カレー屋さん

見えなくなった最初の頃はいろいろな行動に勇気とかエネルギーが要った。
例えば道に迷った時、
聞こえてくる足音に向かって声を出すのもそれなりの気合を入れていたものだ。
見えない相手に話しかけるのは不安も大きかったのだろう。
慣れるということは凄いことでいつのまにか自然にできるようになってきた。
どうしてだろう。
今日のお昼も新しくインドカレー屋さんがオープンしたと知って、
食べてみたいなと思ってその辺りまで行った。
バス停の近くと聞いていたのでその辺りまでは問題なく行けたのだ。
僕の予想通り、道には微かにカレーの香がしていた。
ただ僕の鼻の力では、それだけでお店の場所を特定し入口まで行くのは無理だった。
どうしようかと立ち止まって鼻をピクピクさせていたら、
通りかかった外国人が声をかけてくださった。
彼はとっても下手な日本語で、何を言っておられるかは判らなかったけど、
僕を手伝おうとしてくださっているのは間違いなかった。
僕は外国語はまったくできない。
「カレー屋さん、カレー屋さん!」
僕の日本語を聞いた彼は、
OKと言いながらカレー屋さんの入口まで案内してくださった。
いつものように、
「サンキュー、ありがとう、おおきに!」
僕は伝えたいすべてを並べて頭を下げて、それから店に入った。
ほっとしながらお店に入り
「空いてる席を教えてください。」と尋ねると、
「ここはインド料理です。」とのたどたどしい日本語が返ってきた。
咄嗟にインド人が経営しているとの情報を思い出しながら再度挑戦。
それでもまた同じ返事、
僕は今度は手で自分の目を指さし白杖を持ち上げながら、
「目が見えません。」
店員さんはやっと理解できたらしく、
僕の手を引いて椅子の背もたれを触らせてくださった。
普通ならその流れで店員さんにメニューを尋ねるのだが、
彼と僕の語学力では厳しいと判断した。
僕は他の客席に向かって、
「目が見える人、メニューを教えてください!」
すぐに男性の声がした。
僕に伝わるようにゆっくりはっきり教えてくださった。
「ビジネスランチがスープ、サラダ、カレーにナンと飲み物がついて820円、
カレーは五種類から選べて、辛さも5段階・・・」
僕は普通の辛さのキーマカレーを頼み、飲み物はホットチャイにした。
テーブルの上の箱を手探りで見つけてスプーンやフォークも探し当てた。
コップの水は手の甲を使って確認するので倒したりこぼしたりすることはない。
小学校で子供と給食を頂くと、必ず誰かが、
「ほんまは見えてるんじゃないですか?」というくらい普通に食べている。
どうしても掴めなかったりしたら素手で掴む。
おいしく食べられればいいと思っているから他人の目も気にしない。
カレーの味はまあまあだったけど、チャイはとってもおいしかった。
胃袋も心も満足して立ち上がると、
さきほどの店員さんが今度は理解して動いてくださる。
レジの方に僕の身体を誘導し、おつりは僕の手のひらにしっかりと握らせてくださっ
た。
僕はメニューを教えてくださった男性にありがとうカードを渡して店を出た。
どうしてこういう日常が自然になってきたのか、
それは人間の社会にはやさしい人がたくさんいるということを学習できたからだ。
経験が自信に変化していったのだろう。
こんな風に感じながら生きていけるようになったのは、
これまで出会ったたくさんの人達のお蔭だ。
そしてまた今日も経験がひとつ増えた。
幸せがひとつ増えた。
(2015年2月13日)