千日紅

会場は僕の自宅から歩いて行ける場所だったが、関係者が車で送迎してくださった。
平日の昼下がり、会場には40人程度の人が集まっておられた。
知り合いの知り合い、そのまた知り合い、ご近所、チラシを見て、いろいろだった。
共通点は皆この地域で暮らしておられるということだった。
3年半前に引っ越してきた時、僕を知っている人は誰もいなかった。
家から一歩外に出ると、無味乾燥の灰色の世界だけがそこにあった。
通り過ぎる人の足音さえも悲しく聞こえた。
僕はそれでも歩いた。
少しずつ少しずつ知り合いが増えていった。
社会が冷たいのではない。
皆正しく知る機会がなかったということだった。
声をかけていいのか分からなかったとおっしゃった。
どう声をかけたらいいのかも分からなかったとおっしゃった。
だからよく見守っていたとおっしゃった。
皆さんそうおっしゃった。
見えないということは、見守ってくださっているのも見えないのだ。
そこに言葉が生まれる時、理解につながっていく。
言葉はお互いを理解する力となる。
そしてその言葉にぬくもりがあれば、それは寄り添う力となる。
人間同士の寄り添う思い、それは確かに社会を変えていく力となるのだ。
僕は集ってくださった皆さんに心からの感謝を伝えた。
このイベントがまたきっと明日につながっていく。
それは僕にだけいいということではない。
50年先の100年先の視覚障害者が暮らしやすい地域になるのだ。
僕が講演する机には千日紅の花が活けてあった。
たくさんのピンクの花を付けていた。
講演の最中に幾度か手に触れた。
手で見たのだ。
幸せだと思った。
(2025年10月4日)