一日の仕事を終えてやっと地元の駅に着いた。
白杖を振りながら急ぎ足でバスターミナルへ向かった。
そこまでは一般の人と同じだ。
バスターミナルには一つの降り場と三つの乗り場が並んでいる。
僕は頭の中の地図で階段を右に降りて点字ブロックを探す。
点字ブロック沿いに歩けば一番手前の乗り場に行くことができる。
その乗り場からは5種類の行先の違うバスが発車する。
乗り場にはバスを待つ人々の行列ができていて、
自分の乗るバスがきたら列から離れて順番に乗車していくようになっている。
僕はその列がどこまであるのか分からないから最後尾に並ぶことはできない。
バスから流れる案内放送で行先を確認するので近くにいなければならない。
列を離れて順序良く歩くこともできない。
だからいつも乗り場近くの点字ブロックの上で待っている。
僕には僕なりの仕方ない理由があるのだけれど、
見方によっては順番抜かしには違いない。
社会に対して申し訳ないという気持ちもあるし、
咎められるようなことがあったらきちんと説明する義務もあると思っている。
幸いそういうことは一度もない。
ただその状況でバスのエンジン音や到着時に流れる一回きりの案内放送を確認しなけ
ればならないのだからいくらかの緊張感は必要だ。
気を抜けずにバスを待っている日常がある。
「松永さん、何かお手伝いすることはありますか?」
行列の中から声がした。
僕は自分の乗りたいバスの番号を伝えた。
彼女はそのバスが間もなく到着するという掲示板の情報を教えてくれて、
それから乗りやすい地点まで僕を誘導してくれた。
小学校4年生の時に僕の福祉授業を受けてくれた彼女は大学3回生になっていた。
僕の著書を小学校の頃に読んで今でも大切に持っているとのことだった。
11年ぶりの再会だった。
未来に向かって蒔いた種が発芽していることを実感した。
発芽率がどれくらいあるかは想像もできない。
でも信じて蒔き続けるしかない。
それが僕にできること、僕がしなければならないこと。
乗車したバスの背もたれに背中を押し付けながら、また明日も頑張ろうと思った。
そしてありがとうとつぶやいた。
(2018年7月2日)
バス待ち
サイン
京都市の西北にキリスト教系列の男子の中学校がある。
この中学校にくるようになって10年は経っただろうか。
毎年二日間だけ来ている。
一日目に全員を対象に話をし二日目はクラス毎に質疑応答の時間を取っている。
生徒達はそれぞれの疑問を僕に投げかけてくる。
5時限連続の授業は体力も気力も要るのだが、
僕は楽しみながらやっている。
「何故サングラスをしているのですか?」
「地震などが起こったらどうするのですか?」
申し合わせたように5クラスから同じ質問もあった。
中学生らしいまだ幼い内容の質問もあるし、
人間の幸福や生き方に関わるようなものもある。
ひとつひとつの疑問に丁寧に答えていくことが正しい理解につながっていく。
最後のクラスが終わって控室に戻った時、
一人の少年がノートとボールペンを僕に差し出した。
「記念にサインをください。」
僕は著書以外には基本的にサインはしないことにしている。
芸能人でもスポーツ選手でもないし、
そういうことでうぬぼれてしまう自分自身が怖いからだ。
でもキラキラとまっすぐな少年の視線に見つめられて断ることができなかった。
少年の氏名、僕の氏名、そして「ありがとう」という言葉を書いた。
未来の扉に心をこめてサインした。
(2018年6月29日)
くちなしの花
彼女は突然何の前触れもなく車を道の左側に停車させた。
そして僕が乗っている助手席側の窓を全開にしてから質問した。
「この匂いわかりますか?」
鼻をピクピクさせている僕に彼女はうれしそうに言った。
「くちなしの花ですよ。」
それだけ言うと車を動かし始めた。
彼女は仕事の休みの日など時々僕の移動のボランティアをしてくれている。
長い付き合いの中で僕が興味を示すものなどが判ってきたのだろう。
一週間もしない今日、別のボランティアさんと買い物に行ったら、
お店の近くの道端で突然止まって質問された。
「この匂いわかりますか?」
鼻をピクピクさせている僕に、彼女はうれしそうに言った。
「くちなしの花。」
僕は花を触らせてもらった。
僕にはくちなしの花の映像の記憶はない。
渡哲也さんの歌なら知っている。
でも見た記憶はなかった。
真っ白な花びら、
黄色い花粉は料理にも使われるそうだ。
もっとたくさんの花の名前を憶えておけばよかったと後悔もある。
でも見えなくなっていく時はそれどころではなかった。
花の名前は知らないけれど、
咲いている命をうれしく感じるようになった。
そして、見えない僕に季節の移ろいを伝えようとしてくれる人がいる。
