光だけでも

携帯電話から懐かしい声が聞こえてきた。
京都で活動していた頃の知り合いの女性だった。
弱視の彼女は全盲の僕のこともいつも一緒に考えてくれた。
直接話すのは数年ぶりだった。
メールでお願いしていた要件についてわざわざ電話をくれたのだ。
彼女の声は相変わらず元気でハキハキとしていた。
聡明な感じも当時と同じだった。
用件が終わった後、少しだけ間が空いた。
「ちょっとだけ病気が進んだみたいなの。」
戸惑い気味の小さな声が聞こえてきた。
僕は一瞬で状況を理解できた。
本当は次の用事で急いでいたが、それをあきらめて電話に集中した。
「例えば、どんな感じなの?」
僕はゆっくりと問いかけた。
目の前に霧が出たように感じる日があること、
時々画像がゆがむように感じること、
見るのが辛く思えることがあること、
そしてそれに付随する日々の生活の様子が語られた。
僕は相槌を打ちながら聞き続けた。
それは見えなくなる過程で僕も経験したことだった。
それからわざと尋ねた。
「女性に年齢を尋ねるのは失礼かもしれないけれどさ、今何歳だったっけ?」
僕が予想していたくらいの年齢だった。
「病気は少しずつ進んでいくよね。それは仕方ないよね。
でもその年齢だったら、きっと人生の最後まで光は残ると思うよ。」
僕は非科学的な答えと分かっていたがそう伝えた。
「こんなこと、松永さんにくらいしか言えないから。」
彼女はキャッチボールにならない言葉を僕に返してから少し笑った。
僕は最後に付け加えた。
「それからさ、貴女なら大丈夫だからね。」
電話を切ってしばらく考えた。
僕は夢中だったが、何が大丈夫と言おうとしたのだろう。
見えなくなっても大丈夫だよと本当は言いたかったのだと思う。
でも、見えなくなってもは言えなかった。
見えない毎日の暮らしを否定しているわけじゃない。
見えなくても楽しいこともあるし、25年間生きてきたのは事実だ。
でも、見えなくなってもは何故か口にできなかった。
それから神様に祈った。
「本当に光だけでもいいから、彼女に最後まで残してあげてください。」
(2024年3月10日)