風景

鹿児島県阿久根市生まれの僕が初めて京都に行ったのは17歳の時、
鹿児島本線を走る夜行列車を利用してだった。
夕方阿久根を出発した列車は12時間以上かけて京都へ着いた。
大学生の頃の京都から阿久根への帰省は山陽新幹線を利用していた。
博多で鹿児島本線の特急列車に乗り換えて阿久根に向かった。
8時間くらいかかっていたような気がする。
それが今、新大阪と鹿児島中央の新幹線の所要時間は約4時間、
時代が変わってしまったという感じだ。
九州新幹線は早く走行するために鹿児島本線とはまったく違う場所を走っている。
直線的なルート設定のためにトンネルも多いらしい。
ただ全盲の僕には邪魔する映像はない。
新幹線が熊本を過ぎてしばらくすると僕はワクワクしてくる。
顔を右に向けて窓の方を見つめる。
九州新幹線を予約する時には進行方向右側の窓側の席を頼むことにしているのだが、
その理由はこの瞬間のためだ。
阿久根に近づく頃に見ていた風景が見事に蘇る。
海が少しずつ見え隠れしてから一気に広がっていく。
島々も白い波も小船も絵の中にある。
夕暮れ時には車窓がオレンジ色に染まる。
故郷がおかえりとささやいてくれる。
幸福感が僕を包む。
もう見ることはない。
淋しくないとは言わない。
見たいという思いを消し去ることもできない。
20年という時間は強がりもおとなしくさせてしまった。
でも幸福感は事実だ。
しみじみと事実だ。
そんな風景が記憶に残っていることがうれしいのだろう。
愛しているものを人は抱きしめて生きていくということなのかもしれない。
きっとまた次回も僕は右側の席を予約するのだろう。
(2018年8月9日)

一期一会

京都駅から乗車したバスはほぼ満員だった。
ボランティアさんは最後尾に空席を見つけて僕を案内してくれた。
そして僕を座らせるとそのままバックして降りていった。
わずかの時間の的確な対応だった。
座るとすぐに隣のご婦人が声をかけてくださった。
一部始終を見ておられたのだろう。
僕がまったく見えていないことを理解してくださったのだろう。
僕の手を取って前にあった手すりを触らせてくださった。
その何気ない所作が自然で美しく感じた。
僕は感謝を伝えながら京都在住の方か尋ねた。
箱根から茶道の研修に来ておられるとのことだった。
一泊二日で座禅もするとおっしゃった。
後期高齢者だとおっしゃっていたが、
言葉にも距離感にもそして所作にも品位があった。
外は記録的な暑さだったのだが、
僕達の空気は凛としていた。
四条大宮までのわずか20分程度の人生の交差、
豊かな気持ちになっていた。
こういうのを一期一会というのだろう。
見えない人生、見える人達よりもそのチャンスは多いのかもしれない。
(2018年8月7日)

花火大会

花火大会に出かける人達で電車は満員だった。
浴衣姿のカップル、笑い転げる子供、うちわで涼をとるおばあちゃん。
それぞれの夏が微笑んでいた。
少年時代の故郷の花火大会を思い出した。
父ちゃんに手を引かれて波止場まで見にいった。
母ちゃんは妹を抱っこしていた。
持参した茣蓙に座って夜空を眺めた。
海を渡る潮風が気持ちよかった。
当時の田舎の花火は打ち上げる数も規模も現代よりはとても貧弱だった。
もう終わったのかとざわめくタイミングで次が打ちあがるという感じだった。
それでも花火の美しさは脳裏に焼き付いた。
いつか花火が見れなくなるかもしれないということを、
あの時は誰も予想できなかった。
僕自身もできなかった。
それなのにそれを知っていたかのように記憶は鮮やかだ。
花火を見上げる四つの笑顔がやさしく輪になっている。
夜空には大輪の花火が開いている。
花火の音を聞きに出かけたくなった。
(2018年8月5日)

