寝苦しい夜、目が覚めてしまって困惑する。
なすすべもなく、いつの間にか人生を振り返ったりしてしまう。
僕はどうやって生きてきたのだろう。
僕はどこへ向かうのだろう。
何も判っていないことに気付いて呆然とする。
目を見開いて前を凝視する。
なんとなくそんなことをしてしまう。
今朝の当番のセミだろうか、
ソロで鳴き始める。
それを合図に合唱が始まった。
とにかく今日が始まった。
今日も生きていかなくちゃ。
そう思えたら心が落ち着いた。
今度生まれてくる時にはセミになりたい。
(2017年7月30日)
寝苦しい夜
温泉
僕の住んでいる団地の近くに温泉がある。
徒歩で10分くらいだろうか。
この近さなのに見えない僕にはとても遠い。
自宅でも出張先のホテルでも入浴に困ることはない。
ホテルではたまにボディソープやシャンプーやコンディッショナーの容器の見分けに
失敗するくらいだ。
これもほとんどは友人やホテルスタッフの目を借りて対応している。
教えてもらった時にシャンプーの容器に輪ゴムをかけたりしているのだ。
尋ねることを怠った時や輪ゴムを忘れて記憶で対応しようとした時に困るのだから、
目の問題ではなくて対応力の問題ということになる。
ところが温泉は目が必要だ。
構造も広さもいろいろあって他のお客さんもいらっしゃる。
しかも全員が裸なのだからそこを白杖で当たりながら移動するということはできない。
いつしか温泉は行けない場所となった。
仕方がないとあきらめている。
先日、目が見える後輩がその温泉に連れて行ってくれた。
5年くらい前に父ちゃんに連れて行ってもらって以来だった。
「やっぱり温泉は気持ちいいなぁ。」
湯船に足を延ばしながらつぶやいた。
つぶやいた言葉が生きていた頃の父ちゃんの言葉と重なった。
確かに父ちゃんもそうつぶやいていた。
それに気づいた瞬間に涙がこぼれた。
やっぱり温泉はいいなぁ。
幸せになった。
(2017年7月25日)
著者サイン
たまたまなのだが、一週間に二人の青年から同じ依頼があった。
「風になってください」への著者サインの依頼だ。
1人は広島県在住の青年で、
もう一人は大阪の高校生だった。
二人には接点はないから偶然ということになる。
僕のサインに価値があるとは思えない。
プレミアがつくこともないだろう。
「風になってください」は僕の思いを伝えるために書いた本だ。
見えない人も見えにくい人も見える人も、
皆が笑顔になれる社会を願って書いた。
若者達に届くような力があるとも思えないし、
これからの人生の羅針盤になるような種類のものでもない。
でも時々こういう依頼を受ける。
それが何を意味しているのかは僕には判らない。
間違いないことは、若者達は未来に関わっていくということだ。
いつものように心を込めて、いや無心になってサインをした。
(2017年7月21日)
聴覚障害
京都市盲ろう向け通訳者養成講座にお招きを受けた。
昨年に引き続いてのことだ。
「視覚障害の理解」というのが僕の担当科目だった。
主催者側にも受講生にも聴覚障害の方がおられた。
補聴器の方もおられたし、手話通訳者の通訳で学んでいる方もおられた。
僕はいつもより少しボリュームをあげゆっくりと話をした。
いつものことだけどそんなに難しい話はできない。
自分の体験も交えながら精一杯話をした。
僕の目の前はいつものようにグレー一色の状態、いつもより静かな会場、
不思議な空間だった。
最後に少し質問タイムがあった。
聴覚障害のある女性からの質問だった。
彼女の言葉は慣れない僕にはよく判らなかった。
手話通訳士の方が僕に内容を伝えた。
「駅のホームで落ちそうになっている視覚障害者と出会ったら、
突然腕をつかまえてもいいですか?」
当たり前のことだけど、言葉で伝えることは苦手でも彼女の手は普通に動くのだ。
自分にもできることをしたいという彼女の思いが感じられた。
それに反応したかのように、
「私も助けたい。」
今度は一般の方が発言された。
お二人には聴覚障害がある人とない人という違いはあった。
でもそれは関係なかった。
人間としてのきらめきは同じだった。
素敵だと思った。
僕はお二人に感謝を伝えて講座を締めくくった。
最後に司会の難聴の男性と握手をした。
僕達はそれぞれの人生をほんの一瞬振り返った。
そして笑った。
(2017年7月19日)
宵山
山鉾巡行の前日が宵山だ。
その前日を宵々山、前々日を宵々々山と呼んだりする。
この呼び方は正式ではないのだろうけれど山鉾巡行までの日程を知るには判りやすい。
祇園祭そのものは7月1日から一か月の期間で実施されるらしいが、
宵山や山鉾巡行の日が最も活気づく。
宵々山や宵山の夜、四条通が歩行者天国になる。
うだるような暑さの中を山や鉾をを巡りながら老若男女が歩く。
団扇や扇子を手にしながらコンチキチンの祇園ばやしを聞きながら歩く。
浴衣姿の人も多い。
外国人も多い。
車いすの人とも白杖の人ともすれ違ったとサポーターが教えてくれた。
数十年前には誰も予想しなかった光景だろう。
このまま歩き続ければ百年先はどうなっているのだろうか。
今の僕達では想像さえできない信じられないような笑顔が溢れる未来になればいいな。
コンチキチンはきっと変わらず引き継がれていくのだろう。
