今年のお正月は、曜日の並びがいいせいか、
4日の金曜日の夕方、
四条河原町は溢れんばかりの人波だった。
僕は、ガイドさんがいなかったら、歩行をあきらめただろう。
それくらい凄い人波だった。
何とか町家カフェさわさわの用事をすませて、
駅でガイドさんと別れて帰路に着いた。
電車も込んでいたし、結構慌しかった。
桂駅に着いて、いつものように一人で改札へ向かった。
慌しい人波からは、サポートの声はなかった。
無理もないよな、正月早々、皆忙しいもんな。
僕はそう思いながら、
慎重に歩いて、無事改札口を出て、バスターミナルへ歩き始めた。
その時、「まっつん」と声がした。
僕は、見えている頃、養護施設で働いていた。
子供達は、僕のことを、まっつんと呼んだり、おにいさんと呼んだりしていた。
だから、「まっつん」と呼ぶのは、養護施設にいた子供達なのだ。
僕はすぐに、その声の特徴、周囲をはばからないボリュームで、まきちゃんだと
判った。
まきちゃんが小学校に入学した頃、僕は一生懸命、
「1+3=4」とか、彼女に教えた。
何度か教えると、彼女はオウム返しに答えてくれるようになった。
でも、どんなに頑張っても、
アメちゃんが左手に1個、右手に3個あって、
合計4個になることを、彼女が理解することはできなかった。
彼女は、小中学校は育成学級に通い、それから支援学校に進み、
そして、社会に出ていった。
社会と言っても、そこは施設とかで、現在はグループホームにいるらしい。
勿論、その頃の僕は見えていたし、白杖もなかった。
彼女は、サングラスをして、白杖を持った僕を、
しっかりと判別した。
白杖で歩く僕に、
「まっつん、危ないから私を持ったらいいよ。」
彼女は腕を差し出した。
僕は、彼女の腕を持って歩いた。
発達年齢3歳の30歳代の知的障害の女性と、
全盲の55歳のオッサン、
二人で仲良く歩いた。
彼女の大きな声も笑い声も、子供の頃そのままだった。
子供の頃は、僕が彼女の手を引いて歩いた。
そして、20年近い時間を経ての再会、
今度は、彼女が、僕を連れて歩いた。
バスターミナルに着くと、やはり凄いバス待ちの行列だった。
彼女は、その最後に並ぶと、到着するバスを観察していた。
そして、僕の乗る予定の2番のバスが到着すると、
迷わずに、僕をバスの乗車口まで案内した。
そして、
「まっつん、気をつけてね。」と言った。
「まきちゃんも、元気でね。また会おうね。」
まきちゃんは、相変わらず、周囲をはばからない大きな声で、
「うん。」、笑った。
あの頃の笑顔が、僕の脳裏に蘇った。
人間の価値って何だろう。
55歳の最終日、神様からのプレゼントだと思った。
(2013年1月5日)
まきちゃん
今年もよろしく
毎年のことだが、元旦はあっという間に過ぎる。
元旦は、24時間ないのかもしれない。
2日と3日は、箱根駅伝をラジオで聞く。
僕は鹿児島県阿久根市の出身で京都市在住、
大学も京都だったから、箱根駅伝に参加している大学に、特別な思いはない。
ただ、見えている頃、歯をくいしばって走る学生達の姿をブラウン管で見てから、
ほとんど毎年応援している。
大学の名前も、選手の名前も、記憶はしていないが、
歯をくいしばった姿は、何となく憶えている。
僕にはない「根性」に、心から拍手をおくる。
そして、感動する。
大晦日も、紅白ではなくて、ボクシングのタイトルマッチのテレビをつけた。
画像はないので、面白いのかと尋ねられることがあるが、
それなりに楽しんでいる。
スポーツが好きなのかもしれない。
もちろん、これは観戦ということで、するということではない。
ぐうたらだから、コタツでテレビを見ながら、
みかんを食べているのが幸せだ。
ぐうたらの自分に、時々気合を入れながら、
今年もボチボチ頑張ります。
宜しくお願い致します。
(2013年1月2日)
