長靴を買ってもらった少年時代を思い出した。
晴天の空をうらめしそうに眺めていた。
こんな年になって心はあの頃とあまり変わらない。
ウキウキしながら歩いてしまった。
心の中で歌まで歌ってしまった。
ピチピチジャブジャブランランラン。
白杖までがうれしそうに道をたたいた。
(2018年5月31日)

蒼い匂い

少し湿度も感じる無風の朝、
団地を出て歩き始めてすぐに気づいた。
草刈りの後の蒼い匂いだ。
団地の草刈りは毎年梅雨が始まる前に実施されている。
今年ももうそんな時期になったのだ。
もう一度鼻をピクピクさせて匂いを嗅ぐ。
やっぱり蒼い匂いだ。
ささやかな気づきにささやかな喜びが宿る。
生きているんだなとなんとなく自覚する。
生きていることを幸せだなと何故か思う。
生きてこれたことを幸せだと何故か思う。
そしてそっと空を見上げる。
(2018年5月28日)

アメちゃん

家を出たのは7時過ぎだった。
バス、阪急電車、地下鉄、近鉄電車と乗り継いで最寄駅に着いた。
待機してくれていた学校の関係者の車で専門学校に到着したのが8時50分。
入れてくださったホットコーヒーを啜って教室へ向かった。
2コマ連続の講義だった。
慣れているとは言え90分の講義にはそれなりのエネルギーも必要だ。
元々そんなに体力があるわけでもないし年齢も61歳になった。
180分立ちっぱなし、しゃべりっぱなしはきついものもある。
情熱だけが僕を支えてくれている。
講義を終えて講師室でほっこりしていた。
ささやかなリラックスタイムだ。
食事を済ませて午後の大学へ向かわなければならない。
突然誰かがドアをノックした。
僕が一人なのを確認すると彼女は部屋に入ってきた。
昨年僕の講義を受講していた学生だった。
「先生、はい、アメちゃん。」
彼女は笑顔で僕にアメちゃんを手渡した。
そして少しだけ会話して出ていった。
僕の講義を受けてから視覚障害者に声をかけられるようになったのだそうだ。
そうなった自分自身がうれしいとのことだった。
アメちゃんを口に含んだら甘酸っぱい味がした。
もうしばらくはこの仕事を続けたいと思った。
(2018年5月24日)

ウナギ

久しぶりに宇治を訪れた。
いくつもの思い出が転がっていることに気づいた。
やさしい思い出に包まれながら宇治橋を渡った。
宇治橋商店街にある川魚屋さんでウナギのかば焼きを買った。
初めてここのウナギを食べたのはもう10年以上前のことだ。
講演の帰りに関係者から頂いたお土産が茶団子とここのウナギだった。
実家に立ち寄って父ちゃんと一緒に食べた。
「うまいなぁ。」
父ちゃんがしみじみとつぶやいた。
喜怒哀楽をあまり出さない父ちゃんが本当にうれしそうだった。
僕は中座してこっそりと涙を拭った。
うれし涙だったと思う。
失明してしまったことに対しての申し訳なさみたいな気持ちが僕のどこかにあった。
理屈では説明しきれない感情だったと思う。
僕はそれから幾度もその川魚屋さんでウナギを買い求めた。
僕にもできる親孝行の真似事だったのだろう。
父ちゃんの好物はいつの間にか僕の大好物になった。
父ちゃんがこの世を去ってからは足が遠のいた。
遠いし自分のものとしては値段の高さもあった。
今回は父ちゃんにお供えするという理由付けでお土産にした。
ウナギを食べながら父ちゃんの顔が浮かんだ。
笑ってくれている顔だった。
(2018年5月21日)

色とりどりの緑の中を歩く。
きみどりからふかみどりのような濃い緑までたくさんの緑が僕を包む。
僕はわざと立ち止まって深呼吸をする。
緑が僕の肺まで届く。
なんとなく身体が軽くなるような気がする。
心までが解放されていく。
僕は閉じていた瞼をそっと開けてみる。
緑が見えるかもしれない。
そんな気になってしまう。
気のせいだと判ってまた目を閉じる。
悲しいとかの感情は沸かない。
照れ笑いの顔が緑に染まる。
そしてまたゆっくりと歩き出す。
(2018年5月18日)

