熟成されたもの

見えない人がいた。
見えにくい人もいた。
ガイドヘルパーもいた。
松葉杖の人もいた。
車椅子の人もいた。
聞こえない人も、
難聴の人もいた。
手話通訳や要約筆記の人もいた。
京都から特急電車で約1時間、
人口3万5千人程の京都府北部にある綾部市、
障害者団体の研修会にお招きいただいた。
当事者のほとんどは、僕より年上だった。
僕は、僕のことを話し、
僕達も参加しやすい社会に向けての希望を語った。
障害者になりたい人なんていない。
でも、人は生きているから、
病気や怪我でなってしまうことがある。
なってしまえば、
そこには、悲しみや苦しみや挫折がある。
でも、人は必ずそれを受け止める。
受け止めて、生きていく。
幸せに向かって生きていく。
皆さん、真剣に聞いてくださった。
暖かな拍手がうずまいた。
講演が終わった後、
何人もの人達と握手をした。
一人の男性は、
自分の右手で僕の右手を持ち、
彼の左の肩に誘導した。
付け根から、手はなかった。
「これで、80年生きてきたよ。」
彼はただそれだけを言い、
僕と握手した手に力を込めた。
何度も何度も、力をこめた。
暖かな手だった。
彼の眼から、熱いものがこぼれているのが判った。
僕は、ただ、
「ありがとうございます。」
という言葉を伝えるしかできなかった。
確かに、講演をしたのは僕だった。
でも、大きなエールをもらったのは、
間違いなく僕だった。
悲しみも苦しみも、少ない方がいい。
できれば、避けたい。
でも、悲しみや苦しみは、
心の中で熟成して、
やさしさやぬくもりに変わっていくのも事実なのだ。
80年も熟成されたものは、
たった数分間で、僕を本当の幸せに導いた。
(2014年2月16日)