若者

僕はプラットホームの点字ブロックの上に立って電車を待っていた。
耳だけはアナウンスに集中し、それ以外の感覚は自由にさせていた。
白杖の先端を地面につけてグリップ部分を両手で持って立っていた。
白杖の長さは身長の胸くらいまである。
そのポーズになればリュックサックを背負った背筋が少し伸びる感じになるのだ。
そしてそっと空を見上げる。
顎を少しあげて空を眺める。
自分でも好きな時間だ。
やがて、京都駅方面の電車の到着のアナウンスが流れた。
白杖を持つ手に少し力が入った。
緊張だ。
画像のない状態で乗降口を探す。
他の人にぶつからないようにしながら乗車しなければいけない。
降りてくる人の足に白杖がひっかかってもいけない。
慎重にそしてスピーディに動くのがコツだ。
ホームと電車の間に落ちてしまうなんてとんでもない。
ほんの数十秒の間の大仕事なのだ。
電車の音が近寄ってきて停車する直前だった。
「よろしかったらお手伝いしましょうか。」
ちょっと自信なさそうな小さめの声が隣から聞こえた。
僕は咄嗟に彼に反対側に立ってもらって、そして肘を持たせてもらって乗車した。
乗車してすぐに依頼した。
「座席が空いていたら教えてください。」
彼は近くの席に誘導してくれた。
僕はありがとうカードを渡してしっかりと感謝を伝えた。
声からして高校生か大学生くらいの年齢だろう。
勇気を振り絞って声をかけてくれたのかもしれない。
初めての経験だったのかもしれない。
僕はうれしかった。
僕が高校生の頃、障害者の人に声をかけるなんてできなかった。
差別していたわけではなかったと思うのだがハードルが高かった。
僕を座席に案内してからどこかに去った彼をかっこいいと思った。
こういう若者たちが作ってくれる未来、ほんの少し輝いて見える。
そう思ったら笑顔になった。
(2020年11月10日)

丹後半島の風

ボランティアさんの車で会場に向かった。
いや正確にはボランティアさんが手配してくださったレンタカーだった。
ボランティアさんのマイカーが軽自動車だったので、
僕が快適に過ごせるように普通車を準備してくださっていたのだった。
申し訳ない気持ちと感謝の思いが混在した。
車はスイスイと高速道路を北に向かった。
同じ京都府とは言え、僕のイメージでは丹後半島はとても遠い場所だった。
「高速道路がつながったので、2時間もかからないと思いますよ。」
ボランティアさんはまかせておきなさいという感じでおっしゃった。
それから、快晴の空を伝えてくださった。
僕は車窓から高い秋の空を眺めた。
いろいろな話をしているうちに車は現地に到着した。
会場には視覚障害者の方々がガイドヘルパーさんと一緒にきてくださっていた。
京都府の北部にお住まいの方々だった。
最初の自己紹介で参加者の声を聞くことができた。
久しぶりに耳にした声もあった。
懐かしさがこみあげてきた。
僕は感謝の思いに包まれながらマイクを握った。
いつものように思いを語った。
講演後に何人もの先輩や仲間の人が声をかけてくださった。
あたたかなメッセージだった。
最近出かけた東山区の講演会場に視覚障害の先輩が来られていたのを思い出した。
彼女は僕の手を握っておっしゃった。
「出会った頃はお兄ちゃんだったのに、立派にならはったね。
テープの録音でいろいろ聞いてたけど、今日は直接声を聞けてうれしかったよ。」
「立派じゃないけど、元気にやっていますよ。僕もまた会えてうれしかったです。」
もう90歳近くになられた彼女の手を僕は強く握り返した。
失明という経験したことのない事態に遭遇した時、
人は戸惑い、戦き、怒り悲しむ。
呆然と立ち尽くす。
これまで培ってきた経験も価値観もほとんど無力になる。
先輩や仲間が特別に何かを伝えてくれるわけではない。
秘策を伝授してくれるわけでもない。
ただ普通に笑い、普通に話、それだけだ。
ただそれだけが、氷を解かすように沁みてくる。
活きる力に変化していく。
僕もどれだけたくさんの力を頂いたことだろう。
あらためて、先輩達、仲間に感謝した。
そして、後輩たちのために少しでも力になれる生き方をしたいと強く思った。
会場を出た時、丹後半島の風がとても爽やかなのに気づいた。
(2020年11月6日)

