4年前に網膜剥離で光を失ったらしい。
鉄工所で働いていた時に焼けた鉄粉が目に入ったのが原因らしかった。
施設にきて良かったことは食と住の心配をしなくていいこと。
箱折りの作業は苦にはならないこと。
食事はおいしく頂いていること。
こちらの質問に彼はすべてきちんと答えてくれた。
医療機関、福祉機関、きっと幾たびも相談の機会を経験してきたのだろう。
そつのない答え方、抑揚のない話しぶりからそれが伺えた。
61歳での人生の転機、静かに受け止めているのだろう。
質問する僕も人生の途中で失明したということも伝えたが、それもほとんど意味はな
いようだった。
どんな質問をしてもそれは無機質であることを僕は感じていた。
「何か聞いてみたい曲がありますか?」
唐突だったが、僕はほとんどの曲を今聞いてもらえると思うと説明した。
「木村弓のいつも何度でも」
彼のリクエストの曲がiPhoneから流れ始めた。
木村弓の澄んだ声が二人きりの古い会議室に広がっていった。
耳慣れた曲だったが、僕は初めて歌詞をしっかりと聞いた。
彼がこの曲を選んだのが少し分かるような気がした。
向かい合った僕達の間に置いたiPhoneから最後のハミングがこぼれていった。
曲が終わると彼はゆっくりと立ち上がり、椅子を片づけて出口に向かった。
出口に向かいながら、振り返って尋ねてくれた。
「貴方のお名前は?」
「松永と言います。」
彼はその後何も言わずに部屋を出ていった。
僕はもう一度曲を聞いた。
今年ももうすぐ終わるのだと思った。
(2024年12月28日)