自宅から最寄り駅までの距離は1キロはないと思う。
最寄り駅のホームからは琵琶湖が望める。
夏の夜、琵琶湖畔ではよく花火が打ち上がる。
その音が家にいても聞こえる。
花火そのものは見えないらしいが音はよく聞こえる。
夏の風物詩だ。
ところが、最近の僕はこの音に悲しみを感じるようになってしまった。
暗闇の中で火薬が出す音がついウクライナの戦火につながってしまうのだ。
連想してしまうのだ。
平和の象徴のような花火の音をつい悲しく感じてしまうのだ。
戦争が始まった頃、盛んに報道された。
毎回犠牲者の数が流れた。
戦争は続いているのに、報道の機会や内容は縮小されているのは間違いない。
そして何よりも怖いのは、そのニュースに僕自身が慣れてきたということだ。
心の痛みが鈍感になってきているのだ。
今日も戦火で人間の命が消えていっている。
ケガをしている人もいるのだから、障害者の数も増えているだろう。
鈍感になってきている僕自身を許してはいけない。
日本が戦争をしていた頃、見えない先輩達は辛い日々だったと聞いたことがある。
お国のために戦えない人に社会の目は冷たかったらしい。
父も祖父も戦争を経験した。
たまたま僕は平和の中で生きてこられた。
そしてこれから次の数十年、大丈夫だろうか?
小さな声、出していかなくちゃ。
花火が打ち上がる空もウクライナの空もつながっている。
平和になったウクライナの空で花火が観られるように祈る。
早く戦争が終わるように祈る。
(2025年8月5日)