Category: 松永信也からのお知らせ&エッセイ

トラック

会議は予定通りに終了した。
もてなしてくださったお茶と和菓子を頂いてから身支度をした。
会議中に聞こえた大きな雨音は消えていた。
玄関を出て数歩歩いて小雨に気づいた。
タクシーを呼ぼうかとも思ったが時間がかかるだろうと想像した。
施設の傘を借りて帰ることにした。
しばらく歩いていたらまた雨がきつくなった。
雷の音もした。
周囲の音が取りにくくなった。
路地から大通りへ出る手前で立ち止った。
たまに車が行き来するが横断歩道はない。
雨はどんどんきつくなっていた。
雨以外の音はほとんど聞こえなくなっていた。
僕は耳に全神経を集中した。
大丈夫だと判断してゆっくりと渡り始めた。
ガツン。
白杖が車にぶつかった。
車が停車していたのだ。
「すみません。」
僕は引き返した。
再度エンジンの音を聞こうと頑張ったがやっぱり雨に消された。
僕は立ちすくんだ。
しばらくして少し大きなエンジン音が聞こえた。
トラックだと思った。
僕はまた数歩後ろに下がった。
エンジン音は僕の前で止まった。
「今、渡ってください。止まっているから大丈夫です。」
豪雨に負けない大きな声だった。
運転手さんはわざわざ窓を開けて教えてくださったのだ。
しかも僕を安全に渡らすために動かないよとおっしゃったのだった。
僕も負けない大きな声で叫んだ。
「ありがとうございます。助かります。」
渡り終えると僕は振り返って深くお辞儀をした。
運転手さんはクラクションを軽く鳴らされた。
やっぱり渡り終えるのを見ていてくださったのだ。
トラックが動き始めるエンジン音がした。
僕はまた歩き始めた。
熱いものが頬を伝うのが分かった。
雨に濡れていると思われるくらいだから拭う必要もなかった。
誰も知らない誰も気づかないやさしさが街のあちこちに転がっている。
そんな街で暮らせるのを幸せだと心から感じた。
(2019年9月12日)

姉妹

妹はチューブにつながれた姉の前で立ちすくんだ。
姉はベッドの上で眠り続けていた。
命だけは助けてくださいと妹は必死でドクターに訴えた。
そしてただ神様に祈った。
祈りは通じた。
姉の命は助かった。
でも、光は失った。
神様に約束した通り、妹は姉の目になった。
二人は一緒に暮らしている。
一緒に俳句を学び、一緒に大正琴を楽しんでいるとのことだった。
時にはケンカもすると妹は照れながら話した。
姉妹が逆転したようだと姉がつぶやいた。
僕はふとお二人の両親を思い浮かべた。
娘が失明したと知ったら、きっと悲しまれるだろう。
でも、その後の娘達を知ったら笑顔になられるに違いない。
我が子を誇りと感じられるかもしれない。
僕の問いかけに姉ははっきりと答えた。
「今、幸せです。」
隣で妹が微笑んだ。
障害って何なのだろう。
家族って何なのだろう。
生きるってどういうことなのだろう。
深いやさしさに包まれながら福知山を後にした。
(2019年9月8日)

