歌姫の透き通った声が会場をやさしく包み込んだ。
見える人の心にも見えない人の心にも見えにくい人の心にもその声は沁みこんだ。
他を圧倒するような歌唱力でもないしどちらかと言えば地味な歌い方だろう。
それなのに彼女の歌う声は静かにゆっくりと心に沁みこんだ。
僕は北風の中の日だまりを思い出した。
人は誰も望んで障害者にはならない。
病気でどんどん視界が閉ざされていく時、
そこには不安や挫折や悲しみが存在する。
押しつぶされそうになることさえある。
ただじっと、ただじっと耐えるだけだ。
そんなことしかできない。
でもその間に無意識の中で、
人は生きていく力を蓄えていっているのだろう。
冬の凍てつくような大地の下で春が生まれてくるのと似ている。
ちょっと時間はかかったけれど、彼女の春が始まったのかもしれない。
僕は歌姫に大きな拍手を送った。
(2016年12月27日)
歌姫
先斗町
2016年も残り少なくなった師走の夜、
僕達は先斗町の細い路地を上機嫌で歩いた。
大声で笑いながら歩いた。
細い路地は車も通らないし溝もないのでそこは安全だった。
あっちにふらふらこっちによとよと歩いた。
百年以上前、尊王攘夷の志士達は腰に刀をさしてここを歩いたのかもしれない。
僕達は刀の代わりに白い杖を持ってあるいた。
逞しくて強かった集団とはかけ離れていたが、
未来を夢見た仲間同士の笑顔は同じだったに違いない。
尊敬できる先輩と信頼できる仲間、格別な時間だった。
今年もいい一年だったということだろう。
苦境の中にいても心をひとつにできるということは幸せなことなのかもしれない。
(2016年12月22日)
握手
2時限の授業を終えて帰り支度をしている僕を子供達が取り囲んだ。
「握手してください。」
いくつもの小さな手が僕の前に差し出された。
僕は未来を創造していくひとつひとつの手をしっかりと握った。
ひとつひとつの手にありがとうと言った。
見えないという不便さと不自由さを子供達は学んでくれた。
それでも同じ命であることを知ってくれた。
共に生きていく社会を考えてくれた。
そして出してくれた答えが握手だった。
今年もたくさんの子供達に出会った。
出会うことができた。
機会をくださった先生方、関係者に心から感謝したい。
(2016年12月19日)
素敵な先生
四条通りを祇園に向かうバスはとっても込んでいた。
身動きに困るほどだった。
晴眼者の友人は僕の手を手すりに誘導してくれた。
僕は手すりを握って少しほっとした。
動き出したバスの中で僕は半分ぶらさがったような感じになっていた。
「この席に座ってください。」
ちょっと離れた場所から突然女性の声がした。
それから彼女は僕の白杖をそっと支えて座席に誘導した。
僕は何の問題もなく座った。
プロのガイドでも難しそうな場面だったがタイミングも誘導方法もスマートだった。
僕は感謝を伝えた。
そして隣で立っていた友人にありがとうカードを渡してもらった。
「修学旅行の引率です。」
彼女は中学校の先生らしかった。
僕の喜びは更に大きくなった。
先生と一緒にいた中学生達は一部始終を見ていたはずだ。
きっと先生のさりげない行動を素敵だと感じたに違いない。
僕達に声をかけるのはまだまだ勇気が必要な社会だ。
こういうシーンを見た子供達が大人になると楽しみだな。
途中でバスを降りていった中学生と先生に、
楽しい京都になりますようにと僕は心の中でつぶやいた。
(2016年12月16日)
仲間
研修会場でいろいろな仲間に出会う。
鹿児島から北海道から仲間が集う。
それぞれの人生が集う。
僕は講師という立場なのだけれど実際はいつも僕自身が学ぶ機会となっている。
今回出会った彼は42歳で失明したとのことだった。
企業の第一線で活躍していた彼はヨーロッパでの赴任を終えて帰国した。
ベーチェット病という病魔に突然襲われたのはその直後、
そして入院し三か月後に退院する時には両方の眼球は失っていた。
