桜待つ思い

見える頃によく歩いていた道をたまたま歩いた。
歩道橋の下り坂にさしかかった。
ふと、思いでの中の桜に気づいた。
見える頃はそこで毎年見ていた。
当たり前の春の風物詩だった。
その道で桜を見ていたのは20歳過ぎの頃から40歳手前までの20年くらいだ。
そして見えなくなって25年くらいの時が流れた。
もう遥かな昔のことだ。
それなのに満開の桜が蘇る。
真っ青な空の下の薄桃色の桜、本当に美しい。
僕にとっての見るは触るということに変わった。
それは淋しい変化でもなく悲しい変化でもなく、豊かな変化なのだと思う。
指先で感じる桜の花弁を愛おしいと思う。
愛おしいと想える自分自身も愛おしい。
桜を見たいと思うのは春を感じたいという願いなのだろう。
自然に沸き起こる思いは変わらないということだ。
今年はどこでどんな桜に出会うのだろう。
楽しみだ。
(2021年3月16日)

黙祷

今日は出かける用事はなかった。
自分の部屋で音楽を聞きながらパソコンに向かっていた。
14時40分を知らせるアラームが鳴り響いた。
今朝セットしたものだった。
僕はグーグルホームにNHKラジオ放送の受信を指示しながら立ち上がった。
北の方向に向き直ってから気を付けをした。
そしてラジオから流れた時報に合わせて黙祷した。
その日、その時、僕はライトハウスの喫茶室にいたことを思い出した。
コーヒーを飲みながら休憩していた。
お気に入りの携帯ラジオのイヤホンを耳に入れていた。
突然、地震のニュースが飛び込んできた。
尋常ではないことが最初の報道から感じられた。
それでも、その後の津波や原発事故までの想像力はひとかけらも僕にはなかった。
たった一分間の黙祷の間に津波が襲ってくる映像が脳裏に浮かんだ。
見てはいない筈なのに浮かんだ。
そして亡くなられた方々のご冥福を心から祈った。
次の10年間をどう生きていくのか、それはきっと僕にも課せられた命題なのだろう。
黙祷が終わって目を開けた。
「今日はきっと一日中、雲一つない青空でしょう。」
今朝の天気予報を思い出した。
ほんの少し、救われたような気がした。
与えられた命をしっかりと生きていこうと思った。
(2021年3月11日)

予感

「沈丁花が咲いていますよ。」
一緒に歩いていたボランティアさんが突然声を出された。
僕が香りに気づくのと同時だった。
僕達は立ち止った。
香りに吸い寄せられるように沈丁花に近づいた。
ボランティアさんは僕の指先を小さな花に誘導してくださった。
僕は小さな花をそっと触った。
それから、葉っぱと木の幹を触った。
そしてまた、花に顔を近づけて香りに埋もれた。
幸せに埋もれた。
「蝋梅、モクレン、沈丁花、春の香りですね。」
ボランティアさんの声が弾んだ。
モクレンの香りなど知らなかった僕は、その話だけでもうれしくなった。
ささやかな単純な喜び、不思議だけどそんなことがアルバムの中では色あせない。
いくつもの季節が通り過ぎても、
沈丁花の香りに出会ったらこの道を思い出すのだろう。
そんな予感がしてうれしさは膨らんだ。
(2021年3月10日)

フキ味噌

教え子の学生と久しぶりに会った。
彼女は別れ際に瓶をくれた。
手のひらにすっぽり入るくらいの小さな瓶だった。
「少しだけですが、私の手作りです。」
瓶の中身はフキ味噌だった。
帰宅した僕は早速夕食に頂いた。
瓶の中から小さな小さな塊をお箸で掴んでそっと口に入れた。
何とも言えない苦みがゆっくりと口の中に広がった。
苦みはやがて僕の脳まで届いた。
幸せのお薬のような気がした。
年齢を重ねながら味覚も成熟していくのだろう。
いつの頃からか苦みと言う味をうれしく感じるようになった。
人生の苦さを知ってきたからだろうか。
この春卒業する彼女は福祉の現場に就職する。
おじいちゃんやおばあちゃんの介護の仕事だ。
大変な仕事だ。
頑張って欲しいと心から思う。
出会った学生達の春が輝いてくれますようにと心から願う。
(2021年3月4日)

