介護施設で働く教え子から連絡があった。
卒業してから5年の歳月な流れていた。
高齢になって目が不自由になってこられた女性との会話に僕の本が登場したらしい。
素直にうれしいと感じた。
僕の本が誰かの力になってくれたとすればそんな光栄なことはない。
僕が失明したのは40歳くらいの時だった。
それまでの仕事を続けられなくなって社会での居場所を失ったような気になった。
挫折感もあったし孤独感にも襲われた。
ただ体力はあった。
まだまだ気力もあったのかもしれない。
目だけではないが、高齢になってから身体のあちこちが不自由になる人がおられる。
その辛さや口惜しさは僕には想像できない。
でも人は生きていく。
きっと生きていく。
長い暗いトンネルの中でただ押し黙って呼吸する。
頬を伝う涙が、自らの吐息が、雪解けのように少しずつ何かを解かしていく。
僕は突き動かされるように一気にメッセージを書いた。
それを教え子に託した。
「見えなくなって20年という時間が流れました。
今でも見たいという気持ちと決別することはできません。
でも、見えていた頃の僕も今の僕も、やっぱり僕は僕なんだと自信を持って言えます。
たくさんの先輩や仲間達との関わりの中で、
障害へのイメージは変わりました。
人間の価値と障害は無関係です。
そしてどんな状況でもキラキラと生きていけることを学びました。
貴女と教え子との出会い、そして僕の本との出会い、
人間同士のつながりって素敵ですね。
貴女の生活が少しでも笑顔の中にあるように、
心から願っています。
そして、いつか出会える日がありますように。
もうすぐ、今年の桜が咲きますよ。
それぞれに春を楽しみましょう。
感謝を込めて。」
書き終わってラジオをつけたら東京の桜が咲いたとニュースが流れた。
千鳥ヶ淵の桜を見たいと思った。
(2018年3月18日)