幸せなことだと思う。
(2018年6月26日)
失敗
雨で道が混んでいた。
タクシーはなかなか進まなかった。
桂川駅に着いたのは13時50分だった。
14時に京都駅で関係者と待ち合わせの約束だったが遅れることを覚悟した。
それでも気持ちは焦っていた。
点字ブロックを手掛かりにしながら人波を避けて歩いた。
やっと階段を見つけて急いで降りた。
降りたホームの左側が京都方面だ。
もう何百回も利用しているのだから身体が憶えている。
「大阪方面行の電車が到着します。」
反対方向を案内する放送が流れた。
あわてん坊の駅員さんが間違ったんだなと思った。
僕は到着した電車に乗ってすぐに関係者に電話をかけた。
「10分程度遅刻します。すみません。」
わずかの遅刻で済んだと胸をなでおろして手すりを掴んだ。
緩やかな空気に身体もくつろいでいた。
「次は向日町です。」
車内に流れたアナウンスが僕を恐怖感の中に突き落とした。
間違っていたのは僕だったことがやっと理解できた。
どこでどう間違ったかさえ判らなかった。
向日町駅でいつもより慎重に白杖で電車とホームの隙間を確認して降りた。
そして足音に向かって声を出した。
すぐに若い男性が立ち止まってくれた。
僕は間違ってしまった事情を説明した。
そして京都方面行ホームへの移動のサポートをお願いした。
僕の表情は引きつっていたかもしれない。
彼は階段を降り地下道を通って反対側のホームまで連れて行ってくれた。
僕に話しかけながらゆっくりと歩いてくれた。
やがて京都方面のホームに着いた。
僕は点字ブロックとホームの端を確認してから彼にお礼を伝えた。
「頑張ってください。」
彼はそう言って僕から離れた。
そして数歩進んで振り返って笑いながら言った。
「頑張ってくださいは変ですよね。お気をつけて。」
彼の笑顔が僕の不安を飲み込んだ。
やっと平常心を取り戻したような気がした。
僕は右手でバイバイをしながらニヤリと笑った。
そしてありがとうとつぶやきながら京都行の電車に乗車した。
(2018年6月24日)
地震
故郷の鹿児島、佐賀、四国、関東、北海道、
いろいろな地域の方から安否確認の電話やメールを頂いた。
災害が起こったら目が見えない僕はどうしようもなくなる。
状況を目で確認できない。
逃げることもできないし助けを呼ぶことさえできないかもしれない。
その時は仕方がないという覚悟だけはある。
でもやっぱり生きていたい。
僕が助かるかどうかは助けてくださる人がいるかどうかということなのだろう。
大丈夫かと尋ねてくださる人がいる。
頑張れとメールをくださる人がいる。
心配でたまらなかったと言ってくださる人がいる。
声を聞いて涙がこぼれそうになったと伝えてくださる人がいる。
僕は幸せ者だと思う。
見えないことは受け止めた。
怖くはない。
近くに誰もいなくなること、
それはきっと耐えられないことなのだろう。
犠牲になった人達のご冥福を心から祈りたい。
(2018年6月21日)
中年男性
朝、桂駅でバスを降りたタイミングで声がかかった。
同世代だと思われる男性だった。
僕は彼の肘を借りて改札口まで歩いた。
改札口でありがとうカードを渡そうとしたら、
以前も貰ったとのことだったが強引にまた渡した。
改札口からはいつものように一人で電車に乗った。
ラッシュだったので入口の手すりをしっかりと掴んでいた。
やがて電車は目的地の烏丸駅に到着した。
電車から押し出されるようにホームに降りた。
点字ブロックに沿って歩き始めた。
誰かが僕の手をノックした。
「ありがとうございます。」
僕はすぐに肘を掴んだ。
改札口に到着して感謝を伝えた時、肘の持ち主が中年の男性だと判った。
タイミングが合わなくてありがとうカードは渡せなかった。
午前に専門学校、午後に大学、二つの仕事を終えて帰路に着いた。
京都駅で用事を済ませて地下鉄に乗った。
僕に気づいた男性がサポートしてくださった。
降車は大丈夫と説明して四条駅で電車を降りた。
ありがとうは伝えたけれど混んでいたのでありがとうカードは渡せなかった。
四条駅のホームを歩き始めたら男性が声をかけてくださった。
「お手伝いしましょうか?」
僕は烏丸駅から阪急電車に乗車予定と経路を説明した。
桂駅まで彼も同じだった。
僕達は友人みたいにして歩いた。
「会社でサポート研修を受けたことはあるけど、なかなか声はかけられなくてね。」
彼の実直さが伝わってきて心がほんのりした。
桂駅に到着してありがとうカードを渡して別れた。
今日は4人のサポーターと出会い、珍しく全員が中年男性だった。
バスターミナルまで一人で歩きながらしみじみとうれしくなった。
爽やかな不思議なうれしさだった。
