ホームに向かう階段のところでアナウンスが流れているのは分かった。
ただ内容は分からなかった。
車内のアナウンスでもそうなのだが時々ある。
ボリューム、スピード、言葉の明瞭さなどの問題だろう。
話すということと伝えるということは別なのだといつも感じる。
そして伝える仕事の多い僕はどうなのかと振り返る。
人のふり見てと自分自身に言い聞かす。
電車が何らかの理由で遅れているのは間違いなかった。
ホームは人で膨らんでいった。
僕の緊張感も不安も膨らんでいった。
「松永さん、おはようございます。」
この時刻の電車で時々出会う女性の声だった。
僕はすぐに肘を持たせてもらった。
安心した。
「凄い霧ですよ。
霧で電車も遅れているのですね。」
彼女がアナウンスをカバーするように教えてくださった。
「いつも見える琵琶湖も霧の中で見えません。」
僕の心は少しずつうれしくなっていった。
「綺麗ですか?」
僕は尋ねてみた。
「雲の中のような感じです。」
僕はそっと周囲を見回した。
人も線路も街も山も琵琶湖も霧の中。
一面の霧の中。
喜びも悲しみもおはようも霧の中。
ひょっとしたら僕の脳が見ている風景の方が美しいのかもしれない。
その中に存在できていることもうれしかった。
ちょっと幸せな朝の時間を過ごした。
やがて到着した電車は思ったよりも込んでいなかった。
学生達が春休みのせいだろう。
「霧で電車が遅れたことをお詫び致します。」
はっきりとゆっくりと聞き取りやすい車内アナウンスが流れた。
霧の中を走る電車、銀河鉄道みたいでやっぱり美しいと思った。
(2023年3月23日)