タクシードライバー
乗車するなり、タクシーの運転手さんが話しかけてきた。
「ちょっと見えないんですか?」
「僕は全盲で、全然見えていません。」
自宅までの15分間、僕達はいろんな会話をした。
僕が見えなくなって、15年くらいだということ、
もうすっかり慣れているということ、
でもやっぱり、駅のホームなどは緊張するということ、
彼は一人暮らしだということ、
勉強は苦手だったけど身体は元気だということ、
いつまでも健康でありたいと思っていることなどを話された。
そして、ちらついている雪の美しさを僕に教えてくださった。
小雪の舞う道を、タクシーはスイスイと走った。
僕は、車の曲がる方向や道路の傾斜で、車がどこを走っているかがだいたい判っ
ている。いつもの道順を走って、タクシーが団地の横に停車した。
「900円でいいです。」
彼が言った。
夜遅い時など、同じ経路をタクシーに乗車することがあるので、
1,000円を超えるということは知っている。
しかも、深夜なので割り増しのはずだ。
けげんな顔をしている僕に、
「僕は個人タクシーだから、大丈夫。900円でいいです。」
彼は再度、そう言った。
どういう計算がおこなわれたのかは判らない。
僕は、財布から千円札を取り出した。
100円玉一個が、僕の手に載せられた。
ドアが開いて、
お互いの「ありがとうございました。」の言葉が交差した。
降りようとする僕に、彼は段差に注意するようにと付け加えた。
歩き始めた僕の背中を、視線が追いかけているのがわかった。
タクシーのエンジン音は、動こうとはしなかった。
10メートルほど歩いて、団地の入り口を見つけた時、
僕は振り返って、自然に深々と頭を下げた。
タクシーは、安心したように走り出した。
僕は、右手で白杖を使いながら、
左手でポケットの中の100円玉を触りながら歩いた。
ちらつく雪を顔面で受け止めながら、
ちょっと目頭が熱くなった。
ほんまに、人間っていいよなぁ。
(2012年12月27日)
いとこ
従兄から、このHPへのアクセス2万回目を引き当てたとのメールが届いた。
メッセージを楽しみにしている一人だと、
短い文章ではあったが、
激励の言葉が添えられていた。
毎日、新しいメッセージを書いた日も、書いていない日も、
100人以上の人達がこれを読んでくださっている。
発信することよりも、受け取ることの方が、
エネルギーがいることを、
僕は理解している。
このHPの向こう側に、
それぞれの感性を持ち、
それぞれの人生を見つめながら、
そして、思いを寄せてくださる人達がいるのだ。
見えるとか見えないとか無関係に、
エールは、力となる。
大きな力となる。
ちなみに、僕と従兄は同じ阿久根市で生まれ育ったが、
年齢もだいぶ違うし、
一緒に遊んだ記憶などはない。
大人になって再会し、数回お会いしただけだ。
彼が、まだ日本が貧しかった頃、
その時代ならではの苦労をしながら生き抜いてこられたということを、
親父から聞かされたことがある。
苦労は、豊かな人間を育てるとの言葉もあった。
横浜の従弟は、小学校の頃遊んだかすかな記憶しかないのだけれど、
まるで、兄弟のように、
僕のことを応援してくれた。
他にも、そっと見守ってくださっている親族もいるのかもしれない。
血縁、地縁、そして、偶然の縁。
すべての縁に感謝します。
ちなみに、僕は、へなちょこなので、苦労をしたいとは思ってはいない。
でも、こういう人達に会うたびに、
僕も、そういう人でありたいなと、
憧れてしまう。
楽をしながら、学びたいと言えば、
また、親父に怒られそうですが。
(2012年12月23日)
ランちゃん、さようなら
愛犬のランちゃんが、天国へ旅立った。
心臓病だった。
突然の旅立ちだった。
動物病院の先生方の懸命の努力も及ばなかった。