学生達

新大阪の学校で開催されたガイドヘルパー養成に出かけた。
視能訓練士を目指す学生達が受講生だった。
38人の学生達と僕は真剣に向かい合った。
学生達が直接ガイドヘルパーの仕事をすることはないのかもしれないが、
眼科を受診する僕達の後輩と出会うのだ。
その中には悲しみや苦しみを抱えている患者さんがきっといる。
僕達にそんな時期があったように。
僕は一人一人の学生に心を込めて語りかけた。
5時間の実習の後はクタクタになっていた。
学校から途中の駅までは方向が同じだった学生達がサポートしてくれた。
そこからは単独だった。
最寄り駅に着いてからは階段を探すのにも手間取った。
疲労のせいだと分かっていた。
何とか改札を出てバスのロータリーに向かった。
雨がきつかったらタクシーにと思っていたが、
小雨だと自分に言い聞かせて2千円をケチってしまった。
また道を迷いそうになりながらも周囲の人の力を借りてバス停までたどり着いた。
今度はそのバス停に停車するバスから自分のバスを探さなければならない。
集中して音を聞かなければならない。
2千円をケチってしまったことを後悔して立っていた。
「先生、村上です。お手伝いしましょうか?」
僕は最初誰か分からなかった。
毎年いろいろな学校で沢山の学生達に出会う。
ほとんどが同じ年頃だし声だけでは記憶まではできない。
フルネームや居住地や部活動などをを尋ねてやっと記憶がつながった。
今年度、大学の社会福祉学科で僕の授業を受けている学生だった。
部活動の帰り道、彼女は僕を見つけて声をかけてくれたのだった。
本当は一分一秒でも早く帰宅したいはずだった。
「先生がバスに乗られるまで一緒にいます。」
彼女は僕の困難や不安を理解しているようだった。
僕はその言葉に甘えた。
15分くらいは立っていたかもしれない。
僕と出会ってから他の視覚障害者にも声をかけられるようになったとのことだった。
そしてそれをうれしそうに話してくれた。
僕が乗るバスがきてドアが開いた。
彼女は僕を乗車口まで誘導し、座席に座るのを確認した。
「失礼します。」
運動部らしい歯切れのいい爽やかな挨拶を残して帰っていった。
彼女はきっと社会人になっても困っている僕達の仲間をサポートしてくれるだろう。
一生続けてくれるかもしれない。
そんな19歳をかっこいいと思った。
そしてこれからもしっかりと学生達と向かい合おうと思った。
(2019年9月5日)

磁気ループ

新しい公共施設のユニバーサルデザインの会議で僕は彼と出会った。
彼は聴覚障碍者の関係の代表として参加しておられた。
彼自身は健常者で施設職員という立場だった。
ただ熱い思いは当事者を超えるような雰囲気があった。
決して激しい口調ではなかったが出席している他の委員達に淡々と話されていた。
彼の提案で新しい施設に磁気ループの設置が決まった。
最後の会議の後、もう会えないかもしれないと彼は僕におっしゃった。
どういう意味か分からないでいる僕に、
彼は抗がん剤の影響で帽子をかぶって会議に参加していると教えてくださった。
笑いながらおっしゃったが少し淋しそうだった。
それから、彼は僕の手を強く握ってこれからも頑張るようにと励ましてくださった。
「また、きっと、会いましょうね。」
僕も強く握り返した。
先日、その施設の職員と夕食を共にする機会があった。
めったにない機会だった。
彼が最近亡くなられたことを聞かされた。
たくさんの関係者が尊敬されておられたことも知った。
僕もそう感じていたことをお伝えした。
新しい施設では聴覚障害の方々が磁気ループの恩恵に授かるのだろう。
でも、その磁気ループのいきさつを知ることはないのかもしれない。
ただ、彼が目指したユニバーサルは実現できたのだ。
命はいつか終わる。
終わっても残る形もある。
そして未来に向かうエネルギーは引き継がれていくのだ。
そんな仕事をしていきたいと強く思った。
(2019年9月3日)

ラグビー

グラウンドの端っこにコンクリートでできた小屋があった。
畳二畳程度の広さの部屋がラグビー部の部室だった。
臭くて汚い部室だった。
でもその部屋が好きだった。
「おまえはゴールポストの下に何を見つけたのか?」
落書きが胸を熱くした。
いつ誰が書いたかも分からなかった。
入部した時にはそこにあったのだから先輩が書かれたのだろう。
練習ジャージに着替えてからそれを黙読してグラウンドに出た。
その時の風景をはっきりと憶えている。
どこにでもあるようなただのグラウンド。
土があって空があってゴールポストがあった。
いろいろな思い出がセピア色になってしまったのに、
その風景は原色のまま蘇る。
愛してしまっていたのだろう。
ゴールポストの下に何も見つけられずにここまできてしまった。
探さなくていいのだと思えるようになった。
でももしできることならば、
もう一度、グラウンドを全力で走ってみたい。
ボールを抱きしめながら走ってみたい。
(2019年8月29日)

