奨励

同志社女子大学宗教部から奨励依頼が届いた。
耳慣れない言葉だが、教会のお祈りの際に少し話をして欲しいとのことだった。
本来は牧師様やいろいろな先生方が話をされるのだろう。
僕なんかおこがましいというのが本音なのだがその場所に魅かれてお引き受けした。
1932年に建てられた栄光館チャペルがその場所だった。
新島八重さんの葬儀もここでおこなわれたという歴史のある登録文化財だ。
ヘレンケラーさんが来日した際の講演会場にもなった。
その場所が過去のものではなく現在も脈々と息づいているのだ。
栄光館に足を踏み入れるとパイプオルガンの荘厳な音色が漂っていた。
僕は心を落ち着けてから少しだけ話をした。
ささやかでいいから僕の人生の喜びを伝えられればいいと思った。
誰かに聞いてもらうとかではなく、自分自身に話しかけているような感じがした。
不思議な満足感を感じた。
講演が終わって、宗教部の職員の方が最寄り駅までサポートしてくださった。
冬枯れの空を眺めながら歩いた。
帰ったら彼からお礼のメールが届いていた。
「いつもお支え頂いてありがとうございます。」
という言葉で始まる挨拶文だった。
素敵な表現だと思った。
そして僕自身もその思いを忘れてはいけないのだと強く思った。
(2020年12月8日)

夢のマイホーム

洛西ニュータウン、この街が誕生した頃から僕はここで暮らしている。
当時、新築の市営住宅に抽選で入居することができたのだ。
母親の介護のために一度だけ引っ越ししたが、
それも同じニュータウン内にある公団住宅だ。
団地での生活がもう40年近くになったのだ。
大学を卒業して就職し、普通に働いていた頃、いつかマイホームをという夢も持って
いた。
その当時の福祉労働者の給与は淋しいものだった。
僕の夢は新築から中古に移っていった。
それでも、小さな庭があってとかささやかな夢はあった。
39歳での失明はすべての夢を飲み込んだ。
僕なりに努力はしたが、僕を雇ってくれるところはなかった。
正規職員だけでなくパートもアルバイトもなかった。
生きていくために必死にならなければならない日々が続いた。
本の出版がきっかけとなったような気がするのだが、
少しずつ非常勤講師などの仕事ができるようになっていった。
それでも、収入は同世代の見える人の半分にもならなかった。
マイホームの夢はあきらめるしかなかった。
正真正銘の夢のマイホームになってしまった。
不思議なことに、その現実への不満はなかった。
少しでも働けるようになったことへの感謝の方が大きかったような気がする。
社会に関わって生きていく喜びが大きかったのだろう。
裏を返せば、失明はそれさえも奪おうとしていたということなのだ。
団地の郵便受けに入っている住宅物件のチラシを今でも時々見ている。
ただ販売価格は見なくなった。
遥か遠くに消えてしまった夢が懐かしいのかもしれない。
僕にできること、僕達も参加しやすい社会に向かうこと。
まだまだ頑張らなくちゃ。
(2020年12月4日)

風の朗読サイト

確かにそれは僕が書いたものなのかもしれない。
それを人間の声に載せることで別の命が生まれるのだ。
それぞれの人間の持つ声のぬくもりが変化を齎す。
同じ作品が読み手によって様々に変化していく。
素材が料理人によって変わっていくことに似ている。
深くなったり美しくなったり、或いは意外な味を醸し出したりする。
それぞれの人間の声がそれぞれの魂から生まれてくるということだろう。
これまでもいろいろな声が僕の作品を読んでくださった。
カセットテープやCDに録音されたり電波に載ったりした。
有難いことだと思う。
光栄なことだと思う。
そしてまた新しい形の朗読が始まった。
インターネットで聞くことができるのだ。
僕のホームページのリンク先にある
「06風の朗読サイト」
一度味わってみてください。
目を閉じて味わうのが秘訣です。
コーヒーでも飲みながら。
(2020年11月29日)