マリーゴールド

ボランティアさんは校庭に入ると真っ先に教えてくださった。
オレンジ色のマリーゴールド。
僕はすぐにお願いした。
「触らせてください。」
ボランティアさんは校庭の横の花壇まで誘導してくださった。
僕は花壇に近寄って腰をかがめた。
人差し指で花を触った。
いくつかの花を触った。
それから、親指と人差し指で茎を触りながらたくさんの蕾を確認した。
手のひらで全体をそっと触った。
葉っぱの先を少しちぎって香りを嗅いだ。
無意識で閉じてしまっている目を更に意識的に閉じた。
緑の香りをそっと吸い込んだ。
緑の香りと鮮やかなオレンジ色が僕を包んだ。
柔らかな気持ちになっていった。
緑とオレンジと白い杖、なんとなく絵になるなと微笑んだ。
いつもの秋がそこにあることをうれしいと思った。
花の命も自分の命も愛おしく感じた。
(2020年11月1日)

動揺

いつも近くにおられたわけではない。
しょっちゅう会っていたわけでもない。
それでもいつも視線を感じていた。
見守ってくださっている視線を感じていた。
暖かな視線だった。
親父に抱いていたのと同じような感情が僕の中にある。
血縁でもないし恩師でもないし上司でもない。
突き詰めれば他人に違いない。
それでも人間同士はここまでの思いになれるのだ。
さりげないやさしさは出会ってからずっと変わらない。
冗談を交えながら教えてくださったことは数えきれない。
信念を持って生きておられる姿を素敵だと感じるようになっていった。
その背中に憧れたのかもしれない。
体調を壊されていると知った瞬間、僕は動揺した。
情けないくらいに動揺した。
僕は僕なりに祈った。
僕は僕なりに願った。
コロナが落ち着いたら必ず一緒に食事をする。
(2020年10月27日)

落とし物

帰りのタクシーの中でポケットを探って青ざめた。
瞬時に落としてしまったと思った。
どこで落としたのか分からない。
ホテル、立ち寄り先、九州新幹線、JR西日本、地元の駅、
考えられるところにはすべて問い合わせた。
電子マネーカードやタクシーカードも入っていた。
何よりパスケースそのものがお気に入りのものだった。
7年くらい前にフェラガモのサングラスに出会った。
落ち着いた感じのデザイン、色合いが好きになった。
それから札入れ、名刺ケース、パスケース、ベルト、携帯ストラップまでお揃いにし
ていた。
見える頃からさりげないおしゃれが好きだった。
中身は伴わない自分を意識しながら、
似合うようになりたいなと思う自分が好きだった。
一週間が過ぎた。
結局出てこなかった。
友人達は見つけた人が届けてくれると言ってくれた。
僕は最初から出てこないだろうと思った。
一週間が過ぎて気持ちも落ち着いた。
あきらめもついたということだろう。
そしてつくづくと自覚した。
まだまだ似合うような人にはなれていない。
友人達は社会を信用するところからスタートしていた。
結果ではなくて、そのスタートのおおらかさが大切なのだ。
ちょっと恥ずかしくもなった。
また勉強して頑張ろうと思いながらコーヒーを啜った。
背筋が伸びる感じがした。
(2020年10月23日)

ホテル

薩摩川内市に滞在する時はいつも同じホテルを利用している。
もう10年以上になるだろうか。
ホテルは友人宅から近い場所に立地している。
ちょっと困った時などにすぐにかけつけてもらえる距離だ。
部屋は3階のエレベーターから一番近い場所に準備してくださる。
鍵はカードキーでもないし、部屋も広くはない。
ただ、昔ながらの小さなビジネスホテルだから部屋の窓を少し開けられる。
朝、新鮮な空気を取り込めるのだ。
これはとってもうれしい。
いつも同じなのだから頭の中の地図に従って単独で2階まで行ける。
2階には朝食のバイキングがあるらしいのだけれど、それは僕には難しい。
スタッフの方がフロントの横の個室に準備してくださる。
それもたくさんの料理を準備してくださって、食後のコーヒーまで入れてくださる。
僕にとって一年で一番豪華な朝食となっているかもしれない。
薩摩川内市で僕の話を聞いてくれた人の数は子供達を中心に1万人を超えている。
人工10万人の地方都市だからその割合は凄いことだと思う。
高校時代の同級生達がいろいろな形でサポートしてくれた結果だ。
今回も、自分が幸せかどうかは自分で決めることだと子供達に話しをした。
障害と幸せは関係ないことも伝えた。
友人が差し入れしてくれた好物の海苔巻きお煎餅をかじりながら、
僕はどう考えても幸せ者だと自覚した。
そして、このいつものホテルをいつの間にか大好きになっていることに気づいた。
(2020年10月18日)

