11月1日は「点字の日・日本点字制定記念日」だった。
僕の点字力は低い。
読むのも書くのも遅い。
それでも一応習得できたことは、僕の日常生活を支えてくれている。
1890年(明治23年)の11月1日、日本語用の点字が決められたらしい。
135年の時が流れたということになる。
どの時代に視覚障害者となるのか、それはどうしようもないことなのだけれど、それ
ぞれの時代がそれぞれの人生を大きく左右することは間違いない。
僕が見えなくなった時、当たり前のように点字はあった。
指先で読むということに四苦八苦しながら勉強した。
点字の先生は挫折しそうになる僕を幾度も励ましてくださった。
僕より20歳くらい年上の先生が17歳の時の事故で失明されたということはだいぶ後か
ら知った。
その生きる姿勢に人生を励まされていたような気もする。
先生のお陰で、僕も文字を獲得したということになったのだ。
点字がない時代、その頃は勿論パソコンなどもなかっただろう。
学ぶ方法は音による記憶しかなかったのだ。
点字の発明は文字を目で確認できなくなった人達に学ぶ機会をプレゼントしたという
ことになる。
画期的なことだったのだろう。
今年開催された関西万博、僕は英国パビリオンのアクセシビリティコンサルタントと
して少しだけお手伝いをした。
ロンドンから来られていたシェリーさんは点字の重要性を強く僕におっしゃった。
彼女は英国のアクセシビリティアドバイザーとして仕事をされていた。
英国の点字と日本の点字は大きさだけでなく、その表し方などに違いがあった。
僕達は真剣に意見交換し取り組んだ。
結果、英国パビリオンのあちこちに点字案内が整備された。
映像には副音声も着けられた。
限られた期間のイベント、どれだけ視覚障害者の恩恵となるのだろうとふと思った僕
にシェリーさんはおっしゃった。
「どれだけ利用されるかではなく、そこにあるかないかがとても重要だと思う。」
僕にとっても大きな学びの機会となった。
ただ世界を考えると、すべての国の視覚障害者が学ぶ機会を保障されているとは言え
ない。
僕は日本と言う先進国で学ぶ機会を保障されたのだから、世界の仲間のことを考える
想像力は持ちたいと思う。
できることは少ないかもしれないけれど、そうありたいとは思う。
(2025年11月2日)