丹波橋駅

丹波橋駅はよく利用する。
以前はサポーターと一緒の場合が多かったのだが最近は単独が多い。
近鉄丹波橋駅で電車を降りたらまず鳥の声を探す。
合成音の鳥の声が階段の上り口で定期的に鳴いてくれている。
その音に向かって点字ブロック沿いに歩く。
階段にたどり着くことができる。
階段を上ったら今度は改札機の音を探す。
駅構内の地図が頭に入っていないので音だけが頼りだ。
近鉄丹波橋駅から京阪丹波橋駅までの連絡通路は一本道だ。
上り下りの坂道ではあるが問題はない。
京阪丹波橋駅の構造は教えてもらったことはあるのだが記憶は定かではない。
結局毎回のように迷っている。
迷っている僕に気づいた駅員さんや通行人の方がサポートしてくださってなんとかな
っている。
それに味を占めている僕は記憶の努力を先延ばししてしまっている。
何とかなるさという姿勢は見えていた時も見えなくなってからも変わらない。
今日も又京阪丹波橋で迷ってしまった。
「松永先生、お久しぶりです。どうかなさったのですか?」
立ちすくんだ僕に声がかかった。
随分前の専門学校の教え子だった。
「深草方面のホームに行きたいけど分からなくなっているんだ。」
僕は迷子状態を説明した。
彼女は快くサポートを引き受けてくれた。
「私事ですが最近入籍しました。」
わずかの時間に近況と一緒に彼女は幸せをおすそ分けしてくれた。
僕もなんとなくうれしくなった。
帰宅したら彼女からメールが届いていた。
「先生が今もお元気そうで、その事が心から嬉しかったです!
今日の青空は柔らかで澄んだ青色をしていて、風に新緑がゆれて、
風に運ばれるように松永先生にお会いできて光栄でした。」
僕は笑顔になってコーヒーをすすった。
そして願った。
「末永くお幸せに!」
(2018年5月14日)

単独移動

ゴールデンウィークはいくつかの用事などもあったが例年よりはのんびりできた。
ゴールデンウィークの終わった翌日、僕は東京へ向かった。
会議に出席するためだ。
遊び疲れなどではないがなんとなく気だるさをひきずりながら家を出た。
天候の下り坂のせいもあったのかもしれない。
小雨の中、傘をさしながら歩き始めた。
いつもの道をゆっくりと歩いてバス停の点字ブロックを確認して止まった。
バスのエンジン音が近づいてきた。
僕の前でドアが開くと同時に放送が聞こえた。
「桂川駅行きです。正面が横向きの椅子です。全部空いています。」
完璧な案内だった。
「ありがとうございます。」
僕は首だけ運転手さんの方に向けて大きな声でお礼を伝えた。
そして座った。
何故か少し元気が出たような気がした。
桂川駅では僕を見つけた駅員さんが声をかけてくださった。
「何かお手伝いすることはありますか?」
僕は東京駅まで行くことを告げてサポートを依頼した。
それから駅員さんは乗換駅などに連絡をされているようだった。
やがて別の駅員さんが出てきて僕をホームまで案内してくださった。
「雨と一緒に東京ですね。きつく降らなければいいですね。」
電車待ちの時間に駅員さんは笑顔で話をされた。
「この時間帯はきっと混んでいるので入口の手すりに案内してください。」
僕は話の流れにのっかりながら依頼をした。
電車が到着して予定通りに入口の手すりの位置に乗車した。
「気をつけて行ってらっしゃい。」
駅員さんの声が車内に乗り込んだところでドアは閉まった。
僕はホームの駅員さんにお辞儀をした。
電車が動き始めてすぐに男性の乗客が声をかけてくださった。
「お座りになられますか?」
「ありがとうございます。助かります。」
僕は声をかけてくださった男性がどちらにおられるかは判断できなかったので、
とりあえず大きな声でお礼を言いながら座った。
またまた少し元気になった。
電車が京都駅に到着した。
僕を待っていた京都駅の駅員さんは慣れた手引きで僕を新幹線乗り換え口まで案内してくださった。
「ここからは東海の職員に交代します。
引継ぎ予定時間までに後4分くらいありますから待っていましょう。」
それから駅員さんは昨日までの京都駅の混雑の凄さなどを教えてくださった。
そして僕の視覚障害を意識してか歩きスマホの危険性なども語られた。
東海の駅員さんが到着された。
「行ってらっしゃい。」
京都駅の駅員さんは僕にそう言いながら引継ぎをされた。
「階段は大丈夫ですか?」
東海の駅員さんが尋ねられた。
「何でも大丈夫です。」
「階段が一番近いので階段で行きますね。」
僕は駅員さんと上りホームに移動した。
「業務連絡、4号車、乗車です。」
僕の乗車予定ののぞみ号が近づいてくるタイミングで駅員さんはハンドマイクで放送をされた。
「了解。」
またどこからか放送が入った。
ドアが開いたところにのぞみ号の客室乗務員の方が待機されていた。
無線で僕の乗車予定が伝えられていたのだ。
「気を付けて行ってらっしゃい。」
先ほどの駅員さんの声が背中を押した。
「ありがとうございました。」
客室乗務員の女性は僕を指定席まで案内してくださった。
「東京駅ではまた降車のお手伝いをさせてもらいます。」
こうして当たり前のように駅員さんや市民の方にお手伝いしてもらいながら僕は国内ならどこにでも行ける。
目隠しをした状態の人間が単独で移動できる社会って素晴らしいと感じる。
人間だからこそ築ける社会のような気がする。
そして人間同士の関わりは生きていく力や勇気をくれる。
出発の時の疲労感は完全に消えていた。
東京駅に着いたら満面の笑みのガイドさんが待っていてくださった。
幸せな気分になった。
(2018年5月9日)

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