犬も歩けば

ここ数日で3度ぶつかった。
道路標識、おばあちゃん、おじさん。
道路標識とぶつかるのは白杖の使い方の問題だと思っている。
技術の劣化だと思うから痛いより悔しい方が大きい。
白杖の達人を目指している僕にとってはプライドの方が傷つく感じだ。
おばあちゃんには後ろからぶつかった。
おばあちゃんは僕の左前方をゴロゴロを引っ張りながら歩いておられたが、
突然僕の前に入ってこられた。
あまりにも突然の進路変更だったので避けられなかった。
白杖がほんの少し当たった程度ですんだのでほっとした。
押し倒すようなことになってしまったら大変だ。
どうしておばあちゃんかと思ったかというと、そのスピードと動き方の雰囲気だ。
多分の話なのだがなんとなく自信はある。
おじさんとは正面衝突だった。
結構なスピードでぶつかったのでゴツンと音がした。
サングラスとマスクが外れるくらいの衝撃だった。
僕は点字ブロックを白杖で触りながらの歩行だった。
ぶつかったのは相手の方の不注意だと思う。
それでもぶつかった瞬間に僕の方から声が出た。
「大丈夫ですか?」
見えなくなってからもうどれくらいいろいろな物や人にぶつかったことだろう。
おでこにはいくつかの傷も残っている。
ぶつかり慣れているということかもしれない。
「大丈夫です。すみません。」
という返事でおじさんと分かった。
一瞬、視覚障害の人かと思ったがそうではないようだった。
「ぼぉっとしていて前が見えていませんでした。」
おじさんは申し訳なさそうにおっしゃった。
「僕も見えていませんでした。」
という言葉が頭の中に浮かんだが飲み込んだ。
ブラックジョークになってしまうような感じがしたからだ。
とにかくお互いにケガはなかったようだった。
おじさんと別れて、また点字ブロックを白杖で触りながら歩いた。
「犬も歩けば棒に当たる」というカルタの言葉を思い出した。
その意味を今でも知らないことに気づいた。
僕は棒を持った犬みたいなものかなとおかしくなった。
(2020年11月27日)

朝の電話

僕の両親は鹿児島県阿久根市で小さな商売をしていて、
僕はそこで生まれ育った。
僕が24歳の時、母は大きな病気をしてそれまでの生活ができなくなった。
それがきっかけで、両親は京都の僕の近くで暮らすことになった。
故郷の鹿児島を離れての生活は大変なところもあったが、二人で頑張ってくれた。
息子の近くに暮らしているというだけでお互いに安心感はあったのだろう。
視覚障害のある息子の暮らしも気になっていたに違いない。
6年前に父が亡くなり、母は鹿児島の妹宅で暮らすことになった。
30数年ぶりに故郷に帰ることになったのだ。
複雑な思いでいた母に僕はひとつだけお願いをした。
一日に一回の朝の電話だ。
6年間、朝の電話は続いている。
特別な話をするわけではない。
暑いとか寒いとか、デイサービスに行くとか行かないとか、
たわいもない話をして声を聞くのが目的の日課だ。
94歳になった母は記憶も少し危なくなってきた。
おなじことを幾度も言ったりするようになってきた。
その母が今朝は違った。
「毎朝渡る信号に音をつけてもらいなさい。」
しっかりとした口調で僕に話をした。
音のない信号を渡る視覚障害者の危険が新聞記事にあったらしい。
「わかった。そうするよ。」
僕はその気はないけれど、そう答えた。
答えながら目頭が熱くなった。
僕の目のことが母の記憶から消えることはないのだろうか。
できることなら消してあげたいと僕は思ってしまう。
(2020年11月21日)