消防学校

「敬礼!」
係りの人の号令の後、一瞬の静寂が流れた。
卒業を目前にした消防学校の若い消防士達へ向けての講演だった。
時々その場所特有の挨拶の方法や雰囲気がある。
警察学校や消防学校は敬礼で始まり敬礼で終わる。
僧侶の皆様の勉強会にお招き頂いた時は読経の中を講師席まで案内して頂いた。
お香の香りの中の厳粛な空気は身が引き締まるような感じだった。
教会での講演は讃美歌が流れパイプオルガンの音色が聞こえたりもした。
振り返ればいろいろな場所に出かけたなと思う。
いろいろな場所でいろいろな立場の皆様に話を聞いてもらったが、
結局僕は人間に向かって話をさせてもらっているのだろう。
この社会で一緒に生きていく人間ということなのだ。
消防学校では講演の後、視覚障害者のサポート体験の実習もしてもらった。
二人一組で廊下を歩いたり、椅子への誘導をしたりした。
僕も何名かの人に体験をしてもらったが、見な鍛えられた肉体なのに驚いた。
最後に質問が出た。
「万が一、火事の現場で視覚障害者の人を救助する際、抱えても大丈夫ですか?」
そこにはこれから現場に配属されて消防士として働き始める人達の心があった。
正義感、勇気、輝いていた。
もう10年以上前に始めて消防学校にお招き頂いた時に、校内を案内して頂いたことが
ある。
一角に殉職者の霊をおまつりしている場所があった。
危険と隣り合わせて仕事をしておられるのを実感した。
社会はいろいろな人達のお陰で成り立っている。
学校を後にしながら、あらためていろいろな人達に支えられての日常を意識した。
そして、心から感謝した。
(2021年2月28日)

えみちゃん

僕が彼女と始めて出会ったのは見えなくなってからだった。
たまたま視覚障害者関係のイベントで出会った。
僕の講演を聞きにお母さんと一緒に参加してくれていたのだ。
口数の少ない彼女の笑顔が印象的だった。
あれから、もう10年以上の付き合いとなった。
昨夜の夢に彼女が登場した。
数日前に電話で話をしたせいかもしれない。
夢の中では何の違和感もなく僕達は話をしていた。
目が覚めて気づいた。
僕は彼女の顔を見たことはないのだ。
それでも夢の中では彼女の笑顔があった。
どういうことなのだろう。
不思議な感じがした。
彼女の雰囲気、やさしい語り口、控え目な笑い声、
それが朧げな顔の映像につながっているのかもしれない。
朧げだから思い出せるような記憶には残っていない。
でも確かに普通に笑顔があったのだ。
そして納得した。
うれしいから思い出せるのだ。
思い出すということが幸せなことなのかもしれない。
それはきっと見えるか見えないかなんて関係はないことなのだろう。
(2021年2月24日)

富士山

コロナで対面の講演会が実現するか不安だったが、
なんとか実施することができた。
ふとしたことで縁がつながった東京の高校に3年連続で伺ったことになる。
講演を聞いてくれた高校生と帰路の北千住駅で偶然出会った。
「講演してくださってありがとうございました。」
彼女は爽やかに挨拶をして改札口に吸い込まれていった。
京都であっても大阪であっても東京であっても、高校生は輝いて見える。
そういう年頃なのかもしれない。
彼女達が未来を創ってくれると思うと出会えたことに感謝の思いだ。
僕はすっかりいい気分で東京駅に向かった。
東京駅でサポートしてくださった駅員さんはとても丁寧だった。
何両目がいいかとか、トイレの近くがいいかとかいろいろ尋ねてくださった。
僕はどこでも大丈夫と告げた。
駅員さんは最後までいろいろ考えておられるようだった。
車内に入ってから僕を右側のシートに案内しようとしてそれを変更された。
「左側に変更しましょう。こちらが富士山が見えるんです。」
僕は吹き出しそうになるのをこらえて返事をした。
「ありがとうございます。」
思いは例え少々ずれていても構わない。
思いがあることが素敵なことなのだ。
僕は雪をかぶった富士山を想像しながら車窓を眺めて過ごした。
(2021年2月19日)

