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邑久光明園

30歳代の後半だっただろうか、
寝る前にニュースステーションという報道番組を見るのが日課だった。
そのニュースの中でハンセン病という病気を知り、
長年国が隔離政策を実施していたことも知った。
そして患者さん達の辿った過酷な運命に衝撃を覚えた。
その場所を訪ねてみたい、
患者さんに直接話を聞いてみたいと思いながら、
時間は流れて、いつのまにか思いも風化していった。
まさか実際にそこに行ける日があるとは、
そこで生きてきた人と話せる日があるとは思わなかった。
邑久光明園でボランティア活動を続けている友人達に誘われたのは
僕にとってはまさに感謝の一言だった。
JRで相生まで行き、そこから先は友人達の仲間の人が車を出してくださった。
乗り心地のいい車で潮風に乗ってのドライブだった。
途中のドライブインでは海の香に包まれながら、
大好きなタコメシをほおばった。
僕自身の一日が穏やかな平和な春の中に存在していた。
人間回復の橋と名付けられた橋を渡って邑久光明園に着いた。
小さな島にある小さな橋を渡り切ったところで、
僕の心はなぜか重たくなっていた。
見てはいけないものを見るような、
聞いてはいけないことを聞くような、
そんな感じがあったのかもしれない。
患者さんは被害者で不幸な人というイメージが出来上がっていた。
邑久光明園では少年時代から60年余りそこで暮らしてこられた男性と、
2時間ほどのんびりとお茶を飲みながら過ごした。
いろんな話をした。
いろんな話を聞いた。
「貴方をここに強制的に連れてきた日本という国をどうおもいますか?」
僕は意を決して尋ねてみた。
彼は静かに笑っていた。
帰る間際、丘の上にある小さな建物に案内してくださった。
その島から逃げようとした人が収容された独房だった。
僕はその独房に入り、白杖を使って大きさなどを確認した。
僕の脳は何も反応しなくなっていた。
独房から出たら、
春風が僕の頬を撫でて通り過ぎた。
ツツジの花が咲いていた。
ウグイスの鳴き声も聞こえた。
やっぱりそこにも穏やかな平和な春があった。
車に乗り込み、島を離れようとした僕に、
「松永さーん!」
彼が大きな声で手を振ってくださった。
僕も手を振った。
「ありがとうございます。」
思いっきり手を振った。
僕達はどちらも笑顔だった。
どんな時でも人は幸せに向かって生きていくのだ。
生き抜いていくのだ。
久しぶりに出会った人生の先輩、
ありがとうございました。
僕も幸せに向かって頑張ります。
(2015年4月27日)