秋色

雨上がりのせいかもしれない。
澄み切った空気が感じられる。
湿度と温度と風力とのバランスが絶妙なのだろう。
秋のマジックだ。
思いっきり顔を上に挙げて空を眺める。
根拠はないのだけれどやっぱり高い気がする。
無意識に深呼吸する。
突然17歳の頃の映像が蘇る。
色鮮やかな山道を無免許のバイクで駆け抜けた。
暴れ出しそうな心を織りなす色が包んでくれていたような気がする。
誰と行ったのか、どこだったのか憶えてはいない。
秋だったことだけは確かだ。
秋の中で生きていた。
失った色を求めることはしない。
でもほんの少し感じられる自分でいたい。
せっかくの秋だもの。
(2017年10月8日)

月見団子

中学校での講演の帰り道、
最寄りの駅まで先生が車で送ってくださった。
講演の感想や生徒達の様子などの会話の後、
月の話になった。
中秋の名月の翌日だったからだろう。
「松永さんは月見団子を食べましたか?」
先生は唐突に僕に尋ねた。
「名月は見ましたけど団子は食べてませんね。先生は食べたのですか?」
彼は昨夜のプライベイトの一場面を僕に紹介した。
小学校の娘さんと名月を見ながら団子を食べたとのことだった。
父親と娘の一場面はささやかな光の中にあった。
影絵のように僕の脳裏に浮かんだ。
それは柔らかな月光によく似合った。
車中には穏かな優しい空気が流れた。
「相手の表情が見えなくてコミュニケーションは大丈夫ですか?」
今日の中学生の質問の中にあったのを思い出した。
日常、表情が見えなくて困るということはない。
僕が鈍感ということもあるのかもしれないが、
人間同士はきっと見えないことを超えていく力を持っているのだろう。
人間ってなかなか素敵な生き物かもしれない。
(2017年10月6日)

久しぶりの休日、
音楽を聴きながらコーヒーを飲む。
昨日と同じイノダのインスタントなのに香りが豊かなような気がする。
いつも追いかけられている時間を後ろからぼんやりと眺める。
1時間ってこんなに長いのかと驚く。
ふと窓からの空気の流れで秋に気づく。
気づいたら切なさが胸に広がる。
この感じが好きだなぁ。
苦笑いを残ったコーヒーと一緒に飲み干す。
秋が始まった。
(2017年10月2日)

ドット

僕は桂駅からの最終バスによく乗車する。
これに乗り遅れるとタクシー代1,500円が吹っ飛んでいく。
見えない僕が慌てるのは危険だからと自分に言い聞かせてはいるが、
そんなにしょっちゅう乗るわけにもいかない。
僕と同じような気持ちの人が最終バスに駆け込んでくる。
そして途中で一人、二人と降りていかれる。
僕が降りるバス停は終点の二つ前だから、
いつも最後の数人の乗客の1人ということになる。
僕だけということもたまにはある。
京都のバス停にはだいたいテンジブロックが敷設されている。
バスは後方のドアから乗車するようになっていて、
運転手さんはそこをテンジブロックに合わせて停車してくださる。
僕の頭の中の地図はこの点字ブロックがスタート地点になっているので、
それがキャッチできないと帰る方向が判らない。
だからいつも降車してから白杖で点字ブロックを探すということをする。
アバウトの方向で動くのだから見つけるのに少し時間がかかることもある。
直接団地の入口に向かわないのだから見た目には少し変な動きだろう。
今夜も僕は最後の乗客だった。
バスが停車してから降車ドアに向かった。
「ドットに着けましたからね。今日もお疲れさまでした。」
運転手さんの言葉と、
僕のありがとうございますの言葉が交差した。
僕は意味が判らなかったのだけれどとにかくいつものようにバスを降りた。
降りた一歩目の足の裏でドットが微笑んだ。
点字ブロックのことだったのだ。
運転手さんはいつもの僕の動きをご存知だったのだろう。
僕は振り返って深くお辞儀をした。
空っぽのバスが終点に向かって走り出した。
僕は走り去るバスに向かって声を出した。
「今日もお疲れさまでした。ありがとうございました。」
言い終わってから目頭が熱くなった。
僕はすがすがしい気持ちで白杖をしっかりと握り直して家路についた。
(2017年9月28日)

曼珠沙華

「真っ赤な曼珠沙華が雨に濡れていました。」
「深紅の彼岸花が咲いていました。」
「白い彼岸花を見ましたよ。」
同じ日に3人の方から3通のメールが届いた。
京都在住の3人だった。
くしくも同じ日、僕も大阪の高校で彼岸花に出会った。
同行のボランティアさんが見つけてくれて僕は近くまでいって花を触った。
朱色の大きな彼岸花だった。
酷暑の夏でも冷夏でもカレンダーを見ているかのようにこの時期に咲くのはやっぱり
不思議だといつも思う。
子供の頃は怖い花だった。
お墓の近くに咲いていた。
ちぎったりしたら火事になると聞いていた。
あまり近づいたりせずに遠くから眺める花だった。
鮮やか過ぎる色には確かに神秘的な雰囲気が漂っていた。
美として受け止められるようになったのは大人になってからだろう。
曼珠沙華という名前がよく似合うと思えるようになった。
この時期になると会いたいと思う花となった。
3人の人達もきっとこの時期の花なのだろう。
だから見つけたことを僕に伝えてくださるのだろう。
同じ日に同じ花を見て何かを感じる。
なんとなくうれしい気分になった。
(2017年9月24日)

