コーヒーの木

専門学校が1時限目からの授業だったので7時過ぎには家を出た。
午前中に2時限の授業をして午後は大学での授業があるのでとてもハードな日だ。
乗り換える予定のバスや電車は10を超えるし、帰宅は19時を過ぎることになる。
気力も体力も必要だ。
桂駅で最初の電車に乗ろうとした時だった。
電車のドアが開く音が聞こえて、僕は点字ブロックの上を少しずつ前に移動した。
白杖は身体の前で斜めに持って防御の姿勢になっている。
その白杖が僕の前の人に触れた。
「すみません。」
僕は少し後戻りした。
数秒経過して動き始めたが、また同じことが起こってしまった。
「すみません。」
僕はまた後戻りした。
また数秒経ってから今度は声を出した。
「進んでもいいですか?」
返事はなかった。
もう大丈夫かと思って動こうとした瞬間、電車のドアが閉まる音がした。
乗り遅れたのだ。
以前の僕はいろいろな思いになっていたことを思い出した。
どうして返事をしてくれないのだろう。
気づいた他のお客さんはいなかったのだろうか。
どうして助けてくれないのだろう。
僕は点字ブロックの上を歩いていたから間違ってはいない。
駅員さんは見てくれていたのだろうか。
微かな怒りさえ感じることもあった。
いろいろ思いをめぐらして悲しくなっていたような気がする。
いつの頃からかは分からない。
なんとなく別の考え方をするようになっていった。
朝から後ろから当たられたら、嫌な思いをする人はきっといるだろうな。
朝は皆急いでいるから当然だよな。
声をかけるって勇気がいるしな。
何故そう変化していったのかは分からない。
悲しみや怒りという感情はほとんど姿を消した。
歳を重ねて丸くなったのだろうか。
そういうことでもないような気がする。
ただ、その変化で自分自身の表情の変化を自覚できるようになった。
勿論笑顔にはなってはいないが、こわばった表情ではなくなった。
それは結局、一日の終わりの感情にもいい影響を与えるようになった。
今日も一日を振り返って最初に出てきたのはモントーヤ君とのランチの時間だった。
モントーヤ君はコロンビアからの留学生で僕の授業を受けている。
コロンビアの自宅には普通にコーヒーの木があることや空の青さを教えてくれた。
僕の好きなコスモスの花、その名前には宇宙という意味があることも教えてくれた。
とても豊かな時間だった。
一日の終わりに鍵をかける時、悲しみよりも喜びがあった方がいい。
そう考えたら、朝の出来事さえ幸せな一日の中にあることだと思った。
(2021年4月24日)