支援者

小学校の福祉授業にお招き頂いた。
担当の先生と地下鉄北大路駅の北改札口で待ち合わせだった。
たまにしか利用しない改札口だったので、僕は余裕をみて動いた。
慌てない、急がない、これも安全な移動の秘訣だ。
ただ、そんな時に限ってスイスイ行くのだから不思議だ。
僕は待ち合わせより30分も早く着いてしまった。
どこかで腰かける場所を探すというのも見えない僕にはエネルギーが要る。
結局、ただ立ち尽くして待つことが多い。
今回もそうした。
改札口の点字ブロックを数歩離れた場所で待つことにした。
他の人の迷惑にはならないと感じた場所だった。
5分も経たない時だった。
「松永先生ではないですか?」
男性の驚いたような声だった。
その声で僕も誰だかすぐに分かった。
もう退職されていたが高校の先生だった。
現役でやっておられた頃、幾度か僕を学校に招いてくださった。
一緒にお弁当を食べたり、喫茶店でコーヒーをご馳走になったこともあった。
限られた時間ではあったが、毎回楽しく会話した思いでがある。
出会ってからの時間はもう10年以上となる。
僕達はお互いの近況を報告し合った。
そして一緒に生徒達に向かい合った頃を懐かしんだ。
握手したくてムズムズする手を我慢させながらいろいろ話した。
またいつかどこかでの再会を約束して別れた。
それから間もなく待ち合わせの小学校の先生が来られた。
「待ちましたか?」
「いや、今着いたところですよ。」
僕は大人の対応をしながら先生の手引きで歩き始めた。
久しぶりに再会した友達のように笑いながら歩いた。
何の違和感もなくエスカレーターも利用した。
その先生と出会ってからももう20年くらいの時間が流れていることに気づいた。
人生の途中で経験した失明、やっぱり大変だった。
いろいろな思いもした。
なかなか参加できにくいと感じた社会があった。
そして、社会にメッセージを送りたいと思うようになっていった。
それが僕のライフワークだとさえ思うようになっていった。
見えなくなった僕達も参加しやすい社会が目標だ。
こうしてブログを書くのも本を執筆するのも目的は同じだ。
僕の視線の先には未来がある。
だからこそ、直接出会って話を聞いて欲しいという思いはいつもある。
でもそれは僕の力だけではどうしようもない。
いろいろな人達のご尽力のお陰でここまで活動を続けることができた。
それによって蒔くことができた未来への種は数えきれない。
本当に有難いことだと思う。
お一人お一人に心からお礼を伝えたい。
支えて援助してくださる人達、やっぱりいつ会っても輝いて生きておられる。
僕もそうありたい。
(2021年6月5日)