絵画

カサカサ、
シャカシャカ、
クシュクシュ、
シャッシャッ。
白杖の先で秋が歌う。
足の裏で秋が遊ぶ。
僕は立ち止って周囲を見渡す。
黄色、こげ茶色、赤色、緑色、黄土色、茶色、橙色、
記憶から飛び出したクレパスが秋を彩る。
絵になる風景が静かに佇んでいる。
子供の頃から絵を描くのは苦手だった。
小学校2年生の時、一度だけ絵が入選したことがあった。
絵で褒められたのは最初で最後だった。
「元気がある」という評価を憶えている。
中学の時、夏休みの宿題を後ろの席の女の子に頼んで、
それが先生にばれてしまってこっぴどく怒られた思い出もある。
元々のセンスの無さを痛感していた。
でも鑑賞するのは好きだった。
京都で暮らすようになって美術館がとても身近になった。
秋には特に美術館に足を運んだ。
いろいろな絵画を眺めながら過ぎていく時間が好きだった。
飽きることなく眺めていた。
見えなくなってから美術館に行くことはなくなった。
いくつかの絵画が記憶の底に残っている。
人間は美しいものが好きなのだろう。
記憶の中の数枚の絵画を鑑賞して、
それからまた周囲を見渡す。
風景画もいいなとなんとなく思った。
秋が笑った。
(2020年11月16日)

もうすぐ100万

出かける前にはいつものリュックサックの中身を確認する。
携帯用白杖、点字付きの名刺、ありがとうカード、ポケットワイファイ、それに消毒
用アルコールスプレー、予備のマスクなどが入っている。
小学校に行く時は、それにキーホルダー型音声時計と点字トランプと著書の「風にな
ってください」を加える。
自分で自分の著書を買うのはちょっと変な感じだが、今年から出会う子供達にプレゼ
ントすることに決めたのだ。
毎回1冊だけ学校の図書室に置いてくる。
今回はそれに点字器を30個持っての移動だった。
子供達が点字の体験をしたいという希望があったからだ。
点字器は別のカバンで手に持ったが結構重たかった。
おまけに電車が遅延で混んでいて大変だった。
なんとか開始時刻には間に合った。
3クラスの子供達が体育館に集まって話を聞いてくれた。
それからそれぞれのクラスで点字学習をした。
給食を挟んで1時限目から5時限目までハードだった。
それでもちゃんとやっているのだから体力はあるのだろう。
子供達と過ごす時間が豊かで楽しいせいなのかもしれない。
小学校の帰路、ライトハウスに立ち寄った。
レンタルの点字器を返し、自分用の点字用紙を購入するためだった。
販売コーナーでは友人の全盲の女性が働いていた。
「ブログ、いつも楽しみに読んでいますよ。あるあるって教官してます。」
会うなり彼女は笑顔でそう言ってくれた。
僕は一日の疲れが一瞬で消えたような感じになった。
うれしかった。
先日も横浜の視覚障害者の友人が同じようなことを言ってくれた。
仲間に共感してもらうというのは一番うれしいことのような気がする。
それはそのまま、書き続けるエネルギーにもなっているような気もする。
2012年にスタートしたブログがもうすぐ100万アクセスになる。
信じられない数字だ。
支えてくださったすべての人達に感謝したい。
見える人、見えない人、見えにくい人、すべての人に。
(2020年11月12日)

若者

僕はプラットホームの点字ブロックの上に立って電車を待っていた。
耳だけはアナウンスに集中し、それ以外の感覚は自由にさせていた。
白杖の先端を地面につけてグリップ部分を両手で持って立っていた。
白杖の長さは身長の胸くらいまである。
そのポーズになればリュックサックを背負った背筋が少し伸びる感じになるのだ。
そしてそっと空を見上げる。
顎を少しあげて空を眺める。
自分でも好きな時間だ。
やがて、京都駅方面の電車の到着のアナウンスが流れた。
白杖を持つ手に少し力が入った。
緊張だ。
画像のない状態で乗降口を探す。
他の人にぶつからないようにしながら乗車しなければいけない。
降りてくる人の足に白杖がひっかかってもいけない。
慎重にそしてスピーディに動くのがコツだ。
ホームと電車の間に落ちてしまうなんてとんでもない。
ほんの数十秒の間の大仕事なのだ。
電車の音が近寄ってきて停車する直前だった。
「よろしかったらお手伝いしましょうか。」
ちょっと自信なさそうな小さめの声が隣から聞こえた。
僕は咄嗟に彼に反対側に立ってもらって、そして肘を持たせてもらって乗車した。
乗車してすぐに依頼した。
「座席が空いていたら教えてください。」
彼は近くの席に誘導してくれた。
僕はありがとうカードを渡してしっかりと感謝を伝えた。
声からして高校生か大学生くらいの年齢だろう。
勇気を振り絞って声をかけてくれたのかもしれない。
初めての経験だったのかもしれない。
僕はうれしかった。
僕が高校生の頃、障害者の人に声をかけるなんてできなかった。
差別していたわけではなかったと思うのだがハードルが高かった。
僕を座席に案内してからどこかに去った彼をかっこいいと思った。
こういう若者たちが作ってくれる未来、ほんの少し輝いて見える。
そう思ったら笑顔になった。
(2020年11月10日)

