盲人の勘

近所の道を歩いていたら、
突然人にぶつかった。
何の気配も感じなかった。
僕は、すぐに謝った。
同時に、おじいさんも、
「鼻、かんでたんや。」と振り返って笑った。
僕と同じ進行方向で、立ち止まって、鼻水を拭いておられたのだろう。
僕は、怒られずにすむと、ほっとした。
「あんた、時々見かける人や。ほんまに見えてへんのかいな。
いつも上手に歩いているから、ちょっとは見えてはんのやろ。」
僕は、全然見えていないことを伝えた。
「じゃあな。なんで団地の出口の階段がわかるんや?」
あきらかに、疑いの声だった。
僕は、どう説明しようかと迷ったが、
とっさに、横の壁を白杖で触りながら数歩動いた。
「こうやって歩けば、入り口で杖が中に入るからわかるんですよ。」
「へぇっー、うまいことやるなぁ。」
おじいさんは、感心しながらすぐに納得してくださった。
そして、
「飯食うのは不便ないか?」
と尋ねられた。
僕は、食事の様子を説明した。
それから、買い物はどうするのかと、電話はかけられるのかとの質問が続いた。
僕は、バスの時間が気になっていたが、
きちんと答えた。
そして、ちょっと間が開いた瞬間を狙って、
「これからどこに行かれるのですか?」と逆に質問した。
しばらく沈黙が流れて、
「鼻かんだら、忘れてしもうた。」
おじいさんが笑った。
僕も、笑った。
「おじいさん、時間はあるようだから、ゆっくり考えはったらいいですね。
僕、これからバスに乗るので、先に行きます。」
僕は頭を下げて、歩き出した。
10メートルくらい歩いたところで、
おじいさんの鼻声がひどかったなと思った。
そして、リュックサックにあるティッシュを思い出した。
僕は戻って、
おじいさんにティッシュを渡した。
「助かるわぁ。ありがとさん。
もうほとんどあらへんねん。でも、なんでティッシュがないってわかったんや?」
僕は、今度は立ち止まらずに、歩きながら振り返って答えた。
「勘ですよ。勘!、盲人の勘!」
おじいさんが、笑いながら答えた。
「ええ勘しとるわ!」
「ありがとうございます。」
僕も笑った。
そうです。
盲人の勘って、たいしたものなんです。
でもね、ええ勘してても、ぶつかることもあるんですよ。
(2013年11月3日)