変わってはいけないものと変わらなくてはいけないものと、
それを決めていくのは今の僕達なのだ。
(2017年7月17日)
リュックサック
外出の際、右手にはいつも白杖がある。
だから使える手は左手だけということになる。
その左手は自由に使える状態にしておきたいから、
荷物は肩掛けカバンかリュックサックという人が多い。
僕はリュックサック派だ。
どこに行くにもリュックサックを背負っている。
毎日使うものだから愛着も大きい。
ポケットもたくさんあって機能的なのが好きだ。
歩いているのを周囲に知ってもらいたいから鈴もつけている。
他人にぶつからないためのひとつの方法だ。
リュックサックのどこに何が入っているかは手が憶えている。
例えば今日の中身は、
パソコン、500ミリのペットボトルのお茶、名刺、ハンコ、ボールペン、サインペン、
折りたたみ傘、予備の白杖、携帯ラジオ、ポケットティッシュ、エチケットブラシ、
櫛・・・。
そうそう、バスの中で席に座っていて、
膝に乗せていたリュックサックを背負おうとした時、
左から伸びてきた手がそっと手伝ってくれました。
性別も年齢も国籍も判っていません。
でもとってもやさしい手でした。
その思い出も今日のリュックサックには入っていました。
(2017年7月14日)
風になります
彼と初めて出会ったのは昨年の秋だった。
出会ったと言っても直接の接点があったわけではない。
彼がたまたま参加した研修で僕の講演を聞いてくれたのだ。
多くの参加者だったから直接の会話もなかったし名刺交換もしなかった。
ただそれだけだった。
講演を聞いた後、生徒達に話を聞かせたいと彼は思ってくれたらしい。
彼の職業は高校の教師だったのだ。
そして実現した。
千人を超す若者達が僕の話を聞いてくれた。
僕はいつものように心をこめて語りかけた。
画像のない向こう側に語りかけた。
未来に向かって語りかけた。
数日後に彼から届いたメールには
「風になります」と書かれてあった。
退場する時の若者達の大きな拍手が蘇った。
あの中から僕達をサポートしてくれる人がきっと出るだろう。
見えない目から涙がこぼれた。
僕と彼との間には血縁はない。
共に過ごした時間もない。
ただ偶然人生がほんの一瞬交差しただけだった。
ただそれだけで人間は動けるのだ。
自分自身の利益にならないことで人間は動けるのだ。
人間と言う生き物の凄さに胸が震えるような思いになった。
(2017年7月9日)
さりげなく
鹿児島では一週間で合計一万歩も歩かなかったが、
帰京後初日の今日は一日で一万歩を越えた。
8時過ぎには自宅を出て、バスや電車を乗り継いで福祉の専門学校に向かった。
午前中の講義を済ませて京都駅へ移動した。
昼食をとりながら関係者と打ち合わせをした。
午後は大学の授業の一環で施設見学に向かった。
終了後は学生達と一緒に食事をした。
河原町に着いたら19時だった。
さすがに草臥れていた。
同じ方向に帰る学生と一緒に電車に乗った。
彼女は空いている席を見つけて僕を座らせた。
「横に座ります。」
僕が安心するように自分の居場所を伝えながら横に座った。
先生と生徒という関係、当たり障りのない会話をした。
桂駅に着くと彼女はわざわざ電車を降りて僕を手引きしながらホームを移動した。
ホームから落ちることのない階段の上り口に着くと
「失礼します。」
それだけを言い残して帰っていった。
彼女は再度電車に乗り、そこからの1時間を立ったまま過ごさなくてはいけない。
一駅くらいならまだしも終点近くまでの長い時間だ。
僕のサポートをしなかったら座ったまま帰れるのだ。
電車の中で別れても不自然ではないのに彼女はそうはしなかった。
さりげなくそうはしなかった。
彼女と別れてから1人でバスターミナルに向かって歩いた。
いつものように点字ブロックを白杖で確認しながら歩いた。
いつものように画像のない道を歩いた。
身体は疲れているはずなのに心は軽かった。
スキップで帰りたいような気分だった。
こんな学生達と出会えるということも僕の幸せのひとつかもしれない。
(2017年7月7日)
お知らせ 過去のブログ
ブログを読んでくださってありがとうございます。
過去の作品も読みたいというメッセージが複数届きました。
そこでホームページ管理者と相談して、
過去一年分を閲覧できるようにしました。
お楽しみください。
新作も引き続き宜しくお願い致します。
夏の始まり
僕は同窓生の車でとっておきの場所に向かった。
記憶の地図がナビゲーションだった。
車は国道3号線から細い道に入った。
山間の路地を進み小さな集落を越えたところで車は停まった。
昨年のドライブでたまたま見つけた場所だ。
僕達の秘密基地だ。
ドアを開けた瞬間に磯の香がした。
しっかりとした香りだった。
彼女達のエスコートで岩場を少し進んだ。
波の音だけがそこにはあった。
他の音は何もなかった。
僕はそんな筈はないと耳を澄ませたがやっぱり他の音は存在しなかった。
こんな空間が阿久根にはまだあるのだ。
岩場にあたる波がいろいろな音を生み出していた。
無音の中での海のささやきはそれだけで僕のDNAを幸せに導いた。
風も陽光もやさしかった。
帰ろうと振り返ったら彼女達の微笑みがあった。
素敵な笑顔だった。
夏が始まった。
(2017年7月2日)