カンカン照りの昼下がり、僕はバス停の点字ブロックの上に立っていた。
暑いというよりも熱いという感覚で真夏の太陽を感じていた。
首筋から汗が流れていた。
時刻表を見れない僕は早くバスが到着してくれればと願いながら立っていた。
わずかの時間の流れかもしれないのに長い時間が過ぎたように感じていた。
ハンカチで拭いても拭いても汗は流れた。
「こちらに来たらましですよ。」
突然おじいさんが僕の腕をつかんでゆっくりと引っ張った。
数歩動いた場所にバス停の屋根の日陰があった。
日なたとは比較にならないほど涼しく感じた。
気温も数度は低いのだろう。
日なたでは感じなかった微風にも気づいた。
僕がバス停に着いてからの数分間、何も音は聞こえなかった。
だから、僕以外にバス停に人がいるのかさえも判らなかった。
おじいさんが声をかけようと思ってから実際にかけるまで数分間を要したということ
になるのかもしれない。
見るに見かねて声をかけてくださったのかもしれない。
「この暑さはたまりませんなぁ。」
日陰で並んだ僕におっしゃった。
「うれしいです。ありがとうございます。」
僕が答えた後、返事はなかった。
それはそうだろう、会話としては成り立ってはいない。
それからまた、しばらくのバス待ちの時間が流れた。
「バスが来ましたよ。先に乗ってください。」
おじいさんはおっしゃった。
その口調から僕の気持ちが通じていたのが判った。
「ありがとうございます。」
僕は再度お礼を言っていい気分でバスに乗車した。
光が確認できない僕の目は陰を見つけることはできない。
でもやさしさを見つけるのは見えていた頃よりはるかに上手になった。
幸せ探しが上手になったのかもしれない。
(8月13日)

あぶり餅

真夏の昼下がり、茶屋の軒先の腰掛に腰をおろす。
うだるような暑さがのしかかっている。
呼吸をするだけで汗が流れる。
炭火で餅を焼く匂いが微かに漂っている。
ちょっとだけ味わえればいいから二人で一皿だけ注文する。
待っている間にも汗がしたたり落ちる。
風鈴がほんの少しだけささやいてまたすぐに黙りこくる。
しばらくして注文したあぶり餅が運ばれてくる。
小指の先ほどの大きさの餅が竹串の先に丸めてある。
手渡してもらった一本をそっと口に入れる。
焼いた餅の香ばしさと白味噌のたれが絶妙な一品だ。
兼ね備えた素朴さと上品さは時代の流れの中でも変わることを拒んだのだろう。
満足してお番茶をすすり、それから汗を拭いた。
暑い夏、これはこれでいいのだと感じた。
(8月9日)

竹林の風

大学時代の友人と再会して一緒に歩いた。
大徳寺の境内のでこぼこの石畳の上を歩いた。
蝉しぐれの中を汗をかきながら歩いた。
目が見えなくなっている僕は彼女の肘を持たせてもらって歩いた。
35年前も幾度か一緒に歩いたけれど、
その頃は見えていたのでその必要はなかった。
だから彼女のサポートで歩くのは初めてということになる。
初めてのはずなのに僕達は何の問題もなく歩いた。
学生時代の思い出を語りながら笑いながら歩いた。
彼女はガイドヘルプの専門家でもないし経験が豊富なわけでもない。
それなのに僕達はスイスイと歩いた。
竹林の陰に座れる場所を見つけた彼女は僕をそこに誘導した。
ハンカチを敷いて僕をそこに座らせた。
それから汗を拭くようにと冷却シートを手渡した。
僕が汗を拭いている間に、
凍らせてきたというスポーツドリンクをコップに準備していた。
セピア色の記憶が少しずつ色を取り戻していった。
ドリンクを飲み干してコップを返す時には、
はにかんで笑う澄んだ目の彼女の顔がそこにあった。
大学時代の顔だった。
見えない僕と彼女とどちらが得をしているのだろう。
どっちもかな。
「私、100歳まで生きるつもりなの。」
彼女がつぶやいた時、ささやかな風が竹林を通り抜けた。
ささやかに生きてこれたこと、ささやかに今を生きていること、
それが幸せだということを35年前には知らなかった。
僕も100歳まで生きたいなと思った。
(8月5日)