助け合う

阪急烏丸駅は予想通り混んでいた。
電車を降りた僕は深呼吸をした。
深呼吸をすると気持ちが落ち着く。
集中力も高まる。
戦いに向かう前の兵士のような感覚だ。
恐怖心に包まれてのホームの移動、
僕にとったら決して大袈裟ではない。
息を吐ききって、白杖を握り直した。
点字ブロックを確認して歩き始めた。
「一緒に行きましょうか?」
男性の声がした。
僕は返事をするのと同時に彼の肘を持たせてもらった。
「これで無事に改札まで行ける。」
心の中でつぶやいた。
少し移動してから改札口へ向かうエスカレーターに乗った。
「混んでいる駅が一番怖いんですよ。」
僕は感謝を伝えながら説明した。
「鉄の塊が動いていますからね。」
彼は僕に寄り添って答えてくださった。
その面白い表現がなんとなくうれしかった。
改札口まで着いて「ありがとうカード」を渡して別れた。
夜、ホームページのお問い合わせホームからメッセージが届いていた。
「鉄の塊」を憶えていた僕はすぐに彼を思い出した。
フェイスブックでありがとうカードを紹介したいとの内容だった。
僕にしたら願ってもないことだった。
50歳代の彼はこれまでに3回程視覚障害者のサポートをしてくださったらしい。
これからはもっと出来そうだと書いてあった。
駅などでの視覚障害者への声かけの重要性を確認してくださったのだろう。
そして同じ未来を見つめてくださったのだ。
50歳代と60歳代の男同士、
偶然のわずかな時間の出会い。
人はそれで笑顔になれる。
助けられるのはうれしいことだが、助けるのもそうなのかもしれない。
だから助け合うって言うのかな。
人間って素晴らしい。
(2019年8月24日)

コオロギ

「コオロギ、鳴き始めたね。」
彼女はうれしそうに僕にささやいた。
「僕も数日前に気づいたよ。」
僕は相槌を打ちながら答えた。
ほとんど同じ時期に僕達は光を失った。
ということは、それぞれに20年の時間が流れたということになる。
彼女が僕と同じ病気での失明だということと、
僕よりお姉さんということ、趣味が社交ダンスということくらいしか僕は知らない。
彼女は最初は白杖を拒否していた。
近所では折りたたんでリュックに隠した。
わずかな光を頼りに恐る恐る歩いた。
見えるふりをして歩いた。
やがてそのわずかな光も確認できなくなっていった。
白杖がなければ足を前に踏み出せなくなった。
彼女は仕方なく白杖を使い始めた。
その頃のことを彼女は懐かしそうに話した。
その頃の僕達は歩くこと自体に必死だったような気がする。
白杖で前を探って歩くという行動が恐怖心の中にあった。
余裕もゆとりもなかった。
そしてその姿を他人に見られているような気がした。
悲しい姿だと勝手に想像していた。
今でもそんなに余裕があるわけでもないし、恐怖心が消えたわけでもない。
少しずつ姿も受け入れていった。
白杖があってもなくても変わらない自分に気づいた。
白杖姿の自分も好きになっていった。
立ち止ることを憶えただけなのかもしれない。
立ち止れば深呼吸ができる。
深呼吸をすれば風に気づく。
音にも匂いにも気づく。
そしてちょっと幸せになれる。
あの頃、淋しそうにしか聞こえなかったコオロギの鳴き声、
今では歌声に聞こえる時もある。
「見えなくなって豊かになった部分もあるよね。不思議だね。」
僕がつぶやいた。
「確かにあるよね。」
今度は彼女が相槌を打った。
(2019年8月20日)

