1日は、東京の千鳥ヶ淵で桜を眺めた。
2日は、団地の近くの桜を眺めた。
3日は、京都御所の桜を眺めた。
そして5日は、洛西桜まつりに参加した。
それぞれの桜が、僕の指先で微笑んだ。
つかの間の春が微笑んだ。
老若男女、国籍さえも超えて、
桜の花の下に、人が集った。
それぞれが、キラキラとした笑顔で集った。
見えない僕は白杖を持って、
歩けない人は車いすで、
空間に溶け込んだ。
一枚の桜の花弁は、
特別な美しさではない。
きっと色も形も大きさも、不揃いなのだろう。
それが、数えきれないほど集まって、
桜になるのだ。
僕達の社会もきっとそうなのだろう。
それぞれ違う人が集まって、
それぞれが笑顔になった時、
きっと美しくなる。
だから、やっぱり、
それぞれ違う一人ひとりが大切なのだ。
僕も、標準形、標準色からははずれるのだろう。
でも、社会という桜の木の、
ささやかな一枚の花弁でありたい。
(2014年4月6日)