ドラッグストアで買い物をしていたら、
背中越しに娘さんとお母さんらしき人のヒソヒソ声が聞こえてきた。
僕は気にも留めずに目的の栄養ドリンクを探していた。
「さっきから松永さんの方を見ておられますよ。お知り合いではないですか?」
隣にいたガイドさんが僕に伝えてくれた。
僕が振り返るとお母さんらしき人が話し始めた。
「松永さんですね。娘から話を聞いていました。
学校から帰ってきてたくさん話してくれました。」
内容まではおっしゃらなかったが十分に意味は伝わってきた。
それからその娘さんが学校名と氏名を名乗った。
確かに僕が福祉授業で訪ねた学校だった。
うれしそうな声だった。
「憶えていてくれて、声をかけてくれたんだね。ありがとう。」
僕はリュックサックから点字の名刺を取り出して彼女にプレゼントした。
福祉授業や講演で学校に行った時、
僕は子供達に心をこめて話をする。
一生懸命話をする。
そしてそれを受け止めてくれた子供達が家族に伝えてくれることがある。
子供から話を聞いたというお母さんやお父さんに時々出会う。
伝える力、小さな力かもしれないけれどきっと未来につながっていく。
別れ際のお母さんと娘さんの笑顔が今日もそれを教えてくれていたようだった。
(2016年11月28日)
お母さんと娘さん
枯葉
カラカラコロコロ、
枯葉が笑いながら駆けて行く。
一斉にちょっと休憩して、また突然走り出す。
へこたれずに、あきらめずに駆けて行く。
追っかけてくる北風に負けないように駆けて行く。
抜きつ抜かれつのいいレースだ。
その脚力にそのファイトに心の中でそっと拍手をおくる。
白杖の僕は走れないけれど、
頑張って歩こうと自分に言い聞かす。
そして枯葉の音を聞きながら、もうすぐ冬がくるのだと実感する。
(2016年11月24日)
中国人
阪急大宮駅は地下にあるのだけれどとても古い駅だ。
ホームには大きな柱が数本立っている。
点字ブロックギリギリにあるのだけれど、
これは移設できるようなものではないので仕方ない。
僕は白杖でその柱を確認すると内側に回り込む。
線路側はとても狭いので危険だし歩くのも怖い。
僕は白杖で柱を確認しているのだけれど、
見える人からすればぶつかっているように見えてしまうことも時々あるようだ。
今日も柱に白杖が当たった瞬間、誰かが僕の左手に自分の右手を回した。
そして無言で歩き出した。
しばらく歩いてからその人は短い言葉で語りかけた。
「イス、すわる?」
女性の声だった。
「はい、ありがとうございます。」
答えた僕を彼女はイスまで案内してくれた。
アナウンスが電車の接近を教えてくれたので僕はイスから立って歩き出した。
すると先程の彼女がまた僕と腕を組んだ。
ずっと横にいてくれたのだった。
「どこ行く?」
今度はその語り口で彼女が日本人でないことが判った。
「桂までです。貴女は?」
彼女は西院までだった。
僕達は一緒に電車に乗車した。
「私、次おりる。ごめんなさい。」
彼女はそう言いながら僕の手を手すりに誘導した。
先に降りることを申し訳なく思っていてくれることが伝わってきた。
ただの通りすがりの視覚障害の男性、
しかも言葉も的確にキャッチボールはできない状況、
それなのに僕を手伝おうとしてくださっている。
僕は手すりをつかんで、反対の手を彼女に差し出した。
「私、中国人。」
彼女は握手をしながら笑った。
「ありがとう。」
僕も笑った。
言葉があったら伝わりやすい。
でも言葉がなくても伝わることもある。
言葉がいらないこともある。
(2016年11月20日)
落ち葉
小春日和のぬくもりの道、
白杖を左右に振りながらのんびり歩く。
日常は空を眺めながら歩くことが多いのだけれど、
この季節はつい白杖の先や足の裏に神経が注がれる。
白杖の先で聞こえる落ち葉の音、
落ち葉を踏みしめた時の柔らかな感触、
ただそれに気づくだけでちょっと幸せな気分になる。
のどかな時間をそよ風がゆっくり運ぶ。
足元でささやく秋にありがとうって言いたくなる。
今、生かされている命に自然に感謝する。
一日一日を大切に暮らしていきたい。
(2016年11月16日)
秋色の街
僕は彼女の名前を知らない。
勿論、顔も知らない。
どこに住んでおられるのかもしらない。
