想像力

京都市内では基本的に単独移動している。
白杖を左右に振りながら道を歩いている。
バスも電車も1人で乗り降りする。
もう慣れているから特別に困ることもない。
目が見えなくなった最初の頃は一歩も動けなかった。
恐怖心で足が前に出なかったし動こうとも思わなかった。
白杖を持って歩く自分の姿を受け入れることもできなかった。
少し心の整理もできた頃再び歩きたいと思うようになった。
それからライトハウスで一年間の歩行訓練を受けた。
なんとか歩けるようになった。
それから20年の月日が流れ、現在の僕の日常がある。
いつの間にか京都市内どころか国内の移動は単独ですることが多くなった。
京都を離れての仕事が多くなったということもあるのだろう。
昨夜仙台から飛行機で帰京した。
そして今日は新幹線で鹿児島に向かっている。
明後日飛行機で鹿児島から京都に向かう予定だ。
翌日大阪での仕事を終えて再び関西空港から鹿児島に向かう。
鹿児島での仕事が終わったらその日のうちにとんぼ返りだ。
ちょっとハードだが翌日には京都での仕事が入っているから仕方ない。
一週間に二度鹿児島に行くということになっている。
この行ったり来たりを単独でするのだから慣れって凄いことなのだろう。
ちなみに来月は札幌も東京もあるがどちらも単独だ。
新幹線と飛行機、京都には空港がないので自宅から鹿児島まで所要時間は同じような
ものだ。
費用もそんなに変わらない。
新幹線では駅の関係者や車掌さんがサポートしてくださるし
空港では空港のスタッフや客室乗務員の方々が対応してくださるので問題はない。
その対応レベルもどんどん良くなってきているのも時代なのだろう。
あえて比較すれば、
トイレを我慢する時間が飛行機の方が短いということだろう。
新幹線でも飛行機でもトイレは我慢することにしている。
単独では例えトイレに行けても元の席に帰り着くのは全盲では無理だ。
そのために車掌さんや客室乗務員に負担をかけるのも申し訳ない。
出発前に駅や空港でトイレを済ませるように努力している。
紙おむつをと提案してくれた友人もいるのだがまだそこまでの決心がつかない。
今日新大阪でさくらに乗車する際、車掌さんが声をかけてくださった。
「鹿児島までは長時間ですがトイレはどうされますか?」
僕は我慢の準備はできていたがとてもうれしかった。
そしてその旨伝えた。
「判りました。でも通りかかった際声はかけますね。
数回かけますからその時は遠慮なくおしゃってください。」
これはきっと研修のマニュアルにはないだろう。
車掌さんの想像力とやさしさの結果だろう。
博多でJR西日本からJR九州への乗務員交代があったが、
僕の情報は引き継がれていた。
実際僕はトイレには行かなかったが心を込めて感謝を伝えた。
「お蔭様で安心して乗車できました。本当にありがとうございました。」
(2017年9月3日)