11歳7ヶ月、人間に例えれば、60歳代だろうか。
僕が失明して数年後、家族の一員となった。
だから、僕は、ランちゃんの顔を見たことはない。
でも、本当によく、一緒に遊んだ。
いや、遊んでもらった。
触った感覚を、手が憶えている。
泣き声を、耳が憶えている。
鼻がにおいを憶えている。
ぬくもりを。身体が憶えている。
どうしてもお昼の時間が取れなかった僕は、
ペットの葬儀屋さんに、夜のお葬式を依頼した。
夜中のお葬式となった。
焼かれた後のお骨を、
僕は手で触りながら、骨壷に入れた。
葬儀屋さんは、どの部分のお骨かを、丁寧に説明してくださった。
まだ少し暖かなお骨を、
僕はとても愛おしく感じた。
ただ、ありがとうの言葉がこぼれた。
夜中の大江山の山頂付近は雪が降っていた。
ふと、生かされている自分に感謝した。
いつか僕も、骨になる。
それまで、生きている限り、
この命に感謝して、
この道を歩いていこう。
ランちゃん、ありがとう、安らかに。
(2012年12月19日)
落ち葉
いつもと違うバス停でバスを降りた。
年に数回利用するバス停だ。
だいたいの方向とか、判っているつもりだ。
横を通る車のエンジン音を平行に感じながら、
前からくる人の雰囲気や、自転車に気をつけながら、
白杖から手に伝わる感覚、足の裏の感覚、
いろいろな音や匂いをキャッチしながら、
目以外の感覚を総動員して歩く。
記憶では、角を曲がったちょっと先にある横断歩道、
ところが、見つけられない。
目印の点字ブロックの上に、落ち葉が敷き詰められて、
何層にも重なっていて、
白杖で見つけられない。
ここ数日の雨と、北風の仕業だ。
こんな時、慌てたらだめ。
かくれんぼしている友達を探す気分で、
ゆっくりと路面を探る。
上手に隠れたなぁ。
なかなか見つけられない。
誰かに助けを求めようかとも思ったけれど、
かくれんぼで降参してるような気がして、
負けん気が許さない。
もう一回、ゆっくりゆっくり、路面を探る。
あったぁ!
僕の勝ち。
やっと見つけ出した点字ブロックの上で、深呼吸をした。
冬の匂いがした。
(2012年12月18日)
少年
中学生を対象にした福祉授業に招かれた。
僕は、見えない世界を伝えながら、
共に生きていく社会について語った。
授業が終わった後、
彼は、僕を控え室まで案内した。
日直か、当番なのか、
彼は僕を手引きしながら、
ほとんどしゃべらずに、
黙々と歩いた。
身体の動きからも、彼の緊張が伝わってきた。
控え室に着く直前、
突然、彼がつぶやいた。
「雪。」
僕は立ち止まって、
「降ってるの?」
彼に投げかけた。
「大きな雪・・・、ふわふわ・・・、たくさん・・・。」
彼は、一生懸命、僕に伝えようとした。
「綺麗?」
「はい、とっても。」
僕は、彼の声が示す方向を眺めた。
一瞬の沈黙の後、
また、僕達は歩き始めた。
控え室に着いて、彼は、授業で僕が教えた通り、
僕の手を取って、椅子の背もたれを触らせた。
僕がちゃんと座るのを見届けると、
小さな声でつぶやいた。
「ありがとうございました。」
その声の小ささの中に、
少年の誠実さがにじみ出ていた。
綺麗な雪が、少年によく似合うと思った。
(2012年12月12日)
運勢
朝、いつものバス停からバスに乗った。
バスは、沢山の乗客だった。
大吉の日は、乗車した時点で、
僕に気づいた運転手さんとか乗客の方が声をかけてくださる。
空いている席を教えてくださったり、譲ってくださったり。
中吉の日は、途中で誰かが声をかけてくださる。
小吉の日は、たまたま偶然、僕の立っている前の座席の乗客が途中下車して、席
が空く。今日ははずれだった。
朝から20分の立ちっ放しはきついよなぁ。
しかも、いつものバス停からだいぶ離れたところでバスが止まってしまったので、
点字ブロックを探すのに一苦労して、時間もかかった。