僕もまだまだ頑張ろうと思った。
(2018年6月17日)
隅田川
視覚障害者全国大会の代表者会議の会場は浅草だった。
僕は早めに浅草に着いた。
浅草駅のホームの音楽は「花」だった。
どうしてだろうと思ってガイドさんにお尋ねしたら、
「春のうららの隅田川」の隅田川が近くを流れているからではとのことだった。
桜の季節には大勢の見物客が訪れるとのことだった。
僕は小一時間の自由時間を隅田川散策に使うことにした。
隅田川公園には勿論桜の花はなかったけれど、
たくさんのあじさいが咲いていた。
目が見えていたらここを歩くことはなかったかもしれない。
見えなくなって団体の役員をするようになったから
いわば義務感で訪れたようなものだ。
それでも心を動かす景色に出会うことはあるのだ。
特別な美意識に関わるものではない。
ただそこにあじさいの花が咲いていた。
数えきれないほどのあじさいの花だった。
色とりどりのあじさいの花だった。
雨上がりにやさしく濡れていた。
それを触る僕の心が豊かに落ち着いていた。
隅田川の川面を渡る風がそっと微笑んでくれた。
一瞬止まった時間が呼吸も止めた。
そして次に吸い込んだ空気は6月の空気だった。
それだけで幸せになった。
忘れられない風景を心のアルバムに残しておきたいと思った。
(2018年6月13日)
先輩の声
時々思い出しながら、なかなか声を聞く機会はなかった。
体調はどうですかと尋ねるタイミングも頻度もそれなりに気を使う。
電話の向こう側の先輩の声は明るかった。
お元気そうだった。
見たことはないのに先輩の笑顔を思い浮かべた。
一億人以上の数の人が暮らすこの国で、
人間が一生に出会えるのは一万人くらいだと聞いたことがある。
その中で心のやりとりまでできるのはどれくらいだろう。
運命ってあるのかもしれない。
先輩の笑顔を思い浮かべた僕も笑顔になった。
先輩が一日でも長く元気でいてくださるようにと自然に祈った。
深く祈った。
(2018年6月8日)
蛍の光
網膜色素変性症という病気は夜盲の症状を伴うことが多い。
夜盲というのは暗い状態、場所では光を感じることができないという症状だ。
一定の明るさ、量がないと光を認識できない。
網膜の光に対しての感度が鈍いということなのだろう。
夜は街頭の近くだけが見えていて、そこから少し離れると何も見えなくなった。
電気スタンドの下では文庫本の小さな文字も問題なかったが、
一度消すと何も見えない状態になった。
明るい場所から薄暗い喫茶店に入ったり、映画館に入った時なども大変だった。
月は見えていたのに星は見えなかった。
その頃はそれなりの工夫をしながら生活していたのだろう。
家族や友人達に助けられていたのは間違いない。
蛍が飛んでいると聞いてもそれは見えなかった。
ある時父ちゃんが蛍を一匹虫かごに入れてくれた。
見えるはずがないと思いながら暗い部屋で虫かごを見つめた。
じっと見つめた。
淡い薄黄緑色の光が強くなったり弱くなったりしているのが見えた。
見間違いではないかと思って幾度か繰り返した。
やっぱり見えた。
その美しさに呆然となった。
時を忘れて見入った。
それから蛍が飛び交うという場所を数回訪れたがだめだった。
それでも虫かごに入れてもらった蛍はやっぱり見えた。
蛍の季節になるとその淡い薄黄緑色の光が乱舞する映像を想像した。
つい先日も同じ街に住む友人から小川のほとりで蛍を見たと連絡があった。
あの頃と同じように淡い薄黄緑色の光の乱舞を想像した。
あの頃と同じようにうれしくなった。
いやひょっとしたらあの頃よりもうれしくなった。
伝えてくれる人がいるということが幸せなのだろう。
見せてやりたいと思ってくれた父ちゃんと同じなのかもしれない。
(2018年6月4日)
新しい傘
新しい折りたたみ傘を買った。
70センチの大きな傘だ。
普通の折りたたみ傘は50センチだからだいぶ大きい。
大きいのに思ったほど重くはない。
白杖を使っている僕は荷物はいつもリュックサックだ。
雨の日は右手に白杖、左手に傘という状態だ。
どうしてもリュックサックが濡れたりしてしまう。
歩きにくさもあって雨の日の外出は結構憂鬱だ。
今度の傘はリュックサックまでがすっぽりと入る。
色は深緑、雨の季節に似合いそうだ。
神様は早速雨の日をプレゼントしてくださった。
ワクワクしながら出かけた。
新しい長靴を買ってもらった少年時代を思い出した。
晴天の空をうらめしそうに眺めていた。
こんな年になって心はあの頃とあまり変わらない。
ウキウキしながら歩いてしまった。
心の中で歌まで歌ってしまった。
ピチピチジャブジャブランランラン。
白杖までがうれしそうに道をたたいた。
(2018年5月31日)