何気ない一日

2週間前の朝、出勤途中に人とぶつかって白杖が折れた。
リュックサックに予備の白杖は持っていたが長距離移動には厳しいものだった。
その日は学校にある白杖を借りて帰宅した。
社会福祉の専門学校なので白杖が備品としてあったのだ。
借りた白杖は僕の日常の折り畳み式よりも10センチほど短かかった。
折り畳み式ではない直杖というタイプのものだった。
丈夫なのだが使い慣れないものなので歩きにくかった。
それを返却しなければいけないので、今朝はいつもより少し早い時間に家を出た。
ルートも乗り換え回数の少ない京都駅経由を選んだ。
ただ、この選択は間違っていたのかもしれない。
朝の京都駅はやはり凄い混雑で通勤客だけではなく旅行客なども混在していた。
小さな集団があちこちにできていてその中を移動しなければいけなかった。
聞こえてくる言葉も多国籍だったし旅行ケースを引っ張る音もたくさんあった。
駅の放送も日本語だけでなくいくつかの言語で流れていて国際都市らしいと思った。
僕は点字ブロックの上をカメのようにゆっくり歩いた。
改札口の前でたどたどしい日本語の外国人がサポートしてくださった。
ただ有人改札という言葉を伝えることに苦労した。
もっとちゃんと英語を勉強しておけば良かったとこんな時に真面目に反省する。
JRから地下鉄、そして竹田での近鉄への乗り換えはスムーズだった。
学校の最寄りの向島駅には職員が車で迎えにきてくださるので問題はない。
学校に到着したらまた別の職員が講師室までサポートしてくださった。
短い時間のやりとりの中で僕のブログの読者だとしってうれしくなった。
しばらくしたら昨年教えた学生が質問があると会いにきてくれた。
これも短い時間のやりとりだったがうれしくなった。
授業の始まる5分前には日直の学生が講師室まで呼びに来てくれた。
彼女は中国籍の留学生で、日本にくる前はウクライナの大学でロシア語を学んでいた
という経歴だった。
戦争が終わって欲しいという会話をしながら二人で教室に向かった。
90分の授業が終わって帰ろうとしたら4人の学生が僕の著書を持って近寄ってきた。
僕はそれぞれの学生と少しの会話をしながら心を込めてサインをした。
学校が終わるとまた向島駅まで送ってもらって、そこから四条駅まで移動した。
縁があって知り合った介護福祉士の人と懇談する約束があったのだ。
カフェでランチをしながら1時間ほど懇談した。
それぞれの立場で社会の役に立ちたいという確認ができた。
四条駅までのんびり歩いて送ってもらった。
午後の大学のために、そこから地下鉄で竹田駅まで移動しなければいけなかった。
階段を降りる途中でご婦人がサポートの声をかけてくださった。
慣れている場所だったが、せっかくの声だったのでサポートを受けることにした。
電車を待っている間も到着した電車に座ってからも、彼女は弟さんの話をされた。
49歳でくも膜下出血で倒れられた弟さんを10年以上看病されていたらしい。
その頃の思い出をたどるように話された。
そして僕にエールを送って京都駅で降りていかれた。
竹田駅に到着して大学行きのバス乗り場まで動いた。
バスが到着する度に、待っていた人が僕にバスの系統番号や行先を教えて乗車してい
かれた。
僕はその度に自分が乗る予定のバスではないことと感謝をお伝えした。
大学ではいつものようにこれもまた職員が送迎をしてくださる。
バス停で待っていてくださった職員と連休の思い出話をしながら大学に向かった。
受講してくれている学生は今日も全員出席だった。
有難いことだと思う。
無事に講義を終えて帰路についた。
大学に直結の京阪電車を利用すれば早く帰れるのだがその込み様は半端じゃない。
今年度当初もトライしてみたがあまりにも大変なのであきらめた。
バスで竹田駅、そこから烏丸御池駅で地下鉄東西線、そして山科からJRという遠回り
のルートを選んでいる。
竹田駅でバスを降りようとしたら知り合いの男性が声をかけてくださった。
彼は僕とほとんど同世代で大学の近くで働いておられる。
帰路のルートも途中まで同じだ。
僕に気がついたら声をかけて一緒に帰ってくださるのだ。
こういう感じの人といろいろな駅でいろいろな時間帯で出会う。
有難いことだと思う。
電車の中では世間話をしながら過ごした。
烏丸御池駅で先に降りる僕は彼の方に顔を向けてしっかりとお礼を伝えた。
「お気をつけて。」
毎回背中で聞こえるその言葉が心地いい。
点字ブロックを歩き始めたらすぐにサポートの声がした。
階段までお願いしたが彼女は迷ってしまわれたようだった。
僕は頭の中の地図でサポートして解決できた。
助け合えばなんとかなる。
山科駅での乗り換えは距離があるが点字ブロックが完備されているので問題はない。
点字ブロックの上で立ち話をしていた外国人の集団に出会った。
「sorry」とお互いに言いながらうまくクリアできた。
それからこの日最後の電車のJRを利用して地元の比叡山坂本駅に着いた。
点字ブロックをゆっくりと改札に向かった。
しばらく歩いた所で男性のサポートの声がした。
僕は肘を持たせてもらって改札に向かった。
彼は目の病気があって昨年も手術をしたと教えてくださった。
改札口の立ち話で彼が僕と同じ病気だと分かった。
年齢を尋ねたら59歳とのことだった。
「その年齢まで見えていて良かったですね。僕は40歳まででした。」
僕の喜びが彼にしっかりと伝わったようだった。
「またお見掛けしたら声をかけますね。」
「ありがとうございます。お願いします。」
僕は笑顔で答えた。
今日乗った電車9本、ただし座れたのは2本、乗車したバス2本、利用した駅7駅、
会話をした人は学生を含めて30人くらい、外出時間約12時間、歩いた歩数8737歩。
元気に生きているということですね。
(2023年5月12日)