記憶の声

午前中の仕事を終えて13時には大学に着いてしまった。
専門学校の先生が車で送ってくださったのだ。
キャンパス内にあるカフェで時間を過ごすことにした。
僕の講義は15時からなので時間はたっぷりあった。
学生達が講義に行ってしまったあとのお昼過ぎのカフェは閑散としていた。
のんびりとした時間が流れていた。
微かに漂っているBGMのピアノの音が心地よかった。
コーヒーを飲みながらふと気づいた。
当たり前のことなんだけど、画像がない!
この場所でこのタイミングで気づくということはいつもは忘れているということだ。
見えない日常というのはそういうことなのだろう。
自分でも可笑しくなった。
今朝最初に会話をかわしたのは阪急桂駅の駅員さんだった。
「お手伝いしましょうか?」
「ここは慣れているから大丈夫です。ありがとうございます。」
それからお昼までに専門学校の教職員、学生達、30人くらいとは話したかもしれない。
数人の声は記憶があって見分けがつくがほとんどは誰か判らない。
それでも支障なく生活できるのだ。
数を重ねれば記憶できることもあるが必ずしもそうでもない。
どういうメカニズムか自分でも判らない。
美人は記憶しやすいと言いたいけれど、これも判別不可能だ。
そんな感じで時間と遊んでいたら突然声がかかった。
「松永先生、お久しぶりです。4回生になった・・・。」
彼女が名乗るのと僕が名前を呼ぶのとが同時だった。
「絵を描くのが好きだったよね。」
3年ぶりに出会ったのだけれど僕の記憶は間違っていなかった。
僕達はそれぞれの近況などを話して別れた。
うれしい再会だった。
次出会った時、またすぐに判るかそれは判らない。
でも名前が判るかとかはどうでもいいのかもしれない。
微笑むことができる時間を共有できたということが素敵なことなのだろう。
この再会も彼女が声をかけてくれたから実現したのだ。
声がなかったら隣にいても判らないだろう。
彼女のさりげないやさしさがうれしかった。
またいつかどこかで会えますように。
そんな出会いがたくさんありますように。
(2017年5月25日)