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雨音

雨がきつかったので傘をさして歩いた。
人間の平衡感覚は視覚情報によって大きな影響を受ける。
全盲で画像がまったくない場合は大変だ。
ただ普通に立っていることさえ困難になることもある。
個人差も大きい。
僕は平衡感覚はいいタイプだ。
ただ、右手で白杖を持った状態で左手で傘をさすと一気に不安定になる。
いつもはほとんどまっすぐ歩ける道を酔っ払いみたいに歩いている。
しかも雨音で他の音が聞きにくくなる。
施設での仕事を終えて点字ブロックを頼りにしながら帰路に着いた。
交差点までたどり着いて斜めになっている角を曲がろうとしたところで方向を見失っ
た。
車のエンジン音で修正しようとしたがうまくいかなかった。
自分がどちらを向いているのか、どちらに動けばいいのか分からなくなった。
一気に不安に包まれた。
しばらく周囲の音を聞いてからだいたいの方向を考えた。
なんとなく推測できた方向に動こうとしたが数歩動いて立ち止ってしまった。
恐怖感が身体を止めてしまったのだろう。
動けなくなってしまっていた。
立ちすくんだ。
「どうなさいましたか、一緒に渡りましょう。」
突然女性の声がした。
彼女は僕の腕をそっと引っ張って交差点を渡り始めた。
雨音の中に音響信号の音と行き交う車のエンジン音が混ざり合った。
この中を見えないで渡るのは無理だよなとふと思った。
反対側に着くと、彼女はそこからの僕の進路を確認してくださった。
そして、その道の手がかりとなるコンクリート壁まで誘導してくださった。
「昔、ガイドヘルパーをしていたんです。」
それですべてが納得できた。
僕は感謝を伝えた。
「家の事情でガイドヘルパーの仕事はできないけど、視覚障害者の方が困っておられ
たら必ず声をかけるようにしています。喜んでいただければうれしいんです。」
今日の僕はうれしいどころではなかった。
命の危険さえ少し感じていた。
僕は再度心からのお礼を伝えた。
そしてまた酔っ払いみたいに歩き始めた。
つい先ほどまで辛かった雨音が音楽のように聞こえた。
心がやさしくなる音楽だった。
(2019年4月10日)