ぬくもり

朝8時の桂駅。
夏休みで通学の学生は少ないはずなのだが、
やっぱりホームは込んでいた。
僕は慎重に点字ブロックを探し、そしてゆっくりと移動した。
間もなく特急電車が入ってくる。
ドアが開いて降りる乗客がいなくなったタイミングで、
他の乗客の迷惑にもならないように乗車しなければならない。
停車時間は30秒程度だろうか。
もう何千回も成功している。
失敗はゼロだ。
それなのに毎回緊張する。
失敗が何を意味するかを理解しているからだろう。
時々駅員さんや他の乗客が声をかけてくださったりする。
でも何もない日もある。
乗車したらすぐに入口の手すりをつかむ。
そしてほっとする。
この時間帯に座れることはほとんどない。
最初からあきらめている。
今日はサポートの声がないどころか、誰かの足に白杖が当たったりして大変だった。
電車が烏丸に到着して地下鉄へ向かう時も大変だった。
そんな日の僕はいつもよりスピードを落とし白杖も身体の近くに引き寄せて歩く。
心の中で無事を祈りながら歩く。
地下鉄に乗車した時には結構疲れていた。
手すりを握ろうとした瞬間、
「お座りになられますか?」
僕の右の端っこの席からご婦人の声がした。
「ありがとうございます。助かります。」
僕はそう言いながら座った。
思いがけないプレゼントをいただいたような気分だった。
すぐに胸ポケットのありがとうカードを渡したいと思ったが、
そのご婦人がどこに移られたかが判らなかった。
電車が九条駅に着いた時、
「お気をつけて。」
さきほどのご婦人の声が隣の席から聞こえてきた。
隣にいらっしゃったのだ。
僕は咄嗟にありがとうカードを渡した。
そして再度お礼を言った。
「頂けるのですか?大事にしますね。」
ご婦人はそう言って降りていかれた。
「大事にしますね。」
ぬくもりのある言葉だった。
こういうことがあるから僕は一人歩きをやめられないのだろう。
見えなくて歩くしんどさ、恐怖心、否定はしない。
でも、だからこそ、人間のぬくもりに幸せを感じてしまうのだろう。
損得も利害もないところで、
人間は誰かを助けたりできる素敵な生き物なのだ。
(2016年8月1日)

ラムネ色の空

年に数回だけ彼女は僕の仕事の手伝いをしてくれる。
自分の仕事が休みで、僕が必要としているタイミングの時だ。
まさにボランティアだ。
彼女は視覚障害者ガイドヘルパーという資格も持っている。
だからサポート技術は高くて僕も歩きやすい。
何よりも僕が静かに歩くのが好きということをよく知っていて、
歩いている時には彼女からはめったに話しかけてこない。
危険な場所などで注意を喚起したり立ち止まった時に理由を教えてくれるくらいで、
それ以外はほとんど無言で歩いている。
黙々と歩いている。
まさに目だけを借りて歩いているという感じだ。
今回も久しぶりのボランティアをお願いし地元の駅に帰り着いた。
バス停に向かう歩道橋を歩きながら、珍しく彼女は僕に話しかけた。
いや小さな声だったから独り言だったのかもしれない。
「ラムネ色の空です。」
突然の情報に僕の足は止まった。
僕はしみじみと空を眺めたがラムネ色の空を想像は出来なかった。
でもきっと美しい空なんだろうと思ったら、
想像はできないのに何故かとてもうれしくなった。
見えなくても判らなくても伝わるものもあるのだ。
(2016年7月30日)

出勤

早朝からエアコンのよく効いているバスに乗車する。
通勤時間帯には少し早いせいか乗客も多い雰囲気ではない。
静寂の中で少し眠気も引きずりながらバスは駅へと急ぐ。
バスが停留所に停車し前後のドアが開く。
乗客の足音よりも早いスピード、大きな音でセミの大合唱の声が聞こえてくる。
乱入してくるという感じだ。
「夏。」
一瞬その単語だけが脳裏に浮かぶ。
ドアが閉まるとそれまでの静寂が戻る。
何事もなかったようにバスは走り始める。
次の停留所に着くとまた同じことを繰り返す。
画像のない僕に夏はしっかりと自己主張をする。
いかにも元気な夏らしいなと微笑んでしまう。
バスが駅に着く頃には僕もすっかり出勤モードになっている。
バスを降りるともう一度セミの大合唱に耳を澄ます。
夏の朝の始まりの中に生きている僕を確認する。
それからおもむろに白杖を握り直して歩き始める。
(2016年7月25日)

