ふるさと

僕が生まれた時には、まだ白い杖も点字ブロックもガイドヘルパーもなかった。
音響信号も盲導犬も点字案内板もなかった。
人権とか福祉という言葉さえもなかったのだろう。
僕が3歳になった時、日本の視覚障害者は白い杖を持つということになった。
10歳の時、岡山市で点字ブロックが発明された。
17歳の時、ガイドヘルパーのような制度がスタートした。
まだ何もなかった60年前、故郷の鹿児島の視覚障害者の人達は会を結成した。
先輩達が歩き始めたのだった。
先輩達は命がけで歩き始めた。
仲間と手を取り合って歩き始めた。
未来を目指したのだ。
会結成60周年祝賀イベントの記念講演を僕は引き受けた。
身が引き締まるような思いだった。
僕は慣れないネクタイはしたけれど心は普段着で話をした。
しっかりと前を向いて心を込めて話をした。
終了後、仲間の人達が先輩達が何人も握手をしてくださった。
いい講演だったと言ってくださった。
光栄だと感じた。
最後に皆で「ふるさと」を合唱した。
3番を歌い始めた時急に目頭が熱くなった。
僕が生きている間に志を果たすことはできない。
帰ってくることはないのだろう。
でも必ずバトンを次の世代に渡すんだ。
そしていつかきっと、見えない人も見えにくい人も見える人も、
皆が笑顔になれる社会がくる。
きっとくる。
いつしか僕は大きな声で「ふるさと」を歌っていた。
(2017年11月27日)