一緒に生きる

「ハーイ、こっちですよ、いい笑顔ですよ。パチリ」
カメラマンの声のする方に、
僕達は顔を向けた。
町家カフェさわさわの玄関、
梅雨の中休みの晴天の下、
見えない僕と、見えない彼女の記念写真だ。
僕が町家カフェさわさわへ行けるのは、だいたい週に一回程度、
それもランダムだ。
尋ねて来られたことを、後で聞く場合が多い。
今日の彼女も、電車で2時間以上かかる地域から来てくださった。
まさか会えるとは思っていなかったと、何度も握手された。
喜びがはじけていた。
僕達は、生まれも育ちも性別も世代も、何もかもが違う。
共通しているのは、視覚障害だということだけだ。
僕の著書の朗読テープを聞いて、
同じだねとおっしゃってくださる。
光栄なことだと思う。
一緒に笑顔になれる仲間がいることを、心から幸せだと思う。
最後に、彼女達をサポートされていたガイドさんとも記念撮影した。
「帰ったら、仏壇の主人に報告します。」
小さな声で、控えめな言葉を残された。
彼女のご主人は視覚障害だった。
視覚障害者のガイドヘルパーという仕事をしながら、
いつも、天国のご主人と会話しておられるのだろう。
見えなくなったおかげで、
たくさんの素敵な人生と出会う。
お陰という言い回しは、不謹慎なのかもしれないが、
人間同士の交わりは、僕の人生を何倍も豊かにしてくれているのは間違いない。
そうそう、昨日、高校生が書いてくれた点字の手紙には、
「まだ死ねへんから、いっしょに生きていこうね。」
と記してあった。
たくさんの傷を持った、多感な17歳の少女ならではの表現だ。
一緒に、そう、一緒に、生きていこうね。
(2013年6月6日)