丹後半島の風

ボランティアさんの車で会場に向かった。
いや正確にはボランティアさんが手配してくださったレンタカーだった。
ボランティアさんのマイカーが軽自動車だったので、
僕が快適に過ごせるように普通車を準備してくださっていたのだった。
申し訳ない気持ちと感謝の思いが混在した。
車はスイスイと高速道路を北に向かった。
同じ京都府とは言え、僕のイメージでは丹後半島はとても遠い場所だった。
「高速道路がつながったので、2時間もかからないと思いますよ。」
ボランティアさんはまかせておきなさいという感じでおっしゃった。
それから、快晴の空を伝えてくださった。
僕は車窓から高い秋の空を眺めた。
いろいろな話をしているうちに車は現地に到着した。
会場には視覚障害者の方々がガイドヘルパーさんと一緒にきてくださっていた。
京都府の北部にお住まいの方々だった。
最初の自己紹介で参加者の声を聞くことができた。
久しぶりに耳にした声もあった。
懐かしさがこみあげてきた。
僕は感謝の思いに包まれながらマイクを握った。
いつものように思いを語った。
講演後に何人もの先輩や仲間の人が声をかけてくださった。
あたたかなメッセージだった。
最近出かけた東山区の講演会場に視覚障害の先輩が来られていたのを思い出した。
彼女は僕の手を握っておっしゃった。
「出会った頃はお兄ちゃんだったのに、立派にならはったね。
テープの録音でいろいろ聞いてたけど、今日は直接声を聞けてうれしかったよ。」
「立派じゃないけど、元気にやっていますよ。僕もまた会えてうれしかったです。」
もう90歳近くになられた彼女の手を僕は強く握り返した。
失明という経験したことのない事態に遭遇した時、
人は戸惑い、戦き、怒り悲しむ。
呆然と立ち尽くす。
これまで培ってきた経験も価値観もほとんど無力になる。
先輩や仲間が特別に何かを伝えてくれるわけではない。
秘策を伝授してくれるわけでもない。
ただ普通に笑い、普通に話、それだけだ。
ただそれだけが、氷を解かすように沁みてくる。
活きる力に変化していく。
僕もどれだけたくさんの力を頂いたことだろう。
あらためて、先輩達、仲間に感謝した。
そして、後輩たちのために少しでも力になれる生き方をしたいと強く思った。
会場を出た時、丹後半島の風がとても爽やかなのに気づいた。
(2020年11月6日)

マリーゴールド

ボランティアさんは校庭に入ると真っ先に教えてくださった。
オレンジ色のマリーゴールド。
僕はすぐにお願いした。
「触らせてください。」
ボランティアさんは校庭の横の花壇まで誘導してくださった。
僕は花壇に近寄って腰をかがめた。
人差し指で花を触った。
いくつかの花を触った。
それから、親指と人差し指で茎を触りながらたくさんの蕾を確認した。
手のひらで全体をそっと触った。
葉っぱの先を少しちぎって香りを嗅いだ。
無意識で閉じてしまっている目を更に意識的に閉じた。
緑の香りをそっと吸い込んだ。
緑の香りと鮮やかなオレンジ色が僕を包んだ。
柔らかな気持ちになっていった。
緑とオレンジと白い杖、なんとなく絵になるなと微笑んだ。
いつもの秋がそこにあることをうれしいと思った。
花の命も自分の命も愛おしく感じた。
(2020年11月1日)