絵日記

電車は混んでいたので僕と友人は通路まで移動した。
僕は二人座りのシートの角にある取っ手を持って立っていた。
窓際が少女で通路側がお母さんだった。
しばらくして少女は僕に気づいた。
二人は席を僕達に譲ってくれた。
「白い棒を持った人は目が見えない人って学校で教えてもらったの。」
少女は自慢気にお母さんに説明した。
お母さんは気づくのが遅れたことを僕に謝って、気づいた娘にお礼を伝えていた。
それだけで素敵な親子だなと感じた。
当たり前のように僕と少女の間に会話が生まれた。
少女は点字や盲導犬の話を僕にしてくれた。
僕は触針の腕時計を見せたりした。
点字の付いた名刺もプレゼントした。
少女はうれしそうに指で触っていた。
あっという間に僕達は目的の駅に着いた。
僕達は親子にお礼を伝えて電車を降りた。
少女がどんな格好だったかなどを友人が細かに説明してくれた。
赤いハンドバッグが似合っていたそうだ。
そして満面の笑みだったと教えてくれた。
やさしさに包まれた時間が僕の心の中で絵日記になった。
今年の夏の大きな思い出になるのを自覚した。
(2019年8月15日)

仲間

ガイドヘルパーのスキルアップ研修が開催された。
僕も彼女もその当事者講師だった。
研修が始まる前のわずかな時間を見つけて、彼女は僕に小さな紙袋を渡してくださっ
た。
「この前のお礼ね。」
最初は何のことか分からなかった。
一か月ほど前にこの研修の打ち合わせがあった。
その時彼女は少しのどの調子が悪そうだった。
僕はいつも持ち歩いているミンティアを彼女に渡した。
数粒齧ると清涼感が口中に広がるお菓子だ。
その時のお礼にとの説明だった。
ささやかなお菓子でわざわざお礼を受け取るようなものではない。
「お煎餅。海苔巻きではないけれどね。」
彼女は笑いながら手渡してくださった。
僕はその意味がすぐに分かった。
何の躊躇もなく頂いた。
彼女は僕のブログを時々読んでくださっている。
以前、お煎餅が好きなことを書いたことがある。
彼女はそれを思い出して準備してくださったのだ。
彼女らしい細やかな心遣いがほのぼのとうれしかった。
彼女がたくさんの時間を使って活動されているのは知っている。
一か月の半分くらいはライトハウスに来ておられるのかもしれない。
仲間のために地域のために、そして未来のために。
日々の活動の中でこうして素敵な仲間と出会う。
その姿に自分自身が励まされる。
視覚障害者にはなりたくなかったとそれぞれが思っている。
でも、そんなこととは関係なく、豊かな人生を生きていきたいと思っている。
お互いの顔さえ見えない僕達は笑顔で同じ未来を見つめている。
帰宅して味わったお煎餅は格別の味だった。
(2019年8月11日)

ひまわり

見えなくなってからひまわりがとても好きになった。
理由は自分でも分らない。
触った時に映像が一瞬で蘇るからかもしれない。
葉っぱの大きさ、太い茎にある産毛の感じ、背の高さ、まっ黄色な花弁、種になる部
分のザラザラ感、すべてが愛おしく感じてしまう。
そしてそれが夏の青空にとてもよく似合う。
笑顔のようだ。
青春時代、リュックサックを背負ってヨーロッパを旅したことがある。
お金はなかったけど時間はあった。
貧しさを貧しさと感じていない頃だった。
心のおもむくままに時を過ごした。
パンをかじって野宿をしながらの旅だった。
いきさつは忘れてしまったがアムステルダムにあるゴッホ美術館を訪ねた。
フィンセント・ファン・ゴッホの描いた「ひまわり」。
その絵の前で立ちすくんだ。
思い出がいつか宝物になることをその時の僕はまだ知らなかった。
切り取られた思い出が夏に溶けていく。
今年はまだひまわりを触っていない。
どこかのひまわり畑に行ってみたくなった。
(2019年8月7日)