スマートフォン

最近の僕の首にはソニーのブルートゥースイヤホンがぶらさがっている。
右と左はコードでつながっていて、その中央をクリップで上着の首に止めている。
落っことさないための工夫だ。
バスに乗車して座れた時などはこれを耳に入れて音楽を聴くのだ。
スマートフォンを利用して聴いている。
スマートフォンとブルートゥースイヤホンはコードレスでつながっているのでとても
使いやすい。
スマートフォンには視覚障害者用のアクセシビリティが標準装備されている。
文字を音声にしてくれる。
画面が見えなくても一部の機能が使えるようになっているのだ。
時代の流れなのだろう。
ユーチューブで音楽を聴いたりラジオを聞いたりしている。
視覚障害者用のアプリもいろいろあって、
ちょっとした書類などは写真を撮影してスマートフォンの音声で読ませたりもしてい
る。
有難いことだと思う。
ただ電話は今までのガラケーだし、メールも従来のパソコンを使っている。
自分に合ったものだけを使うという感じだ。
今朝も荒井由実の飛行機雲を聴きながら仕事に出かけた。
音もとてもいいし臨場感も最高だ。
若い頃、ウォークマンでカセットテープの音楽を聴いていた。
それとほとんど同じ感じだ。
あの頃を再び手に入れたような気になっている。
車内放送も聞こえなければいけないし他のお客様の迷惑にもなりたくないので、
ボリュームは小さめにしてある。
画像的にはちょっと変なおじさんになっているのかもしれないが、
そこは全盲の特権で確認はできない。
見えないことをいいことに気にしないことにしてしまっている。
年輪を重ねてきた結果だろう。
勿論、バスを降りて歩き始める時にはちゃんとスイッチをオフにしています。
さすがに見えない聞こえないで歩くのは無茶ですからね。
(2018年8月1日)

雑踏の中で

いつものように点字ブロックに従って進んだ。
改札口で白杖が前の人に後ろからぶつかった。
「すみません。」
僕はすぐに謝った。
前の人は無言だった。
ゆっくりと歩いているしちょっと触れたくらいだから痛くはないと思う。
でもぶつかったのは僕なのだからいつも謝るようにしている。
一歩後ずさりして少し時間を置いてからまた進んだ。
またぶつかった。
僕はまた謝った。
やっぱり無言だった。
外国人なのかもしれないと思った。
三度目も同じだった。
「改札を通りたいのですが。」
僕はお願いした。
やっぱり無言だった。
僕に気づいてくれた駅員さんが通路を確保してくださった。
僕は改札を通り抜けて歩き始めた。
それから駅員さんは僕がぶつかった人に話しかけていた。
「どうしました?」
「地下鉄に乗り換えて京都駅へ行きたいのですが、この改札口でいいですか?」
声の主は利発そうな少女だった。
はっきりとしっかりと質問していた。
外国人でもなかったし聞こえない人でもなかった。
知らない人とは関わらないようにと教えられているのだろうか?
それとも白い杖を持ったサングラスのおじさんが怖かったのだろうか?
僕は何か不思議な気持ちになった。
少し寂しかった。
点字ブロックを確かめながら地下鉄の改札口に進んだ。
「松永さん!」
人込みの中で誰かが僕を呼んだ。
僕は立ち止った。
「今日はどこまでですか?」
僕はオープンキャンパスに向かう学校の名前を告げた。
「相変わらずお休みなしなのですね。未来のために頑張ってください。」
彼女はそれだけ言って立ち去った。
誰だったかも判らなかった。
「未来のために」というフレーズが僕の心の中でこだました。
白杖を握り直して背筋を伸ばして僕はまた歩き始めた。
(2018年7月29日)

歌の力

学校は夏休みでひと段落したはずなのだが、
仕事に追われている感じがある。
締め切りのある執筆の仕事も抱えているからだろう。
少しでもやらなければと時間を見つけてさわさわの二階の和室にこもった。
段取りはいいのだが元来のなまけものだからなかなか仕事はすすまない。
ふと階下から歌声が聞こえてきた。
BBの歌声だ。
BBは40歳代の男性、さわさわのスタッフの一人だ。
何故BBなのかは定かではないが皆がそう呼んでいる。
歌っていたのは長渕剛のマイセルフという歌だった。
堂々とそして一生懸命歌っているのが伝わってきた。
歌声がさわさわを包んだ。
僕の心もとてもうれしくなった。
立ちすくんで聞いてしまった。
聞き終わって、仕事頑張らなくちゃと思った。
うれしくなった。
(2018年7月25日)

