見えているように

通勤途中のバスの中、僕はイヤホンでラジオを聴いていた。
ふと誰かが僕の手をノックした。
「松永さん、西山です。おはようございます。久しぶりやね。」
彼女は名乗りながら朝の挨拶をくださった。
以前僕が住んでいた団地の人だった。
その頃も見かけたら声をかけてくださって手引きしてもらったことも幾度かあった。
数年ぶりの再会だった。
年齢を尋ねたことはないけれど80歳前後だろう。
バスの中での会話はいつもと同じだった。
お孫さんの成長と心配、それに自分の健康状態。
ひとしきりその話が終わると僕の目のことを尋ねられた。
「うっすら見えてはんのか?」
「残念ながら何も見えません。」
「不自由やなぁ。頑張ってなぁ。」
「勘で歩いてはんのか?」
「この杖を使って歩いているんですよ。」
これもいつもと同じ流れだった。
「少しは見えているのですよね。」
時々この質問を受ける。
一応説明をするのだけれどなかなか理解してもらえないこともある。
それはきっと僕の動きが見えている人とあまり変わらないということなのだろう。
見えなかったらそんなに動けるはずがないと思われるのだろう。
訓練も受けたし元々の勘も良かったのかもしれないが、
社会に参加したいという強い気持ちが少しずつ僕の動き方も育ててくれたのだと思う。
僕達は終点の桂駅でバスを降りた。
僕はちょっと急いでいたので彼女に挨拶をして歩き始めた。
「階段、大丈夫?」
「大丈夫です。失礼します。」
僕は階段に向かいいつものように手すりも持たずに上っていった。
彼女は僕の後ろ姿を見ておられたと思う。
きっと次お会いしてもまた同じことを尋ねられるだろうな。
苦笑しながら改札へ向かった。
(2017年6月2日)