捨てる神あれば拾う神あり

もう何百回もそこでは乗り換えをしている。
阪急電車と地下鉄の乗り換え通路だ。
専門学校への出勤でも大学への出勤でも利用している。
朝のラッシュでも疲れた夕方の時間帯でも利用している。
だから間違うなんてあり得ない場所のはずだ。
それを間違ってしまった。
点字ブロックに沿って頭の中の地図を頼りにいつものように動いたはずだった。
ちょっと変な感じだなと思った時はもう遅かった。
自分がどこにいるのか分からなくなっていた。
通行人の足音や話し声が周囲から聞こえていた。
地図を修正する手がかりの音を探したが無理だった。
「助けてください。迷子になりました。」
時間にも追われていた僕はすぐに周囲に向かって声を出した。
間もなくサポーターが現れた。
僕は地下鉄に向かう階段の手前の点字ブロックまでの誘導をお願いした。
感謝を伝えて地下鉄に向かった。
何故、どうして、解決できない思いを引きずりながら急いだ。
予定の電車に乗車しなければ大学の授業に遅れてしまう。
見えない僕には走るということはできない。
慎重にそれでも少し急いでホームへの階段を降りていった。
階段がもう少しで終わろうとする頃に電車が出発する音がした。
やっぱり乗り遅れた。
ホームに立ちすくんで次の電車を待った。
幾度も腕時計の針を触って時間を確認した。
まさに刻々と時間は過ぎていった。
次の電車で間に合うかギリギリのタイミングになるだろう。
間に合わなかったらタクシーになるが、タクシー乗り場もどこにあるか分からない。
あれこれ考えながら無念の思いと不安とが大きくなっていった。
電車が到着した。
ドアが開いて発車前のチャイム音が聞こえた。
僕はわざとしばらく時間を遅らせて乗り込んだ。
降りてくる人がどこで終わるかは分からないから勘の世界だ。
ゆっくりと動くのがポイントだ。
乗車してすぐに入り口の手すりを持った。
目的の駅までは6つ、見えている人はきっと座席に座る距離だ。
さすがに今日は座りたいなと僕も思った。
でも、見えない僕にはそれができない。
これも受け止めるしかないことだ。
見えない人間が社会に参加するにはささやかな覚悟は必要だ。
僕は疲労感と不安を抱えたままで当たり前のように手すりを握って立っていた。
「席が空いていますけどお座りになられますか?」
女性の声がした。
僕は何と答えたかは憶えていない。
憶えていないくらいうれしかった。
「喜んで。」と答えたような気もする。
とにかく座れるということがうれしかった。
身体も心も落ち着かせたかった。
僕は座りながら彼女にありがとうカードを手渡した。
彼女の中の記憶が蘇った。
彼女は元小学校の先生だった。
子供達と一緒に僕の話も聞いてくださっていたのだ。
僕の中で喜びがどんどん膨らんでいった。
僕達に声をかけるということにはいくらかの勇気が必要だ。
思いは持ってくださっていても、それを実行に移してくださる人はまだまだ少ない。
声おをかけられる大人になって欲しいという願いを持っているから、
僕は子供達に会いに行くのだ。
そこで出会った先生がそれを実践してくださっているのに感動した。
その姿を見た子供達がきっと後に続く。
理由は簡単だ。
困っている人に声をかけて助ける姿は間違いなくとてもカッコいいからだ。
そして、僕の目的の駅と先生が降りられる予定の駅はたまたま一緒だった。
まさに神様のプレゼントだ。
僕は先生に事情を話した。
そしてバス停までの急いでのサポートをお願いした。
「一緒に行きましょう。もしもそのバスに乗れなかったら、私が送ってあげます。」
先生はそう申し出てくださった。
駅に到着して僕達はバス停に向かって急いだ。
ホームを歩き、エスカレーターに乗り、改札を出て、歩道の奥の階段を降りた。
僕が白杖で点字ブロックを確認しながらの移動と比べれば半分以下の時間だった。
間に合った。
先生は僕がバスに乗車するまで一緒にいてくださった。
案内放送で乗車するバスを確認するという作業もしなくてよかった。
僕は安心してのんびりとバスを待った。
やがてバスが到着して僕は乗車口の正面の座席に座った。
始発だから間違いなく空いているのだ。
これで間に合うという思いが身体中を包んだ。
「苦あれば楽あり、捨てる神あれば拾う神あり。」
そんな言葉を思い出した。
先生はほんまに神様だったなと思った。
ドアが閉まろうとした時、声が聞こえた。
「松永さん、気をつけて行ってらっしゃい!」
先生は発車するまで見ていてくださったのだった。
僕は満面の笑顔で手を振った。
神様も満面の笑顔で手を振った。
(2021年10月9日)