僕は僕のスピードで

後で理解できたのだけれど、
バスはいつもの停車位置よりも数メートルだけ手前で停車したのだった。
バスを降りたらすぐあるはずの点字ブロックを見つけられなくて、
僕は白杖でその辺りを探し始めた。
それでも解決できなかったので、人の足音に集中した。
ほんの少し、足音が壁に響くような音が聞こえた。
地下からの音に違いない。
僕はそちらに向かって歩き始めた。
「階段ですよ。」
中年の男性の声がした。
僕が階段に向かい始めたので落ちるかもしれないと思われたのだろう。
僕は感謝の言葉と一緒に、階段を下りて地下鉄の駅まで行きたいことを告げた。
彼と方向は同じだった。
僕は彼の肘を持たせてもらって歩き出した。
「僕は65歳なんだけど、17歳の時の交通事故の後遺症で、
左手の握力は0なんですよ。」
彼はまるで世間話でもするように話した。
「ごはんんはどうやって食べるのですか?」
僕は自然に、
まるで講演会場の小学生が見えない僕に尋ねるような質問をしていた。
「最初はスプーンを使っていましたが、いつの間にか手に挟んでお箸で食べるように
なりました。友人は器用だなと笑ってますが。」
僕もうなづきながら笑った。
「人間って、それなりに工夫して生きていきますよね。」
僕達はそれぞれの人生のスピードと同じくらいの速さでのんびりと歩いた。
地下鉄に向かうところで彼と別れた。
握力0の手で生き抜いてきた彼を、
僕はなんとなくカッコいいと感じた。
不謹慎なのかもしれないけれど、
何故かそう感じた。
そして僕もあんな風にさりげなく、誰かの力になれる生き方をしたいなと思った。
(2015年2月18日)