これまで何度出会ったかも定かではない。
知っていることと言えば、
コーラスが趣味で週に数回練習に行っておられるということ、
敬老乗車証を利用してバスを乗り継いで移動しておられるということ、
植物の名前などをよくご存知だということくらいだ。
同じバス停で出会うということはきっとご近所なのだろう。
バス停でバス待ちをしている僕に躊躇せずに挨拶をしてくださるということは、
彼女にとったら僕はすっかり隣人ということなのかもしれない。
バスが到着するまでの彼女との数分間、
それはまるで美味しいモーニングコーヒーを飲んでいるような時間だ。
「街路樹がだいぶ色づいてきましたよ。」
そんな言葉で今朝の会話は始まった。
バス停のある通りはハゼの木が植えられていて真っ赤になるのだそうだ。
僕が20年くらい前まで見えていたことを伝えると、
彼女の説明は延長された。
一つ目の信号を曲がると次の通りはイチョウの木とけやきの木らしい。
けやきの木は赤や黄色になるということは僕も知っている。
イチョウは黄金色を思い出す。
そしてまた次の大通りを曲がると、
街路樹に常緑樹も混ざってグラデーションが美しいらしい。
僕の頭の中で秋の街が赤や黄色に彩られていく。
僕の目線は無意識に空に向かう。
透き通るような空に秋の色と形がよく映える。
「でも素敵な季節は短くて人生と同じ。」
彼女が微笑む。
いいタイミングでバスが到着する。
彼女は僕と同じバスに後ろから乗り込みながら、
「行ってらっしゃい。」
小声でささやいてくださる。
「ありがとうございます。」
僕は大きな声で返事をしながら乗車する。
きっと素敵な一日になるだろうという予感を乗せて、
秋の朝のバスは動き始める。
(2016年11月12日)
アクセス数
僕の記憶力のなさは仲間内では笑い話になるくらいだ。
見えている頃はもうちょっとましだったような気もしているけど、
目とはあまり関係ないような気もする。
見えない人は記憶力が発達すると聞いたこともあったが、
僕にはあてはまらないようだ。
ふてくされるつもりはないけれど、すっかりあきらめている。
特に人名や数字は記憶できない。
昔のことは記憶しているので認知症の疑いがないわけでもない。
それでも日常はなんとかなっているから不思議だ。
パソコンも苦手でメールだけが僕にできることだ。
それでブログは大丈夫なのだ。
アクセス数がどうなっているかなどは判っていない。
あまり気にしていないということもあるのだろう。
ホームページをスタートしたのはいつだったのだろう。
閲覧数が1万に達したのは2012年10月だった。
40万を超えたということは4年間で39万人もの方が見られたということになる。
ちなみに、20万から30万に11ヶ月かかった。
今回30万から40万は9ヵ月だった。
時間が短くなるのは分母の広がりだ。
少しつつ、そして確実に広がっているのだ。
数字を記憶できない僕がこういう分析ができるのは、
これもまた読んでくださっている人からの情報だ。
いろいろな方法で応援してくださっているということだろう。
とにかく有難いことだ。
40万のお知らせと分析のメールの最後にはエールの言葉があった。
「心と心が共鳴する力って凄いですね!ますますのご活躍を。
そして健康を祈りつつ、私も負けずに頑張ります。」
同世代の男性が書いてくれているのがうれしい。
人間っていいものです。
50万を目指して頑張ります。
(2016年11月9日)
EMS
ラジオのスイッチを切って深呼吸した。
ふと昔見た戦争映画の一場面を思い出した。
ぬるま湯の平和の中で生きている僕にとっては、
ラジオから流れる戦争やテロのニュースはやはり他人事なのだろう。
そんな自分を嘲笑いながらコーヒーを飲んだらとても不味かった。
ちょっと俯き加減でパソコンに向かった。
アメリカに住んでいる友人からのメールが届いていた。
ほんの少し救われたような気がした。
僕と彼女はEMSの活動で知り合った。
EMSというのはフィリピンのセブのストリートチルドレンを支援している団体だ。
僕も少しだけ協力している。
この季節になれば子供達に送るクリスマスカードの相談のメールが毎年届くのだ。
僕は日常たくさんの人の支援を受けている。
