神様

土曜日の午前中は金融機関での講義だった。
視覚障害者数は全国で31万人くらい、
つまり国民の0,3%にもみたない数だ。
行員さん達が日常業務で出会う客のほんの一部にしか過ぎないだろう。
それでも200名余りの参加者でとても熱心に受講してくださった。
僕がこの信用金庫の研修に関わらせていただくのはもう4回目になる。
企業コンプライアンスの高さも当然なのだが、
応対してくださる幹部職員の方々の人間的なあたたかさが
ひょっとしたら同じ未来を見つめているのかもしれないと感じている。
有難いことだ。
午後は朗読会の会場を尋ねた。
いくつかの文学作品が朗読されるのだが、
その中に僕のエッセイも入っていた。
京都市内に限らず、時々このような機会がある。
他に朗読される作品はいわゆる名作が多いので恥しい気持ちもあるのだけれど、
書いた立場からすればとても有難く光栄なことだと思っている。
言葉はそれぞれの人間の声に出会うことで新しい命が生まれる。
自分の作品なのに、朗読の声が心に沁みてくるから不思議なものだ。
下を向きながらこっそり拝聴して会場を後にした。
夜は山科区の自治会での講演だった。
どしゃぶりの雨だったので心配したが、
たくさんの住民の方が参加してくださった。
介護がテーマだったのだけれど、
障害も介護も病気やケガや老いの先にあり、
助け合う社会が必要ということでは共通点がある。
そんな話をして会場の皆さんと一緒に勉強した。
サポーターと一緒に移動したのだけれど、
さすがに一日に三ケ所での活動は疲れた。
駅で電車を待つ間もクタクタで立ったままでも眠れそうな感じだった。
電車が到着した。
サポーターは電車が結構込んでいるので立ったままになりそうだと僕に告げた。
僕はそのつもりで乗車した。
そしてつり革を握った。
その瞬間、「どうぞ座ってください。」
若い女性の笑顔の声だった。
「やっぱり神様っているんだなぁ。」
僕はそう心の中でつぶやいてシートに腰を下ろした。
こんな時だけそう思うからよくバチも当たるのですけれどね。
(2016年2月15日)