貨物列車

昼下がりの駅のホーム、電車を待っていた。
僕が乗る予定の電車の到着までは少し時間があった。
ホームに待合室があるのは知っているが、一人の時は使用しない。
そこまで移動することもエネルギーがいるし、どこの座席が空いているかは分からな
い。
尋ねれば、きっと誰かが教えてくださるだろう。
そこまで考えると、立ったまま待っている方が気楽ということになる。
まさに見えない僕にとっては、動くことすべてがハードルとなるということなのだろ
う。
だからと言って、それを悲しいとか悔しいとかは思わない。
28年という時間はあきらめる力を育んでくれたのかもしれない。
「2番線を電車が通過します。点字ブロックの内側までお下がりください。」
放送が流れた。
僕はその位置に立っていたが、再度白杖で点字ブロックを確認してもう少しだけ内側
に移動した。
それから白杖を身体の前で地面につけ、グリップを持つ手に力を入れた。
通過する電車の音、風、雰囲気、やっぱり怖い。
通過する間は身体全体に力を入れて、電車の方向に吸い込まれないようにしている日
常がある。
緊張の時間なのだ。
やがて電車の音が聞こえてきた。
それはどんどん近づいてきて、僕の前を通過し始めた。
十数秒の緊張の時間が始まった。
あれっ、途中で気づいた。
時間がいつもより遥かに長いのだ。
貨物列車!
瞬間にうれしくなっていた。
怖い音を聞きながら、心は弾んでいた。
少年時代に見ていた記憶が蘇った。
僕の家は当時の国鉄の鹿児島本線の線路脇にあった。
しかも僕の家の方が電車、いや当時は汽車だったが、それより高い場所にあった。
汽車の全体を見渡せたのだ。
貨物列車は好きだった。
確か、石炭や郵便物、時には牛や馬まで運んでいたような気がする。
線路はずっと続いて鹿児島から北海道までつながっている。
この貨物列車は何をどこまで運んで行くのだろう。
そんなことを考えてわくわくした。
いつか行ってみたいなと思った。
その思いがまた今蘇ったのだ。
少年時代のおもちゃ箱から取り出した豊かな時間、色褪せることなく残っていた。
貨物列車が通過した後、目頭が少し熱くなっていた。
勿論怖さからではない。
幸せは思いも書けないところにあったりするものなのだ。
(2025年5月2日)