出身を尋ねられると鹿児島県と言うことが多い。
阿久根市と言いたいのだが小さな無名の故郷なのでついそう言ってしまう。
阿久根市で生まれて中学卒業まで暮らした。
それから隣の川内市の親戚宅でお世話になりながら川内高校に通った。
卒業後は1年間だけ東京で暮らして、それからはずっと京都だ。
京都での生活がもう44年になったことになる。
それでも高校野球の季節には鹿児島県代表を応援しているし、都道府県対抗女子駅伝
でも鹿児島県を応援している。
その次が京都という感じだ。
成人するまでに暮らした町、そして出会った人、経験したこと、それが人生の原点と
なっているのだろう。
ただ44年もの時間を過ごすといつの間にか沁みついてしまったこともある。
先日も無性に鱧を食べたくなった。
それもきっかけは四条河原町を歩いた時に商店街のBGMで流れていたコンチキチンを
聞いたということだった。
今年はコロナで中止になってしまったが、いつもは今頃は祇園祭の真っ最中だ。
コンチキチンの鐘の音を聞きながら鉾町をそぞろ歩く。
うだるような暑さが京都の夏だ。
そこには鱧の湯引きがある。
からし酢味噌や梅肉で頂く。
京料理と鱧、いろいろな蘊蓄があるらしいがそれもまたBGMみたいなものだ。
僕はただ無心になって口に運ぶ。
骨切りのされた微妙な歯ごたえが淡白な味わいを引き立てる。
頭の中でコンチキチンの祇園ばやしが流れる。
最後に見てからもう20年以上の時間が流れたはずなのに、
しっかりと長刀鉾の映像が蘇る。
映像を蘇らせるために鱧を食べているのだろうか。
ちょっと不思議な感覚をコンチキチンがうれしそうにはやし立てる。
いよいよ夏の始まりです。
(2020年7月17日)