10年ぶり

桂駅から烏丸へ向かう特急電車に乗車した。
いつもだいたい込んでいる。
ひょっとしたらどこか空いてる席もあるかもしれないのだけれど、
僕には探すことはできない。
入口の手すりを持って立っているのが日常だ。
所要時間は10分程度だから苦にはならない。
見えないから座れないと思うのは悔しいから、
健康増進にいいと自分に言い聞かせて立っている。
もうちょっと老けたらサポートの声も多くなるかもしれない。
自分の容姿は39歳までしか見ていない。
その頃の記憶はほとんどない。
鏡を見る習慣もなかったし、それどころではなかったのかもしれない。
親のアルバムに貼ってあった小学校低学年の頃の写真は憶えている。
我ながら可愛らしい男の子だった。
小さい頃可愛い子は大人になると不細工になると聞いたことがあるが、
そのたぐいだったのかもしれない。
若い頃、容姿を褒められたことは一度もなかった。
「イケメン」なんて単語もなかったし自分自身の興味もなかったのだろう。
だから今でも自分の容姿に興味はないのだけれど、
視覚情報がないせいでの変は避けたいという気持ちは大きい。
顔や衣服に汚れが付着したまま歩いているというのは自分でも嫌なのだ。
知り合いのボランティアさん達にもその時は教えてねと頼んでいる。
自然に社会に溶け込みたいと思っているということだろう。
漠然とそんなことを思いながら立っていたら、
「松永さん、お久しぶりです。宮川です。」
懐かしい男性の声がした。
子供さんが小学校3年生ということは10年ぶりくらいの再会かもしれない。
僕と途中までの経路が同じと確認した彼は、
「途中までサポートします。どうぞ肘を持ってください。」
10年前と同じように申し出てくれた。
「声はちょっとオッサンになりましたね。」
僕は笑いながら彼の肘を持って歩いた。
改札口で御礼を言って別れた時、
彼の笑顔の爽やかさは変わってないなと思った。
爽やかな中年男性、素敵だなと感じた。
僕も爽やかなおじいさんになれるように頑張ろう。
(2016年7月22日)

梅雨明け

祇園祭の頃に雷がとどろいて雨が激しく降れば梅雨が明ける。
コンチキチンの音色と共に盆地特有のうだるような京都の夏が始まる。
京都で暮らし始めた頃、近くにあったお好み焼き屋のおばあちゃんが教えてくれた。
もう40年くらい前の思い出だ。
確かに毎年、だいたいそんな感じで夏は始まった。
だから今年もそろそろだなと思っていた。
今朝歩きながらセミの大合唱に気づいた。
僕は確信を持った。
夏が始まった。
夕方帰宅してニュースを聞いたら、
近畿地方の梅雨が明けたらしいとのことだった。
僕はニヤリとしながら麦茶を飲みほした。
(2016年7月18日)

記念写真

講座の中での僕は厳しいとよく言われる。
若い学生達が対象の場合など語気を強めたりするのも珍しくない。
特別に厳しくしなければとは思っていないし効果的だとも思わない。
穏かな時間の中でしっかりと伝えられればそれが一番いい。
僕自身の力量が不足しているのかもしれない。
ただなかなか伝えられない時に、
いろいろな学生がいるからと簡単にあきらめることはできない。
仕事だからと割り切ることもしたくない。
いつも真剣に必死になっている僕がいる。
未来を託そうとしているのかもしれない。
裏返せば、未来はまだまだ遥か遠くということになるのだ。
見える人も見えない人も見えにくい人も、
皆が笑顔で参加できる社会、
一歩でもそこに近づきたいと思っている。
そのために活動している。
三日間の講座を終えて会場を出ようとした時、
「一緒に記念写真を撮ってください。」
学生達が僕を取り囲んだ。
僕は笑顔でカメラの方角に視線を向けた。
撮影された記念写真を僕が見ることはない。
それを理解したうえで一緒に写ろうと言えるようになった学生達、
僕と一緒にそれぞれの笑顔でカメラを見つめられた学生達、
僕はとてもうれしく感じた。
成長してくれたのだなと感じた。
僕達が一緒に見つめたカメラの向こう側に、
きっと未来が輝いている。
(2016年7月15日)

いとしのエリー

さわさわ宛に届いた手紙の差出人、
旧姓も書いてあったがすぐには思い出せなかった。
封を開けてスタッフに代読を頼んだ。
スタッフが読み進めるにつれてセピア色の記憶が蘇ってきた。
大学時代の友人からのものだった。
控えめな彼女の笑顔までが蘇った。
誠実さが伝わってくる文面だった。
ラジオから流れてきた「いとしのエリー」を聴いて僕を思い出してくれたらしい。
気まぐれにインターネットで僕の名前を検索して
手紙の送り先のさわさわも見つけたようだった。
便利な世の中なんだなとあらためて実感したし、
パソコン力の低い僕は自分でひとつひとつを確認できないので、
僕がどんな風に紹介されているのかちょっと不安にもなった。
僕の話し方がすっかり関西人になったとも書いてあったということは、
どこかに僕の声までも公開されているのだろう。
恥ずかしさはあるけれど、
インターネットが37年ぶりの彼女とのつながりのきっかけとなったとすれば、
それはそれで有難いことなのだろう。
彼女の記憶では「いとしのエリー」が僕の下宿でよく流れていたらしい。
確かに青春時代の思い出の一曲だ。
薄汚れた三畳一間で過ごした大学生活、
いつもそこには好きな音楽があった。
貧しかったけれど豊かな時間ではあった。
いくつかのレコードのジャケットまでを記憶している。
あの頃の僕は目が見えていたのだ。
今の自分を不幸だとは思わないけれど、
あの頃見ることができていたのはやっぱり有難いと感じる。
今度休みが取れたら、
白杖をしっかりと握ってあの頃の彼女に会いに行こう。
あの頃の僕のまま会いに行こう。
(2016年7月12日)