恐怖感

見えないで一人で外を歩いて怖くないかと尋ねられることがある。
もう光も感じなくなって20年以上の時間が過ぎたのだから慣れもある。
でも、恐怖感が消えるということはない。
同じ場所でも季節によって日によって時間によって恐怖感は違う。
僕自身の体調によってあるいは疲れ具合によっても違うのかもしれない。
風の強さ、雨の音などの影響も少しはあるだろう。
気温が高いよりも低い方が感じやすいのも事実だ。
一番恐怖感を感じるのはやはり駅のホームだ。
いつもの路上などはそれなりに普通に歩いているつもりだ。
それなのにホーム上では自分自身のバランスの不安定さを感じてしまうことがある。
先日、とても強い恐怖感を覚えた時があった。
後でデータ的に考えると自分で納得できた。
人権月間の今月、僕は中学校などからの講演依頼が多い。
先週は月曜日から木曜日まで4日間で4つの中学校と1つの専門学校と1つの大学に
出かけた。
一日に二か所という日もあったということだ。
金曜日は視覚障害者の研修が奈良県の柏原市で開催されてその挨拶に出かけた。
結構遠かった。
その帰りに京都駅から乗車した電車は何両編成でどこに乗車したかなどは分かってい
なかった。
発車ギリギリのタイミングで乗車してしまったのだ。
1本遅らすと20分くらいホームで待たなければいけないという気持ちがそうさせたの
だと思う。
地元の駅に着いて、少し動きかけて足が止まった。
階段はどちらの方向だろう。
それなりの数の人がホームにおられる雰囲気もあった。
反対側に到着する電車を待っている人達だった。
僕は数歩進んだが足が勝手に止まってしまった。
怖いという感覚だった。
改札口につながる階段はこの方向で合っているだろうか。
耳を一生懸命澄ませてみたが階段を知らせる鳥の声の案内音も聞き取れなかった。
足元には点字ブロックが確認できていたが恐怖感は僕を包んでいた。
少しずつ歩くしかないと決心した。
そしてそろりそろりと歩き始めようとした瞬間だった。
「お手伝いしましょうか?」
女性の声だった。
僕は階段の入り口を知りたいとお願いした。
確認したら改札に向かう人ではなく反対側の電車を待っている人だった。
放送はその電車の接近を知らせていた。
僕は彼女の右肘を持たせてもらって歩いた。
彼女の左手がゴロゴロを引っ張っている音がした。
狭いホームの人の中を僕達はスピードをあげながら心を合わせて歩いた。
階段の入り口に到着して御礼を言う間もなくすぐに彼女はその電車に乗り込んだ。
僕は深呼吸をして階段を降り始めた。
「ごめんなさい。ありがとう。」
急がせてしまった彼女に言葉が独り言で口に出た。
改札を出たところで交通カードを片づけるために立ち止まった。
ホームと同じような点字ブロックが足元にあった。
同じ点字ブロックなのに安心感を覚えた。
そして大きな恐怖感が幸福感に変化しているのが分かった。
(2022年12月11日)