雨音

平日の朝9時半のホームは込んではいなかった。
僕は到着した電車にゆっくりと乗車した。
そして当たり前のように入り口の手すりを握った。
動く電車の中ではどこか握っていないと不安定で怖い。
だからいつもそうするのだ。
座るのが一番安全だと分かっているけど席を見つけるということは僕にはできない。
気づいた乗客の方が声をかけてくださった時だけが座れる。
先日調査をしている人から頼まれて回数を確認した。
この数か月をさかのぼってみたが、声をかけてもらって座れたのは20回に1回くらい
だった。
ちなみにこれは社会が冷たいということではない。
全盲の僕達には席を見つけることができないというのがあまり知られていないのだ。
白杖を持った視覚障害者の中には自分で席を見つけることができる人もいる。
弱視の人達だ。
視覚障害者に全盲と弱視の2種類があるということさえあまり知られていない。
白杖を持った人の中に席を見つけることができる人とできない人がいるということが
理解されていないのだ。
だから僕は仕方ないことだと思っている。
そしてそれを社会に丁寧に説明していくのはまさに当事者の僕達の活動なのだろう。
今日の中学校での福祉授業もそこにつながっているのだ。
「補助席がありますけど座りますか?」
女性の声だった。
「どこですか?」
彼女は尋ねた僕の手を持って座席を案内してくれた。
僕はありがとうカードを渡ししっかりと感謝を伝えて、それから座った。
20回に1回が今日になったのはとてもうれしいと思った。
今日はハードスケジュールで午後は激しい雨という天気予報もあったからだ。
中学校での福祉授業とその後の大学の講師会までの時間が30分しかなかった。
中学校の校門にタクシーを待機させておいて飛び乗るという予定だった。
その一日の始まりにラッキーを感じられたのだ。
なんとかなるぞとなんとなく思った。
僕は中学生にいろんな話をした。
今朝の出来事も話した。
人間って素敵だよと伝えた。
それから予定通りにタクシーに飛び乗った。
土砂降りの中を大学に向かった。
10分の遅刻だったが一応セーフだった。
その会議も終えて帰路に着いた。
バス、地下鉄烏丸線、東西線、そしてJRと4つを乗り継いだが、やっぱりすべて立っ
たままだった。
データ通りだ。
地元の駅で電車を降りて歩き始めた。
激しく雨が降っていた。
僕は慎重に歩みを進めた。
階段を知らす小鳥の鳴き声の案内放送が雨音で聞こえなかった。
いつの間にか通り過ぎてしまったらしかった。
「階段、通り過ぎましたよ。」
僕に気づいた若い男性が追いかけてきて教えてくれた。
僕はまたありがとうカードを渡してから階段を降りた。
今日の始まりと終わり、ラッキーな一日だったなとつくずく思った。
こうして頑張れば、20回に1回がいつか10回に1回になる。
いつか5回に1回になる。
そしてきっと未来は。
そんなことを考えたら雨音までがやさしく感じた。
明日も頑張ろうと思った。
(2023年7月6日)