僕の生活には「ありがとうございます。」という言葉がいつもある。
「ありがとうございます。」という言葉は僕を幸せにしてくれている。
口に出しても耳で聞いても同じ幸せだから不思議だ。
この幸せは一人占めしないで分けなければいけないような気がしている。
その方法がこういう活動への参加なのかもしれない。
クリスマスになればセブの子供からのカードも僕に届く。
それを読んだ僕はまた幸せな気分になる。
そしてその時必ず平和を願っている。
不味いコーヒーが多い方がおられたらどうぞ、参加してみてください。
10でリンクしています。
(2016年11月7日)
バターサンド
北海道の友達が送ってくれた六花亭のバターサンド、
僕の大好物だ。
一口かじると芳醇が口中に広がる。
それからゆっくりとコーヒーを飲む。
バターサンドの控えめな甘さをコーヒーのほろ苦さが伝えてくれる。
いやコーヒーのほろ苦さをバターサンドが教えてくれているのかもしれない。
とにかく絶妙のコンビネーションだ。
食べ終わってしばらく耳以外は休憩時間。
ラジオから流れるユーミンの音楽に身をゆだねる。
味覚がリセットされたところでまたかじる。
そしてまたコーヒーをすする。
単純な動作を繰り返しながら幸せな気持ちが膨らんでいく。
ふと中学校の生徒の質問を思い出した。
「目が見えないのにどうして明るいのですか?」
人間はきっといつも自分でありたいのだろう。
見えても見えなくても変わらない自分なのだ。
「目が見えない以外は普通のオッサンだからだよ。」
僕はそう答えて笑った。
(2016年11月3日)
三回忌
まだたった2年なのか、
もう2年もたったのか、
僕の心はいつまでも右往左往している。
間違いのない事実はもう会えないということだ。
病室で息をしなくなった父ちゃん、葬祭場へ向かう車中、
最後に一緒に過ごした通夜の時間、葬儀場で白骨になった父ちゃん、
その時期の何もかもが記憶に残っている。
画像はないはずなのに自分でも驚くほどの明瞭な記憶だ。
三回忌を迎え、仏壇には仏花やお菓子が備えられている。
ご住職の読経の声とお線香の香りが流れる中で僕は静かに合掌する。
僕の人生の残り時間もあの日から2年少なくなったのだろう。
そういうことを考えるようになった。
いつか人生が終わった時に来世で再会できるとはなかなか思えないが、
でももし本当に会えるなら父ちゃんの顔を見れるかもしれない。
夢は夢で大切にしたいな。
とにかく残りの時間を精一杯生きていきたい。
(2016年11月2日)
報道
北大路駅から地下鉄に乗車した。
乗り込んだらすぐに若い女性が空いてる席に案内してくださった。
僕は感謝を伝えて座った。
四条駅までのひとときをのんびりと過ごした。
わずかな時間だったが安全で安心なひとときだった。
座れるってうれしいなとしみじみと感じていた。
電車が四条駅に到着しホームに降り立った。
その瞬間何故か方向を見失った。
数えきれないほど利用している駅なのだが、
点字ブロックをどちらに進めばいいかが判らなくなった。
年に一度くらいはあることなので対処方法はマスターしている。
動かないこと、
慌てないこと、
気持ちを落ち着かせること、
ゆっくりと音を確認すること、
それでも判らない時は通行人に尋ねること、
それが危険から遠ざかる方法だ。
僕はマニュアル通りに深呼吸をしてから音を聞き始めた。
「何かお手伝いしましょうか?」
突然、若い男性の声がした。
「方向が判らなくなってしまって音を聞いていました。
助かります。阪急へ乗り換える改札口を教えてください。」
彼はサポートを引き受けてくれた。
彼の肘を持った瞬間、安心が僕を包んだ。
階段を上り改札口を出て阪急のホームまで、
僕達は話しながら歩いた。
彼は大学生でアルバイトに向かう途中だった。
「ホームから転落された視覚障害者のニュースを見ました。」
彼はポツリと言った。
その報道が彼の背中を押したのだろう。
別れ際に僕は彼に感謝を伝えた。
「声をかけてくれる人が増えれば転落事故はきっと少なくなります。
ありがとうございました。」
「どういたしまして。」
彼の返事の声がうれしそうに聞こえた。
あらためて報道の力を感じたような気がした。
(2016年10月28日)