でも、見えなくなってから、時間的に余裕を持って動くようにしているので大丈
夫。
ちょっとブルーになった気分をはげましながら目的地に向かう。
阪急電車は、いつものごとく混んでいて、
これは仕方ない。
四条で地下鉄に乗り換えようと動き始めたら、
サポートの女性の声。
早速肘を借りて歩き出したら、行き先も同じ駅。
楽チンで歩いて、電車に乗って、しかも予定外に座れて、
めったに使わない目的地の駅の改札口までスイスイ。
「ありがとうございました。」
「お気をつけて。」
笑顔の挨拶で、気分は一気にバラ色に。
ニュースでは、ぶっそうな事件が報道され、
危険な社会が強調される。
でも、人間の社会には、やさしい人がいっぱいいるんだよと、
今日も、講演先の中学生達に伝えました。
最後の講演を終えて帰る際、
寒い中、学校長はバスがくるまでずっと、僕と付き合ってくださった。
北風の中で握手した手が、やさしく感じられた。
バスは満員で、目的地までの40分間立ちっ放しだった。
でも、最終的に、僕の今日の運勢は、
プラスマイナスで算数しても、
やっぱりついてる一日でした。
ありがとう、やさしい人達。
(2012年12月8日)
忘年会
昨夜は、今年最初の忘年会。
京都ライトハウスで訓練を受けた仲間達の会、フェニックス会の忘年会だった。
見えない、見えにくい仲間達と、見える友達と、楽しいひとときだった。
僕達は、たまたま、同じ時代に、視覚に障害をもってしまった。
そして、京都ライトハウスで、白杖歩行や、点字やパソコンなどの訓練を受けた。
訓練終了後は、それぞれが、それぞれの地域で、
それぞれの人生をおくっている。
それぞれの人生が、キラキラと輝いていることを、
お互いに認め合う、居心地のいい会だ。
参加した一人の全盲の女性は、
自宅でのお父様の介護に向かい合った一年だったと振り返った。
「未来に向かう子供の命、大切です。
現役世代の私達の命、大切です。
そして、人生の終わりに近づきながら、
日々生きようとする命も、
同じように大切なのだと感じました。」
この言葉を聞いた時、
僕達は、また心から、彼女に拍手を送った。
いい忘年会だった。
ひとつ年を取るごとに、
ひとつ学べる人生でありたい。
(2012年12月3日)
おとうさんと娘
舞鶴へ向かう電車の中で、
中年の男性が声をかけてくださった。
「ひょっとして、松永さんですか?」
福祉専門学校で僕の授業を受けた娘さんのおとうさんだった。
娘さんが卒業して、もう7,8年になる。
当時、娘さんに勧められて、おとうさんは僕のエッセイも読み、
その後、僕が新聞に連載したコラムも読んだとのことだった。
そして、そのコラムを切り抜いて、
他府県で就職した娘さんに郵便で送ってあげておられたそうだ。
だから、当時の新聞などで、僕の顔を記憶しておられたのだ。
電車の中で僕を見かけ、
ひょっとしたらと思い、念のために携帯で僕のHPを確認し、
今日のスケジュールに舞鶴という文字を見つけて、僕だと確信されたとのことだ
った。
出会った学生が、理解や共感を家族に伝えてくれていたこと、
こうして、こんな場所で、こんな形でそれに気づき、
僕は、彼女に、心から感謝する気持ちが湧き上がった。
そして、学生時代の彼女の誠実そうな印象が、
本当にそのままだったことに驚いた。
おとうさんは、その娘さんが、つい先月、結婚されたと話された。
うれしそうに話された。
その言葉のひとつひとつに、
大切に育てた娘さんへの愛情がにじみ出ていた。
一緒に写真をとの申し出を、僕は快く引き受けた。
二人の笑顔のおっさんが、カメラに向かった。
おとうさんは、この偶然の写真を、きっと娘さんに届けるのだろう。
うれしそうに、笑いながら、届けるのだろう。
素敵な娘さんに乾杯!
素敵なおとうさんに、乾杯!
(2012年12月1日)