いつどうやって知り合ったのかは忘れてしまった。
知り合ってもう何年になるのかも定かではない。
彼女が僕の著書を読んでくださったかホームページを覗いてくださったかのどちらか
だったのだろう。
僕は日常、話したり書いたりの活動をしている。
講演活動も不特定多数の人とコニュニケーションをとることになる。
ホームページにもお問合せフォームがある。
だから時々そんな出会いがあるのだ。
老若男女、地域もいろいろだ。
広島県に住んでおられる彼女とは直接に出会ったわけではない。
これまでのメールと電話を合わせてもその数は10回程度かもしれない。
ひょっとしたら直接に出会うことは一生ないのかもしれない。
それでも僕達はつながっているから不思議だ。
お互いの心の中を行き来したからかもしれない。
彼女は僕とは違う病気だ。
いつか見えなくなるかもしれないという不安も持っておられるのだろう。
見えない僕の暮らしの中に不通の笑顔があることが彼女の安心につながっているよう
だ。
ということは僕のノーテンキもちょっとは役に立っているということになる。
素直にうれしい。
久しぶりに彼女と話をした。
自分と同じ病気の後輩達に何かを届けたいと思っておられるらしい。
その中身は彼女が決めればいいし僕のアドバイスなどはささやかなものだ。
その話しぶりが活き活きとしていることに僕はほっとしてしまう。
出会った頃はそうではなかったと記憶している。
会話の最後は高層マンションの彼女の部屋から見える景色の話だった。
他のビルの屋上ばかりが見えてあまりいい景色ではないと彼女は笑った。
僕はそれが一番うれしかった。
まだ少し見えておられるのだと感じた。
その屋上の上には空がある。
眩しかったり曇っていたり真っ青だったり夕焼だったりの空がある。
この地球が暮らしている空がある。
見つめ返してくれる空がある。
包んでくれる空がある。
電話を切って僕は窓の向こう側の空に視線を向けた。
彼女の目にいつまでも空が映りますようにとそっと願った。
(2023年2月24日)