足湯

京福電鉄嵐山線を京都の人達は嵐電(らんでん)と呼んで親しんでいる。
1両とか2両の路面電車だがのんびりが似合っていて僕も年に数回乗車する。
その嵐電嵐山駅のホームに足湯がある。
タオル付きで利用料200円、その値段で幸せになれるからうれしい。
毎年のように利用している。
20人も入れば満員になるくらいの小さな場所に老若男女が並ぶ。
国際的な観光地だから外国人の方が多いかもしれない。
見えない僕もサポーターと一緒に並んで足湯につかる。
最初はぬるめに感じるくらいだが時間とともに身体全体がポカポカしてくる。
思いついたように風が通り過ぎていく。
植え込みの竹林の笹が微かに歌う。
やがて記憶の走馬灯が動き始める。
40年くらい前、レンタサイクルで幾度か嵯峨野巡りをした。
寺社仏閣、野辺の道、様々な風景が記憶にある。
季節を伴った写真が心のアルバムにある。
若さはしなやかで傷つきやすかった。
そのくせ乱暴だった。
大切な人を悲しませた。
それさえももう思い出になってしまった。
後悔も懺悔も役に立たないことを知るのに時間はかかり過ぎた。
それを知ることが生きるということだったのかもしれない。
残りの人生を少しでも豊かにおくりたい。
自分に正直に生きていきたい。
赤くなった足を拭きながら自然とそう思った。
(2018年2月25日)