ピンクのガーベラ

食卓のグラスに生けられたピンクのガーベラを指先で触る。
触れるか触れないかくらいの感じでそっと触る。
花弁を確認しているとやさしさと一緒に命のみずみずしさも伝わってきた。
指先にカメラがあるような感じだ。
中心部が紫という説明でその画像を思い浮かべる。
自然と笑顔がこぼれる。
幸せなこの瞬間がまた新しい思い出になっていくのだろう。
見えなくなって流れた歳月、
画像はないのにいろいろな瞬間がアルバムに残っている。
ページをめくるごとに思い出が蘇る。
喜びや悲しみや苦しみや希望、
それが全部集まって僕の人生なのだろう。
まだまだ新しい写真を心のアルバムに貼っていきたい。
そして最後には豊かな人生だったとつぶやきながらアルバムを閉じたい。
(2017年9月21日)

シルバー割引

朝のバスの車内でFMを聴いていた。
音楽の合間などにいろいろな情報が発信されるのだが、
今朝はホテルのグルメランチの情報に興味を覚えた。
オードブルからデザートまで秋にふさわしいメニューだった。
ランチで5,500円、たまには自分へのご褒美にいいかなと思った。
最後にシルバーは500円引きという説明も付け加えられた。
僕がシルバーって何歳なのだろうと思ったのと60歳以上との説明がほぼ同時だった。
愕然とした。
自分をシルバーと思ったことはまだない。
割引好きの僕も行く気をなくした。
溜め息をつきながらバスを降りて仕事に向かった。
一日を終えて帰りのバスに乗車した。
結構込んでいた。
乗客の方が空いてる席を教えてくださって座った。
少し時間がかかってしまった。
運転手さんはバックミラーで一部始終を見ておられたのだろう。
僕が着席するタイミングでマイクでの放送が流れた。
「お兄さん、発車しますよ。」
僕は返事をした。
「大丈夫です。ありがとうございます。」
無意識にいつもより元気な快活な声になっていた。
まだまだシルバー割引は要りません!
でも、もう20年も自分の姿を見ていないので不安はあります。
(2017年9月17日)

好きな色

つくつくぼうしの鳴き声が夏の終わりを告げている。
コオロギも鳴き始めた。
朝夕の風もだいぶ涼しくなった。
秋の気配が忍び寄ってきている。
そんなことを感じながら小学校の福祉授業に向かった。
季節を感じたりした時、僕はふと空を眺めたりしてしまう。
一日に幾度か空を眺めている自分がいる。
徐に眺めるのはちょっと照れくさくて少しだけ上目遣いに眺めていることが多い。
「何色が好きですか?」
10歳の少女に尋ねられた。
僕は時々見てしまっている空の話をした。
子供達から水色とか青色とかのささやきが聞こえた。
僕は空色、海色と思った。
「何色が好きって尋ねる時、尋ねる人の心の中には見せてあげたいっていう気持ちが
あるらしいよ。」
僕は質問した少女にありがとうを伝えた。
(2017年9月14日)

表現

学生達と映画を鑑賞した。
ユニバーサル上映だった。
聴覚障碍者のために字幕がついていた。
視覚障害者のために副音声での場面説明がついていた。
見えないとか聞こえないとかの障害を越えて楽しむことができる映画だった。
家族の愛が基本的なテーマだったがいろいろと深い内容の映画だった。
場面によっては笑い声もあったが、すすり泣きも幾度も聞こえた。
僕も声は出さなかったがハンカチで流れる涙を拭うシーンもあった。
映画という表現にあらためて深い感動を覚えた。
映画が終わって会場を出て歩きながら、
「心が痛かったですね。」
サポートの学生がつぶやいた。
いつの間にか僕のボキャブラリーからは消えていた言葉だった。
僕にはできない的確な言葉の表現だった。
年齢を重ねて生き方上手になってしまったのかもしれない。
「心が痛い」とストレートに表現できる柔らかさをとても素敵だと感じた。
心の痛さから目を背けたりごまかしたりしている自分に気づいたように感じた。
うれしい時はうれしい、悲しい時は悲しい、苦しい時は苦しい。
素直に表現できる毎日を送りたい。
自分を見つめ直す一日となった。
(2017年9月10日)

新幹線の中で

講演を聞いてくださった人が他の人にも聞かせたいと思ってくださることがある。
そこには世代も性別も職業も関係はない。
ただ一人の人間としてのやさしさだけが連鎖していく。
不思議な連鎖だ。
ちっちゃなちっちゃなエネルギーが伝わっていく。
野を越え山を越え見知らぬ人に届いていく。
それがとってもささやかなのは知っている。
吹けば飛ぶような種類のものなのかもしれない。
でも僕は希望を持っている。
そのちっちゃなちっちゃなエネルギーは必ず未来に向かう。
何百年も先かもしれないが、
見える人と見えにくい人と見えない人が一緒に笑っている。
人間だからこそ創り上げられる未来だ。
考えただけでワクワクする。
いい年をしてって言われそうだけど、
今さら物わかりのいい賢者にもなれないだろう。
僕はこれでいいんだ。
今日も鹿児島の講演の帰りに新幹線の中でこれを書いている。
やさしさの連鎖は結局僕にまで届いた。
ちょっとお腹が空いた。
見えないからさっきのワゴンサービスを停めることはできなかった。
それでも僕はすっかり幸せ者になっている。
今日も出会ったやさしい人達、ありがとうございました!
(2017年9月7日)