エッセイスト

見えなくなった時、もう何もできなくなると思ってしまった。
なんとなくそう思ってしまった。
それと同時にそれは嫌だと強く思った。
失うことが嫌だった。
失いたくなかったから工夫を始めた。
普通に起きて、普通に顔を洗って、普通に食事して、普通に出かけて・・・。
普通に生きていきたいと願った。
そのために点字や白杖歩行の専門的な訓練も受けた。
いろいろな努力もしたし練習もした。
そして途中で気づいた。
僕達だけが頑張ってもうまくいかない。
僕達を受け入れる社会の理解も不可欠だ。
どうやって知ってもらえばいいのだろう。
ボランティアさんのアドバイスもあって書くことを始めた。
無我夢中で書き続けた。
未来を夢見ながら書き続けた。
稚拙な文章だし、文学とは程遠いのも自覚していた。
それでも書き続けた。
恥ずかしさを越えて書き続けた。
普通に生きていける未来のために書き続けた。
月末の講演の予定が昨日の京都新聞の記事になっていた。
エッセイストと紹介されていた。
気恥ずかしいけどうれしかった。
ほんの少し、未来に近づけたような気がした。
(2020年10月14日)

10月10日

子供の頃から、10月10日は晴れるのだと思っていた。
東京オリンピックが開催された日で体育の日だった。
テントに敷かれたゴザに体育座りをしながら万国旗を見上げた。
グランドに引かれた白線、流れるマーチ、空はいつも笑ってた。
見えなくなってからは走ることはなくなった。
50歳の時に故郷で開催された卒業生のイベントの運動会が最後だったと思う。
小学生の肘を借りて走った。
あれからまた10年以上の時が流れた。
相変わらず白杖で京都の街を歩いている。
白杖で走ることはできないけれど、僕は僕ののろまさで歩いている。
元気で歩いているのは幸せなことだ。
今年の10月10日は雨の中だ。
空は大泣きしている。
神様だって鳴きたくなる日もあるんだな。
そうそう10月10日は目の愛護デー。
風景を見ることはできなくなったけれど、しっかりと前を見て歩いていきたい。
時の流れを見つめながら生きていきたい。
(2020年10月10日)

メール

毎日たくさんのメールが届く。
一日平均50通は超えている。
3桁の日もある。
迷惑メールやお店からの勧誘メールもある。
これは困ったものだがどうしようもない。
題名で確認できたらすぐ削除するようにしている。
いくつかの団体の役員をやっているのでその関係のものが一番多い。
ホームページからもメールを送信できるようになっているので講演や授業依頼のメー
ルも届く。
先輩、仲間、友人からのものもある。
アドレスはオープンにしているので一般市民の方からの応援メールも届いたりする。
日本中、たまには国外からも届く。
見えない僕がこうしてメールが使えるのはパソコンのお陰だ。
この道具がなかったら生活すべてが変わっていただろう。
仕事もできなかったのかもしれない。
化学技術の発展がいろいろな人達の幸せにつながっていくのは素晴らしいことだ。
最近のアイフォンの進歩などもまた新しい時代につながっていくのだろう。
先日届いたメールに先輩からのものもあった。
年に一度くらい、忘れた頃に届けてくださる。
彼女は僕より少しお姉さんだが視覚障害者歴はまだ5年だ。
視覚障害の悲しさと悔しさの中にいた彼女はいろいろな人に巡り合い、一歩ずつ進ん
でいかれた。
その道程で僕も出会った。
訓練を受けられ、日常生活のノウハウ、好きな読書、取り戻された。
今は訓練の中で習得された織物を趣味にしておられるらしい。
淡々と綴られた文章には穏やかな力が感じられた。
目が見えていた頃と同じように、彼女らしく生きていこうとしておられるのが伝わっ
てきた。
残された光がなくなってしまうかもしれないという恐怖を感じながらも、
前を向いて生きていこうとする人間の生命力があった。
メールは「どうぞどうぞお健やかに ご機嫌よう」
と結ばれていた。
読み終えた僕自身の心に力がうまれるのを感じた。
秋空のような気持ちになった。
苦悩を乗り越えた言葉は誰かの力になれることがある。
人間っていいな。
(2020年10月6日)

新米

友人から新米が届いた。
お茶碗を持って、炊き立てのごはんの香りを嗅いだ。
鼻をくんくんさせて香りを嗅いだ。
それからただごはんだけを口に運んだ。
噛むほどにごはんの甘さが口中に広がった。
キラキラト輝く真っ白なごはんを思い出した。
幸せな気分になった。
黄金色に輝いていた稲穂の波も蘇った。
美しい景色はいつまでも心に残っているものなのだ。
風景だけがゆっくりと脳裏をかけていった。
静かに鮮やかにかけていった。
僕はまた口を動かしてごはんを味わった。
もう一度あの黄金色に輝く稲穂の波を見てみたい。
真っ青な秋空の下で見てみたい。
素直にそう思った。
(2020年10月1日)