見えない僕と聞こえない人と

京都市盲ろう者向け通訳・介助員養成講座が開催された。
僕は視覚障害を伝える講師ということで参加した。
視覚、聴覚、両方に障害がある人はとても少ない。
そのサポートなので受講生も少ない。
どちらの障害も正しく学び障害特性も理解しなければならないから大変だ。
受講生の半分は聴覚障害の人だった。
僕の話を手話通訳の方が通訳するという形で実施された。
僕は理解がスムーズになるようにポイントは板書した。
視覚障害とはどういう状態なのか、
どうしてなるのか、
何に困るのか、
現状を分析しながら説明した。
「人間は生きているから病気をしたりケガをしたりする。
その結果障害者になることがある。
誰もなりたくないのになってしまうことがある。
だからこそ、誰がなっても参加できる社会を構築することが人間の英知だと思う」
僕はいつものように当たり前のことを説明した。
そして、最後に、人間の生きる力の素晴らしさも付け加えた。
講座が終了して会場を出る時に、数人の聴覚障害の方と握手した。
聞こえない人に僕はありがとうございましたと声を出した。
その瞬間、僕の手は強く握られた。
そして見えないはずの僕に笑顔が見えた。
見えないよりも見えた方がいい。
聞こえないよりも聞こえた方がいい。
でもね。
見えなくても見えるものもあるんです。
聞こえなくても話せることもあるんです。
そして豊かな気持ちにもなれるんです。
(2018年7月23日)

38度

僕の平熱は35度台だ。
38度の気温ということは体温よりも2度以上高いということになる。
熱中症にならないようにしっかりと水分補給もしているので問題はないが、
歩きながらふと意識が飛ぶような感じにもなってしまう。
いつもはいろいろな音や匂いにアンテナを張っているのがそれどころではなくなるの
だろう。
まさに青息吐息で歩いている感じだ。
帽子をかぶったらとよく言われるのだが、
なんとなく不似合いそうな気がしてかぶる気にならない。
見えなくてもカッコつけなのだろう。
天気予報は明日は39度を予想している。
科学の進歩なのかこの予想が結構当たる。
僕が子供のころは履いてた靴を空中に放り投げて、
その裏表で一喜一憂していた。
予想できないことが幸せにつながることもあるのにな。
また明日も仕事で出かける。
とにかく「夏の暑さにも負けず」そういう人に僕はなりたい。
(2018年7月18日)

知るということ

酷暑の中の講座は大変だった。
教える方も学ぶ方も体力勝負だった。
無事終了してどちらもに笑顔が生まれた。
安堵感の笑顔だった。
二人の学生が講座の帰りに僕の買い物を手伝ってくれた。
将来病院の眼科で働こうと考えている学生達だ。
正しく知るということは凄いことなのだろう。
見えない人と会話さえしたことのなかった学生達がほぼ完璧に僕のサポートをした。
一緒に街を歩き電車やバスに乗車した。
スーパーマーケットでは僕の欲しい商品を見つけてそれを僕に触らせた。
賞味期限も値段も読んでくれた。
もうすぐ土用の丑という店内広告も教えてくれた。
ウナギ大好きの僕はついつい買ってしまった。
買い物が終わると持参したエコバッグに商品を詰めてくれた。
それからバス停に向かった。
丁度バスが到着していた。
僕たちは走った。
ギリギリ間に合った。
そこで学生達とはお別れだ。
僕はバスに乗り込んだ。
すぐに乗客の方が僕を座らせてくださった。
閉まりかけた乗り口から学生達の声が聞こえた。
「ありがとうございました。」
僕は顔をそちらに向けて手を振った。
学生達も笑顔で手を振った。
どこかで困っている僕の仲間を見かけたら、
きっと彼女達は声をかけてくれるだろう。
そう思うと僕はバスの中でまた笑顔になった。
(2018年7月16日)

セミの声

東京から帰ってきたのは22時だった。
シャワーを浴びてすぐに寝た。
寝たというよりもほとんど気を失ったというような感じだった。
気がついたら5時だった。
目覚ましを止めてもなかなか身体が動こうとしてくれなかった。
やっとベッドから立ち上がってまず栄養ドリンクを飲んだ。
おまじないみたいなものだ。
それから洗面と髭剃りとシャンプーが日課だ。
そこまで済んだら音楽を聴きながらコーヒータイム。
パソコンで今日の予定を再確認してしばしボォッとする。
このボォッが好きだ。
8時45分に学生と新大阪駅で待ち合わせをしている。
7時15分には出発して桂川駅へ向かった。
駅員さんに新大阪駅までのサポートを依頼した。
準備ができて駅員さんとホームに向かった。
「今日も暑くなりそうですよ。」
電車待ちの少しの時間、駅員さんが僕につぶやいた。
何気ない一言で身体の力が少し抜けて軽くなったように感じた。
今年初めてのセミの声に気づいた。
夏がきた。
(2018年7月12日)