キンカン

小学校時代の友人からキンカンが届いた。
春姫というブランドのキンカンだ。
春姫をひとつ口に入れる。
大粒で口一杯になる。
最初はゆっくり齧る。
果汁が口中に広がる。
甘さの中野ほろ苦さが春を主張する。
それを確認できたらモグモグと食べる。
種を山車ながら食べる。
春が口中から食道を通って胃袋にたどり着く。
そして最後に脳まで届く。
かけがえのない幸せを感じる。
彼女とは小学校からずっと連絡を取っていたわけではない。
卒業して40年くらいのブランクがあった。
たまたま新聞記事で僕のことを知った彼女が連絡をとってくれたのだ。
40年という時間を超えて人間同士は再会できる。
こういうことができるのが人間という生き物の魅力だ。
今年出会った人と百歳を超えてからまた会えたらうれしいだろうな。
そんな風に考えながら生きていければいいのかもしれない。
(2021年2月14日)

全集中

ニュースは科学の進歩を伝えていた。
受精卵の遺伝子検査についてだった。
命に関わる病気などが予想される場合が対象になるとのことだった。
治療法のない難病などで失明の危険性がある場合も同様との内容だった。
ひとつ時代が違えば僕は生まれてくることができなかったのかもしれない。
寒々とした思いで家を出た。
白杖を左右に降りながらいつもの道を歩いた。
横断歩道の点字ブロックで立ち止った時だった。
「おはようございます。」
少年とお母さんの声が重なりながら聞こえた。
「おはようございます。久しぶりですね。」
僕は聞き覚えのある超えの母子に挨拶を返した。
僕達は揃ってバス停に向かった。
僕が市バスを待っている近くで母子は支援学校の送迎バスを待っていた。
バスが来るまでのわずかな時間、母子の笑い声が辺りにこだました。
「じゃんじゅうじゅう」
少年は幾度も繰り返していた。
僕はその意味はさっぱり分からなかった。
お母さんが一言ずつ区切って教え始めた。
「ぜん しゅう ちゅう」
少年は一生懸命に繰り返した。
「じゃんじゅうじゅう」
お母さんと少年のの笑い声が朝の陽だまりに溶け込んだ。
疑うことのできない幸せがそこに存在していた。
障害はない方がいい。
元気で一生を過ごしていく。
それは誰もが望むことだろう。
でもそうあり続けるなんて不可能だ。
生きているから病気もするしケガもする。
年もとる。
そのすべてを含めて人が生きていくということなのだと思う。
そこには悲しみもあれば喜びもある。
そして、涙が笑顔に変わっていくこともあるのだ。
支援学校のバスが到着した。
「いってらっしゃい。」
お母さんが少年に手を振った。
僕も一緒に手を振った。
「全集中」
今日も頑張って生きていこうと思った。
(2021年2月9日)

春の光

立春なのにまだ寒いなと思いながら歩き始めた。
気温は3度だった。
8時半を過ぎていたので朝日はもう昇っていた。
しばらく歩いてすぐに気づいた。
やっぱり春が始まったのだ。
気温3度は冬と同じ数値なのだが感じる光は違っていた。
僕の目では光の明るさなどは分からない。
僕の身体全体が光を感じてくれたのだ。
光が包んでくれたのかもしれない。
光の中にしっかりと熱が含まれていることに気づいたのだ。
冬の光とは少し違う熱だった。
夏のような強烈さはないのだけれど、存在感のある熱だった。
その光が降り注いでいた。
音もなく気配もなく降り注いでいた。
草にも木々にも土にも、そして僕にも降り注いでいた。
僕はうれしくなった。
身体の中にエネルギーが充電されていくような感覚になった。
草も木々も土も今エネルギーを蓄えていっているのだろう。
冬の後には必ず春がくるのだ。
当たり前のことを何故かとてもうれしく感じた。
満開の春が待ち遠しくなった。
(2021年2月4日)