予感

失明して5年くらい経った頃、エッセイを出版するというチャンスに恵まれた。
振り返ればチャンスだったと思えるのだが、当時は尻込みしたのが現実だった。
僕なんかにできるはずがないと考えたし、恥ずかしいというような思いもあった。
読んでくださる人がおられるかも不安だった。
「活字の力」という編集者の言葉に説得されるような形での出版となった。
もう20年くらい前のことだ。
今でも著書はアマゾンなどで流通している。
そして僕の活動の大きな支えとなったし力となった。
もう天国にいかれたが、僕を説得してくださった編集者の方には感謝してもしきれな
い思いだ。
最初のエッセイが出版された翌年、故郷の高校時代の同窓生達が僕の活動の支援を申
し出てくれた。
毎年秋になると招いてくれる。
故郷の子供達や教育や福祉関係の団体などで講演する機会を提供してくれるのだ。
コロナで一年だけ中止となったが、それ以外はずっと続いている。
出会った子供達、話を聞いてくださった人達の数はもうとっくに1万人を超えた。
同窓生達はまさにボランティアで動いてくれている。
会場への送迎だけでなく、滞在中のすべてを引き受けてくれている。
同窓生達ももう定年退職しそれぞれの事情などもある。
僕自身の体力、気力、これもいつまでかは分からない。
いつまでも続けたいとは思っている。
条件が許すなら続けられれば有難いのは間違いないことだ。
未来への種蒔、ライフワークに終わりはない。
一人でも多くの人に出会いたいのだ。
見えない僕達と見える人達とが共に暮らす社会について伝えたいのだ。
そして今年もまた実現できることになった。
たくさんの人達の支えのお陰だ。
ご尽力くださった皆様に心から感謝したい。
4日間で7会場の予定だ。
僕は500枚のありがとうカードを準備した。
京都駅みどりの窓口に新幹線のチケットを買いにいった。
僕は希望の新幹線の時刻を告げた。
単独で行くので駅員さんのサポートを受けることになる。
だから出入口に近い座席を頼んだ。
加えて、窓際を希望した。
横の座席の人が乗ってこられたり降りられたり、あるいはトイレに動かれたりが僕に
は分かりにくいからだ。
「ラッキーです。8号車のドアからすぐの窓際の席だけが空いていました。」
三連休、しかも鹿児島県で国体が開催されるとのことでとても込んでいたのだ。
まさに最後の1席を希望通りの条件でゲットできたのだった。
駅員さんはまるで宝くじに当たったみたいな感じで教えてくださった。
僕は笑顔で感謝を伝えた。
きっといい旅になる、そんな予感がした。
(2023年10月9日)