彼はそれからの人生を多くは語らなかったが、
ここまで来れたことを良かったと表現した。
淡々と話すどの言葉にも悲壮感はなかった。
僕が完全に光を失ったのがそれくらいの年齢だったのかもしれない。
どこかでこんな話を耳にした人はお気の毒にと思うだろう。
かわいそうにと感じるのかもしれない。
それはきっと、自分がその運命と向かい合ったらどうだっただろうかとイメージでき
るからなのだ。
だからその思いの出発はやさしさなのだろう。
ただ実際に彼と話し終えて僕の心に生まれてくるものは同情でも哀れみでもない。
人間が生きていく姿への感動なのだ。
キラキラと輝く人間の命の美しさに胸が震えるようにさえ感じるのだ。
「ヨーロッパの風景を記憶していますか?」
僕は若い頃歩いたイタリアの街並みを思い出しながら尋ねてみた。
「うん、しっかりと憶えているよ。」
彼は静かに笑った。
(2016年12月12日)
冬枯れの空
東京での定宿になっている高田馬場駅前のホテルを出て、
研修会場までのなだらかな坂道をガイドさんの肘を持って急ぎ足で歩く。
京都では単独での移動が多いのだが、
出張先ではガイドさんやボランティアさんに頼ることになる。
ホテルの部屋はどこでも同じような構造だし、
困ったらホテルスタッフに尋ねればなんとかなるからホテル内は問題はない。
朝食のバイキングがちょっと残念に感じるくらいだ。
料理のチョイスに時間をかけたりお代りをお願いしたりに気が引けてしまう。
これは僕の小心者のせいもあるのだろう。
つい我慢してしまうのだ。
結局コンビニのおにぎりを準備することが多い。
身支度を整えてホテルを出るところまでは自分でできる。
そこから先は右へ行くのか左に向かうのかさえ判らない。
頭の中に地図がない場所ではどうしようもない。
通行人にサポートを依頼しても目的地までの時間がどれくらいかかるかも判らないし
リスクも高い。
予約していたサポーターの目と肘さえあればいつものように歩けるのだ。
いつものように歩けばいつもの暮らしがある。
いつものように感じられる平穏がある。
今日もガイドさんと歩いていたら真冬の冷たい北風が僕の顔を下から押し上げた。
北風に押し上げられた顔が空を向いた。
今年初めて出会う冬枯れの空がそこにあった。
淡い水色の空だ。
うれしくなった。
(2016年12月11日)
願い
「松永さん、お久しぶりだね。」
改札口を入ったところで男性の声がした。
「どちら様ですか?」
立ち止まった僕に彼は自分の名前を告げた。
「会うのはこの20年で3回目くらいかな。僕はテレビでも新聞でも貴方をよく知って
いるよ。貴方と同じ病気だよ。」
そう言いながら彼は僕の手を自分の肘に誘導した。
僕達はゆっくりとホームへの階段を降りていった。
白杖歩行に慣れている僕には、
それはいつもよりずっと遅いスピードだった。
でも僕は彼の肘を持って歩いた。
サポートの肘を持つというのではなくて、
おぼつかない彼の歩き方がそうさせていた。
ホームに着いて電車が到着するまでの時間、僕達はとりとめもない話をした。
僕達はどちらも干支が鳥で、彼は僕より丁度一回り年上だった。
「その年齢でその状態だったら、ひょっとしたら一生光くらいは見えているかもしれ
ませんね。」
「僕もそう願っているんだけどね。」
電車の案内放送が流れた。
しばらく僕達の会話はさえぎられた。
僕が小さな勇気で言葉を探すには丁度いい長さの時間だった。
「きっと一生、大丈夫ですよ。」
放送が流れ終わった後、僕は根拠もない希望を心をこめて伝えた。
電車がホームに入る音が聞こえた。
乗車する時に僕は白杖で示しながら彼に声をかけた。
「この隙間、気をつけてくださいね。」
乗車して手すりを持とうとする僕を今度は彼が空いている席まで誘導した。
僕は座席に腰を下ろした。
「いつか手術ができるようになったら、父ちゃんの目を片方お前にあげるからな。」
