しはしあわせよ

乗客もまばらなバスの車内、
ベンチシートの端に座った僕のすぐ隣で
彼は歌い始めた。
「シは幸せよ、さあ歌いましょう。」
延々と何十回もその部分だけを繰り返した。
しかも声はだんだん大きくなり、
まるで彼の発表会のようになった。
彼が上機嫌なのが伝わってきた。
僕はふと一昔前を思い起こした。
公共交通機関の中で知的障害の人と出会うことは少なかった。
そしてたまに遭遇する機会があると、
突然の大声や奇声には驚きと一緒に怖さも感じた。
遠目に避けてすれ違う時の僕には
失礼がないようにとかの思いよりも
漠然とした不安があったような気がする。
時代は少しずつ変わり、
日常的に知的障害の人と遭遇することも多くなった。
知的障害について詳しく学んだわけではない。
ただ慣れてきたということだろう。
この「慣れる」ということが障害のある人にもない人にも大切なことなのだ。
慣れの中で知り合い、
時にはコミュニケーションが生まれお互いを尊重できるようになる。
そしてきっと笑顔も増えていく。
隠れることも隠すことも間違っているのだ。
バスを降りて歩き出した僕の口から、
「しはしあわせよ」のメロディが飛び出してきた。
それに合わすように白杖を左右に振った。
自然に笑顔になっていた。
これからも頑張って歩くぞ。
行先はもちろん未来です。
(2015年11月10日)