昔父ちゃんがたった一度だけつぶやいた言葉が唐突に蘇った。
本気の言葉だったなと何故か思った。
その言葉がずっと心にしまわれていたことに気づいてうれしくなった。
「くれぐれも事故などに気をつけてくださいね。」
別れ際、僕はそれだけを彼に伝えて電車を降りた。
(2016年12月5日)
大学生のアンケート
大学は年が明けてしばらくすると試験などがあるので、
今年度の講義も後3回となった。
学校側の指示で学生達へのアンケートが実施された。
無記名なので学生達は自由に伸び伸びと書いてくれたようだった。
僕はいろいろな用事で休講せざるを得ないことが幾度もあり、
その度に補講を実施して迷惑をかけた。
補講を実施すると16時半には終わるはずの講義が延長されて18時となる。
帰宅が遅くなるだけではなくて、アルバイトをしている学生達には大変なことだ。
他の用事と重なって受講できない学生もいた。
当然、出来るだけ補講が少なく、もしあっても早く知らせて欲しいという意見があっ
た。
校外学習に出かける場合の交通費が負担になるという意見もあった。
それぞれに僕が反省しなければいけない課題だった。
それを踏まえての全体の感想は僕も驚くようなものだった。
受講してくれた学生達が皆一定の評価をしてくれていた。
ぬくもりのある言葉が並んでいた。
受講して良かった。
楽しかった。
障害への考え方が変わった。
もうすぐ終わるのが寂しい。
白杖の人に声をかけられるようになった。
素直でまっすぐな気持ちが綴られていた。
それはそのまま僕へのエールでもあった。
僕は学生の代表に朗読してもらった。
朗読が終わって僕は学生達に語りかけた。
「日常の君達はきっとこんな真面目な会話はしていないだろう。
でもね。今読んだ内容は君達1人1人が書いたんだよ。
素晴らしいよね。
君達がこうして学んでくれて、僕は幸せです。」
静まり返った教室には豊かな空気が充満していた。
未来を感じさせるものだった。
見えない僕の目から熱いものが零れ落ちた。
あと数回の講義、しっかりと取り組みたいと強く思った。
(2016年12月2日)
お母さんと娘さん
ドラッグストアで買い物をしていたら、
背中越しに娘さんとお母さんらしき人のヒソヒソ声が聞こえてきた。
僕は気にも留めずに目的の栄養ドリンクを探していた。
「さっきから松永さんの方を見ておられますよ。お知り合いではないですか?」
隣にいたガイドさんが僕に伝えてくれた。
僕が振り返るとお母さんらしき人が話し始めた。
「松永さんですね。娘から話を聞いていました。
学校から帰ってきてたくさん話してくれました。」
内容まではおっしゃらなかったが十分に意味は伝わってきた。
それからその娘さんが学校名と氏名を名乗った。
確かに僕が福祉授業で訪ねた学校だった。
うれしそうな声だった。
「憶えていてくれて、声をかけてくれたんだね。ありがとう。」
僕はリュックサックから点字の名刺を取り出して彼女にプレゼントした。
福祉授業や講演で学校に行った時、
僕は子供達に心をこめて話をする。
一生懸命話をする。
そしてそれを受け止めてくれた子供達が家族に伝えてくれることがある。
子供から話を聞いたというお母さんやお父さんに時々出会う。
伝える力、小さな力かもしれないけれどきっと未来につながっていく。
別れ際のお母さんと娘さんの笑顔が今日もそれを教えてくれていたようだった。
(2016年11月28日)
枯葉
カラカラコロコロ、
枯葉が笑いながら駆けて行く。
一斉にちょっと休憩して、また突然走り出す。
へこたれずに、あきらめずに駆けて行く。
追っかけてくる北風に負けないように駆けて行く。
抜きつ抜かれつのいいレースだ。
その脚力にそのファイトに心の中でそっと拍手をおくる。
白杖の僕は走れないけれど、
頑張って歩こうと自分に言い聞かす。
そして枯葉の音を聞きながら、もうすぐ冬がくるのだと実感する。
(2016年11月24日)